2022年北京五輪、左上から時計回りに宇野昌磨、羽生結弦、鍵山優真(JMPA代表撮影)

「羽生結弦のアクセルのベストがあれかなっていう感じもしてます」

 2月10日、北京五輪での戦いを終えた羽生結弦が、少し寂しげな表情でインタビューに応じた。2014年のソチ五輪、2018年の平昌五輪を連覇してきた羽生だが、今回は惜しくもメダルに手が届かなかった。

「2月8日に行われたショートプログラムでは、予期せぬアクシデントに見舞われました。演技1つめのジャンプで、4回転サルコウを予定していましたが、1回転になってしまったのです。ほかの選手が滑った際に氷上にできた穴にハマってしまったことが原因。自身では“氷に嫌われた”と振り返っていました」(スポーツ紙記者)

 このミスが響き、ショートを終えて8位での発進に。フィギュアスケート評論家の佐野稔さんが振り返る。

「“穴ぼこ事件”がすべてになってしまいましたね。それ以外の部分は完璧でした。2014年には、グランプリシリーズ『中国杯』の練習中にほかの選手と衝突し、頭から流血する事故もありましたが、そういった悲劇と、五輪2連覇という頂点とどちらも経験するのが羽生結弦という人間なのでしょう」

 そして、2月10日。世界中が注目するフリースケーティングで、4回転アクセルに挑んだ。

「当日朝の公式練習では跳ばず、演技直前の6分間練習では、2回挑戦するも、どちらも転倒。そして、いよいよ本番。『天と地と』の演技冒頭で4回転半を組み込んできました。転倒による減点があり、回転不足の判定にこそなってしまいましたが、国際スケート連盟の公認大会では初めて“4回転アクセル”として認定されました」(前出・スポーツ紙記者)

「アクセルは王様のジャンプ」

2022年北京五輪、壮大な『天と地と』の音楽とともに、4回転アクセルに挑んだ羽生結弦。転倒になるも手応えはよく「僕なりの4回転半はできた」という(JMPA代表撮影)

 4回転アクセルを成功させると心に誓ったのは、小学2年生から羽生を指導していた、都築章一郎コーチのひと言がきっかけだった。

「都築コーチが羽生選手に“アクセルは王様のジャンプだ”と教えたのです。そして、平昌五輪2連覇の翌日、4回転アクセルへの挑戦を初めて公言しました」(同・スポーツ紙記者)

 都築コーチは、北京五輪での羽生の姿に大きな感銘を受けたという。

小さいときに彼に言ったことをずっと目標に掲げて、オリンピックという大舞台で挑戦してくれたことに、本当に感謝しています。4回転半は、彼のスケート人生の集大成でしょう」

 その都築コーチに羽生を託したのが、4歳だった羽生をスケートに導いた山田真実コーチだ。

「転んでも4回転アクセルに挑んだことに、心を打たれました。結弦は類いまれなるフィギュアの才能があるので、それもあってここまできましたが、今回の挑戦で“真のアスリート”になったように見えました」(山田コーチ)

2022年北京五輪、メダルセレモニーでの(左から)銀メダルの鍵山優真、金メダルのネイサン・チェン、銅メダルの宇野昌磨(JMPA代表撮影)

 会心の演技で金メダルに輝いたのは、羽生の最大のライバルであり続けたアメリカのネイサン・チェン。

「ショートもフリーも完璧で、文句のつけどころがない。4回転アクセルの次に難しい4回転ルッツという武器をショートでもフリーでも跳び、その次に難しい4回転フリップをフリーでは2回入れていますから、得点力が別格です。それをいかんなく発揮し、さらに、ダンサーのごとく踊る。ジュニア時代からダンスに定評があり、突出したものがありました。踊れてジャンプが跳べて、今のネイサン選手のいちばんいいところを見せつけました」(佐野さん)

