女優・冨士眞奈美が古今東西の気になる存在について語る当企画。今回は、 京都撮影所での裏方さんとの思い出について振り返る。
女性の社会進出が当たり前になって久しい。私の若いころは、結婚したら家庭に入るのが当たり前だった。それだけに、「昔の芸能界でも女性の立場は大変だったのでは?」なんて聞かれることがある。
たしかに、世の多くの女性は、まだまだ苦労が絶えない時代だったと思う。だけど、女優さんは大事にされていた。蝶よ花よ──。とりわけ映画の世界ともなると、とても大切に扱ってくれていた。その分、きちんと仕事をしなければいけないという責任感も感じていた。
お芝居の世界では、女優が主役という作品が多かった。それだけに軽々しく扱うことができなかったのかもしれない。そういう意味では、俳優業というのは早い段階から男女の活躍機会が均等化していた民主的な業界ともいえる。しかも、年をとっても続けることができる福利厚生にも優しい世界(笑)。個人的な嫌がらせはあちこちであるけれども(!!)、定年もなければ男女差別もない開かれた職業だと思う。
ただし、実力が伴わなければいけないし、人間関係も大事。俳優という職業は、お呼びがかからない限り、無職と同じ。何の保証もない。自由業といえば聞こえはいいだろうけど、好きなだけ自由を謳歌していたら、声をかけられなくなり、手も差しのべてくれなくなる。自由業は、無職と隣り合わせ。
裏方さんに好かれるには…
開かれた世界ではあったけど、結髪さんやメイキャップさんといった裏方さんたちに気に入られることが大切……というより、大変と書いたほうが正しいかもしれない。
しかも、京都・太秦撮影所ともなれば、さらに厳しい。裏方さんの信頼を得なければ、役どころに近い雰囲気を、外見から作ることが難しくなってしまう。色っぽい役なら、より色っぽくしてくれる、というように。
そうそう、色っぽい人といえば、山田五十鈴さんの娘である嵯峨三智子さんが忘れられない。21歳くらいのときの嵯峨さんにお会いしたことがあるのだけれど、目が細くておちょぼ口で色が白い。まるで、お人形さんのように可愛いのに、それでいて信じられないくらい色っぽかった。
彼女は、岡田眞澄さん、森美樹さん、市川雷蔵さん……色とりどりのいい男たちと浮名を流したけれど、あの天性の妖艶さを間近で感じると、納得するしかない。その後、何があったか知らないけれど、整形手術で見た目をかなり変えてしまい、最後は滞在先のタイ・バンコクでくも膜下出血のために亡くなってしまった。瑠璃は脆し──、嵯峨さんはまさにそのような女性だった。
京都人は裏表がある?
私は、撮影のために東京から京都に通っていた。京都人でもなければ、京都に根を下ろして活動していたわけでもなかったけど、裏方さんたちはとても可愛がってくれた。20歳のとき、京都で撮影をしている最中に父が亡くなると、みんなで慰めてくれたのを思い出す。
「京都人は裏表がある」なんてことがよく言われているけど、双方間に関係性が育まれれば、過剰なくらい親切にしてくれる素敵な人たちばかり。きちんと挨拶をすること、伝統を重んじること、そんな当たり前のことをきちんと行えば、京都の人たちは受け入れてくれる。
でも、京都人らしい言い回しをするのも事実。あるとき、私は京都の映画館に足を運んだ。京都で仕事があるときは、空いた時間に映画を見るのが日課になっていて、私にとって京都はそういう意味でも映画の街だった。
次の日、撮影所へ行くと、「眞奈美ちゃん、昨日映画館にいたでしょう」と裏方さんから声をかけられた。「どうして知っているんですか?」と言うと、「あんな大きな笑い声で笑う人は京都にはいないよ」と言われた(笑)。嫌みと受け取るか、愛情と受け取るかは、考え方次第。でも、私はそんな京都の“らしさ”がとても好きなのだ。
〈構成/我妻弘崇〉