写真はイメージです

 天皇陛下が前立腺に病気がないかを調べるために受けられたMRI検査の結果をふまえて、宮内庁は11月10日、懸念される所見はないが念のため前立腺の組織を採取してさらに詳しい検査をすると発表した。

 これまでに陛下は、前立腺がんを早期発見できるPSA検査を半年に1回ほど受けられていて、その数値が徐々に上がってきたため今月6日に東京大学医学部附属病院でMRI検査を受けられていた。

陛下を心配する声に多くあった「前立腺」への意識

 ネットニュースのコメント欄やSNS上では、さっそく陛下を心配する声と同時にこんなコメントが上がっている。

《自分も前立腺の検診で引っかかって精密検査。最終的には生検でがんが見つかった》

《私も8年前にPSA数値が若干上昇したのでMRI検査しました》

《年1で自分もPSAを受けているけど、再検査っていわれたらちょっと怖いな》

 こういったコメントを読むと、多くの人が前立腺がんの検診を受けていることがわかる。日本は世界のなかでもがん検診の受診率が低く、コロナ禍でさらに低下したといわれている。そう考えると、前立腺がん検診のこの状況はとてもよいことのように思えるが……。

「いいえ、そうとも言えないんです。前立腺がんの検診は、受ける必要は必ずしもない検診なんです。ちなみに、私は今まで1度も受けたことはありませんし、たぶん、今後も受けません」

 そう話すのは、国立がん研究センターで検診研究部の部長を務める中山富雄先生だ。国立がん研究センターというのは、日本におけるがん研究の中心的存在。そこのがん検診部門のトップである医師がなぜ、受ける必要はないというのか。

 なお、まぎらわしいが、陛下が受けられているのは「検診」ではなく、経過観察や病気を詳しく調べるための「検査」。これはもちろん必要な医療行為だ。

 中山先生が受ける必要はないと言っている「前立腺がん検診」は、1年に一度や2年に一度、症状がなく健康で生活に支障がない人に対して定期的に受けることが推奨されている大腸がん検診や乳がん検診と同じようなものを指している。

「見つけなくていいがん」を見つけてしまう検査

 前立腺がんの患者の数と、前立腺がんによる死亡率を比べた興味深いデータがある。前立腺がんの患者は2003年ごろを境に急増したのだが、患者が大きく増えたにもかかわらず、前立腺がんによる死亡率は以前とほとんど変わらなかったのだ。これは何を意味するのか(具体的なデータは写真ページのグラフ参照)。

部位別年齢調整死亡率(全国)・罹患率(高精度地域)年次推移(国立がん研究センターがん対策情報センターより)

前立腺がんは、80歳以上の方の50%以上が診断されない状態で持っていることが知られています。でも進行速度の遅いものがほとんどなので、この病気自体では命を失うことが少ないと言われてきました。

 前立腺がん検診では、PSAというタンパク質の一種を測定する『PSA検査』をするのですが、精度が高いので、小さいがんも見つけることができます。もともと多くの人が持っているため、この検査の普及とともに診断される機会が増え、結果として患者が急増しました。

 本来、放置すると死に至るがんの早期発見・治療が普及すると診断数の増加と同じだけ死亡が減るはずですが、実際はほんの少し死亡率が減ったかなという程度でした。つまり、死亡に関係のあるがんの発見・治療はあったとしてもわずかで、治療してもしなくても死亡率には関係のない、おとなしくて進行の遅いがんを大量に発見したことを意味しています」(中山先生、以下同)

 治療の必要のない、見つけなくていいがんを見つけることを「過剰診断」と言うが、前立腺がん検診はまさに過剰診断の温床なのだ。治療しなくていいがんなら、たとえ検診で見つかっても放っておけばいいだけの話じゃないか、と思う人もいるかもしれないが、どんなに小さくても、がんが見つかれば治療したい、手術で取り除けるなら取ってしまいたいと思うのが人情というもの。

「最近では、治療をした場合と、治療せずに経過を見守った場合を比べても、死亡率に差がないことがわかったので手術は減りましたが、以前は、治療の必要のないがんが早期発見されたばかりに治療対象になっていたのです」

 やる必要のない手術を受けるのはたしかにイヤだが、手術で前立腺をとってしまえば、もう前立腺にがんができることはなくなるのだから、それはそれでいいという考え方はできないだろうか。

「たしかに、前立腺を全摘すれば前立腺がんのリスクはかなり小さくなりますが、そう単純な話ではないんです。というのも、前立腺は排尿や性機能にかかわる神経に接しているため、術後に尿漏れや性機能障害を起こす可能性が高いのです。

 たかが尿漏れ、と考えるかもしれませんが、漏れた尿でズボンが染みはしないかと心配になったり、吸水パッドやおむつのお世話になると外出時はいちいち大便所に入らなければならず、外出がだんだん嫌になったりと、往々にして活動の幅が狭くなることが多いのです」

 検診で見つけなくていいがんが見つかると、尿漏れなどのQOL(生活の質)の低下を招きかねず、肝心の死亡率も下がらない。そのため、国立がん研究センターも厚労省も、前立腺がん検診の受診をすすめていないのだ。

自治体の8割が指針を無視して検診を実施

 ネットニュースのコメント欄やSNSを見ると、多くの人が前立腺がん検診を受けているようだが、国がすすめていないのに、なぜそんなに受けているのだろう。

 実はある調査によると、78.1%もの自治体が国の指針を無視して前立腺がん検診を実施しているのだという。採血だけという手軽さや、メディアが前立腺がんで亡くなった有名人のニュースと合わせて検診を紹介したこと、また、特定の団体がよかれと思って自治体に推し広めたことなどもあり、推奨していないにも関わらず、これほど広まったのだ。

 もちろん、メリットとデメリットを理解して、メリットのほうが大きいと自分で判断して検診を受けるのであれば問題ないが、多くの自治体はそこまでていねいに説明はしていない。国がすすめている胃がんや肺がんの検診と同じように、前立腺がん検診を案内しているケースがほとんどなのだ。

 ちなみに、アメリカで予防や検診のガイドラインを作っている「米国予防医学サービスタスクフォース」は、前立腺がん検診のメリットとデメリットを考えるためのヒントとして以下のように公表している。

 1000人受けると240人に異常値が出て、そのうち80人が手術などの治療を受け、その結果、3人のがんの進行を抑えることができて1~2人の死亡を減らすことができるが、治療を受けた60人には尿漏れや性機能障害が起きる、と。進行を抑えたり死亡を防げるのは1000人中たった3人だけなのに、80人が手術してその大半に後遺症が残るということだ。

「今回の陛下に関する前立腺のニュースを見た人が、必要な『検査』と受けなくていい『検診』をごちゃまぜに考えて、『前立腺がん検診は受けたほうがいいんだ』、『やっぱり受けるべきだ』と誤解してしまわないといいのですが……」

 つぎに自治体から前立腺がん検診の知らせが届いたら、改めて自分でよく考えて、受けるかどうか慎重に判断したい。

中山富雄(なかやま・とみお)●1964年生まれ。大阪大学医学部卒。大阪府立成人病センター調査部疫学課課長、大阪国際がんセンター疫学統計部部長を経て、2018年から国立がん研究センター検診研究部部長。著書に『知らないと怖いがん検診の真実』(青春出版社)など。