 圧巻の金メダルに続き、銀メダルの鍵山優真も、世界にその存在をアピールした。

「ショートプログラムで自己ベストを更新して2位につけると、フリーでもミスを最小限に滑りきりました。得点が発表されるキス・アンド・クライで、父でコーチの正和さんと喜びを爆発させる姿も話題になりました。羽生選手からは“本当によく頑張ったね”という言葉をかけられたといいます」(前出・スポーツ紙記者)

 前出の佐野さんも、その滑りを高く評価する。

フィギュアスケートの基本をきちんと積み上げていて、ある意味、すでに完成されています。それは、父譲りのひざの柔らかさがつくり上げていると思います。なめらかに滑っていて、ジャンプを跳んだ後の流れもきれい。それを、ひざで調整しているんです」

 試合後には、“演技やステップなども評価されるオールラウンダーになりたい”と話した。そのために鍵山は、父以外からも教えを受けていた。

「2020年からは、浅田真央さんらを担当したローリー・ニコル氏から振り付けを学んでいます。そして、表現力に定評のある鈴木明子氏にもアドバイスをもらいながら、演技を磨いています」(スケート連盟関係者)

フィギュア界を担う宇野と鍵山

 その努力が実った銀メダルを、鍵山が通う『星槎国際高校横浜』スケート部監督の松下清喜先生も称賛する。

「表彰台に乗ることができて、本当に素晴らしいと思います。とにかく“これからも頑張ってね”という思いです。次にタイトルを獲ったら“松下先生のおかげ”って言ってほしいかな(笑)。あとは、卒業のために試験を受けてもらうだけです(笑)」

 その鍵山の存在がモチベーションだったと話すのが、銅メダルに輝いた宇野昌磨だ。

「初出場だった平昌五輪では羽生選手に続く銀メダルでした。北京五輪までの4年間、コーチが不在で調子が落ち込んだ時期もありましたが、ステファン・ランビエールコーチと出会って、さらなる成長を見せました」(前出・スポーツ紙記者)

 宇野の祖父で画家の宇野藤雄さんは、孫の功績を喜びながらも、さらなる高みを見据えている。

昌磨に会ったら、“よくやったね。これから、フィギュアを通して、自分の人格を高めることが仕事だよ”と伝えたいです。フィギュアスケートという芸術は、技術だけではだめ。人格を高めない限り、素晴らしいスケーターにはなれません。次は金メダルに向けて“ネイサン選手を超えられないならやめる”くらいの強い覚悟を持って頑張ってほしいです」

 2位から4位に名前を連ね、世界からも高く評価される日本男子フィギュア。しかし、3連覇を目指していた羽生にとっては苦い結果となった。ショートでまさかのアクシデントがあったが、メダルの可能性は十分にあった。

「4回転アクセルではなく、ほかのジャンプにしていれば、メダルは獲っていたと思います」(佐野さん)

 では、なぜメダルを獲るための定石を外したのか。

“4回転アクセルをやったうえで勝ちに行く”と明言していましたから、やらなかったら“羽生結弦”をやめることになります。そんなことは彼自身、望んでいないのです」(佐野さん)

 まだ幼かった羽生を近くで見てきた山田コーチは、そんな彼を称える。

目指すべきところはメダルではなかったんでしょうね。失敗のおそれがあっても4回転アクセルをやるという彼のすごさ。“よくやった!”と思って泣きそうになりました」

 羽生を“夢”へと導いた都築コーチも続ける。

「メダルと挑戦、どちらを目指すかの選択があったと思います。そこであえてメダルを捨てて、自分の理想とする目標に向かったことには驚くばかりです」

宇野と鍵山を成長させた羽生の背中

 挑戦したのは、羽生だけではない。

北京五輪公式マスコット『ビンドゥンドゥン』を手に、国旗を背負う宇野昌磨(左)と鍵山優真(右)(JMPA代表撮影)

「鍵山選手は、2021年12月の『全日本選手権』では構成に入れていなかった4回転ループを、新たにフリーに組み込みました。成功率が高いとはいえないジャンプですが、北京五輪で表彰台に上るためには、4回転ジャンプの種類を増やすことが必要だと考えたのです」(前出・スケート連盟関係者)

 そして、宇野も。

フリーは、4回転を4種類5本組み込むという、非常に攻めたプログラムです。そこに積極果敢に挑戦して、北京五輪ではふらついたところもありましたが、まずまずなところまで滑りきりました」(佐野さん)

 これらの挑戦が、鍵山、宇野を確実に成長させた。

羽生選手が、どれだけ転んでも、ケガをして身体がボロボロになっても、4回転アクセルに挑戦し続ける背中を見て、突き動かされるものがあったのでしょう。彼のその姿によって、後輩選手たちの士気も上がり、日本の男子フィギュアのレベルの底上げにつながっています」(前出・スケート連盟関係者)

 羽生結弦が挑んだ4回転アクセルは、間違いなくこれからもフィギュアスケート界を牽引する歴史になる。

「挑戦しきった、自分のプライドを詰め込んだオリンピックだったと思います」

 と、北京五輪を振り返る羽生。それでも、羽生と同じ『アイスリンク仙台』を拠点としていた荒川静香のインタビューでは、感極まりながら言葉を紡いだ。

「なんで報われないんだろうなって思いながら、この3日間ずっと過ごしていました。すごく努力したし、苦しかったし、その苦しさがここで報われたかどうかわからないですけど、正直、何も残せなかったなってちょっと思ってますけど、みなさんのなかで、勝敗関係なく、ちょっとでも“羽生結弦のスケートよかったな”って思ってもらえる瞬間があったら、それだけで今日頑張って滑った意味があるのかなと思っています」

 インタビューの最後には、笑顔を見せた。

「自分では褒められないけど、誰かに褒めてもらいたい」

 大丈夫、世界中がゆづを褒めているよ!

佐野稔 元フィギュアスケート選手。'76年インスブルック五輪に出場経験があり、'77年世界選手権では3位となった。現在は複数のメディアでフィギュアスケートの解説をしている

ゆづに届け! 世界からの賛辞

2022年北京五輪、羽生結弦(JMPA代表撮影)

 “自身の夢”4回転アクセルは“世界の現実”に。フィギュア選手、大手海外メディアなどから満身創痍の羽生結弦に届いた称賛コメントを一挙紹介!

「僕の中では彼が史上最高のスケーターです」ネイサン・チェン(男子フィギュア米国代表)

「あなたが残したものは私たちの心の中に永遠にとどまる。あなたの勇気とプロフェッショナリズムはエンドレスだ」エフゲニー・プルシェンコ(元男子フィギュアロシア代表)

「失敗しても最も華やかな桜です」中国webメディア「騰訊体育」

「あなたが成し遂げたことはどれも歴史に記されるのだから、成功、失敗など問題ではない」中国国営放送「CCTV」

「フィギュアスケート史上唯一のヒーローだった」中国webメディア「新浪体育」

歴史が動いた瞬間を共にできた事に感謝」安藤美姫(元女子フィギュア日本代表)

「27歳のハニュウは観客の声援を受けながら胸を張って靴を脱いだ」フランス・AFP通信電子版

「羽生選手の軌跡をこれまでずっと見ていたので、その思いをなんとかここで全部出してほしいという思いも高まりますから、終わった後の様子を見るとこみ上げるものがありました」荒川静香(元女子フィギュア日本代表)

「彼はオリンピックの精神を完全に体現しています。より高く、より速く、より強く」陳露(元女子フィギュア中国代表)

「人類が誰も挑戦したことがないジャンプに挑戦することは、本当にすごい覚悟がいる。僕だったら、もうやらないと思う。トップであり続けながら、さらにその先を目指す姿を見て感動しましたし、すごく尊敬しています」鍵山優真(男子フィギュア日本代表)

「結弦さん、僕は、ありがとうと言いたいんですよ。お礼したい。だって誰もトライしたことがないものに、何があってもトライし続けましたよ」松岡修造(スポーツキャスター)