高倉健さん

「いちばんの疑問は、本当に健さんが“僕のこと、書き残してね”と語ったのか、ということ。映画俳優は神秘的な存在だという信条で、健さんはこれまでプライベートについて公にしてこなかった。それなのに、なぜ“書き残してほしい”と思うに至ったのか。その点について説得力のある説明が必要でしょう。彼女の言動はむしろ、健さんのプライバシーを切り売りしているように感じてしまいます」

 拭い切れない疑問について語るのは、ノンフィクション作家の森功氏。'14年11月10日に、悪性リンパ腫のため83歳で鬼籍に入った“不器用”な名俳優・高倉健さんについて、森氏はその没後を取材し続けてきた。疑念を抱く“彼女”とは、健さんの養女・小田貴月のことだ。

養女、突然の“顔出し解禁”

 4月14日、NHKのドキュメンタリー番組『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』で、健さんが取り上げられた。歴史的な出来事や人物にスポットを当て、隠された“アナザーストーリー”をひもといていく番組。生涯で200本以上の映画に出演した銀幕のスターは、訃報から8年がたった今でも、こうして特集が組まれている。

「3月29日には、『高倉健 最後の季節。』という本が出版されました。養女の貴月さんは、生前の健さんから出された“僕のこと、書き残してね”という“宿題”をやり遂げるために筆をとったと明かしています」(スポーツ紙記者)

 貴月は、'64年に東京で生まれ、一時芸能界に身を置いた後、ライターやテレビディレクターとして世界を飛び回った。健さんと出会ったのは'96年の香港。取材で訪れたホテルで偶然、健さんと居合わせたという。それから17年間、生活を共にし、'13年には健さんの養女に。最期を看取ったのも貴月だった。

 '19年10月にも健さんとの日々を綴った手記『高倉健、その愛。』を執筆している。

「新刊本では、前作では書ききれなかったという、病名を告げられた際の様子、病室で観賞した映画、最期の言葉が“あわてるな”だったことなど、付きっきりでお世話をしていた貴月さんのみが知る、素の健さんが明かされています」(同・スポーツ紙記者)

 まさしく健さんの“アナザーストーリー”というべき内容だが、養女の“暴露”に首をかしげる関係者もいる。

「貴月さんは新著の宣伝のため、今まで見せていなかった顔を出してスポーツ紙の取材を受けていました。NHKの『アナザーストーリーズ』にも顔出しで出演。突然、“顔出し解禁”した変化に注目が集まっています」(芸能プロ関係者、以下同)

 前著出版の際にも、さまざまな雑誌やテレビのインタビューに答えていたが、どれも着物を着た貴月の後ろ姿ばかりだった。

 だが、遡ってみれば、そもそも“養女”の存在が明らかになったのは、健さんが亡くなった直後で、健さんの遺族との間に勃発した“トラブル”が世間を騒がせた。

ようやく健さんに手を合わせられる場所が

「健さんと貴月さんの関係はごく一部の関係者しか知らず、実妹が知ったのは死後半月たってから。健さんの訃報すら、実妹や甥っ子、姪っ子には知らされず、貴月さんの指示で親族は誰も密葬にも参加できなかったのです」

 貴月の言動は、幾度となく遺族に混乱をもたらした。

「荼毘に付したという健さんの遺骨を求める遺族に対し、“海に散骨した”と説明。遺産をすべて相続した貴月さんは、愛車やクルーザーなどを次々処分し、自宅は跡形もないほど改築しました」

 この件について貴月は『婦人公論』のインタビューで、《生前高倉は、プライベートを明かすことを良しとしませんでした》《やるべきことは高倉の遺志を引き継ぎ、名誉を守り続けるために粛々と事を進めること。葬儀や散骨も、その遺志を尊重してのこと》と語っている。

番組の“目玉”のように終盤に登場し、幻となった高倉健さんの遺作を明かした小田貴月さん(NHKより)

「“健さんの遺志”だと説明された遺族は、引き下がらざるを得なかった。後に、火葬に立ち会った人物が、貴月さんから譲り受けたという遺骨の一部を実妹に渡し、健さんの地元・福岡県中間市にある『正覚寺』に納めました。遺族はようやく、健さんに手を合わせられる場所をつくれたのです」

 実は、貴月の存在は、健さんの死後も明かされるはずではなかったとも。

「養女を知っていた面々は、健さんの死後もしばらく口をつぐんでおく予定でしたが、貴月さん本人が週刊誌に名乗り出てしまいました」

 自ら養女であることを明かしてから8年。なぜこのタイミングで素顔を晒したのか。

遺族が表に立つことはない

「時間をかけて正体を明かすことで“高倉健”という名前を利用したビジネスに乗り出したように見えます。今年中には、健さんの愛した料理のレシピ本まで出版するつもりとも話しています。ただ、さすがにこれまでの2冊と同じように“健さんからの宿題”とはいえないでしょう」(前出・スポーツ紙記者)

 冒頭の森氏も、貴月の新著について苦言を呈した。

「ご遺族の方々は、いまだに貴月さんに不信感を持っています。健さんとの感傷に浸る前に、彼女には答えるべきことに向き合う必要があるのではないでしょうか」

 それはやはり、健さんの遺骨についてだ。

「どこで、どういうふうに散骨したのかといった説明はなく、健さんの遺志だという証拠もあやふやのまま。貴月さんだけでなく、健さんを愛し愛された人たちがいるのに、そういった方々に納得してもらうべく誠実に応対しないのは残念です」(森氏)

題字や挿絵も小田貴月が担当。高倉健さんとのツーショットも収められている

 今回、『週刊女性』は遺族へ取材を試みたが、貴月さんについて尋ねると、

「何も答えられません」

 と口をそろえた。

「健さんが亡くなった当時、ご遺族の方々はいくつかの雑誌で発言したことで、“遺産目当て”とか“売名行為”と、ネットで誹謗中傷されてしまったのです。再びそうなることを恐れて、もう表立って発言されることはありません」(森氏)

 『週刊女性』は貴月に話を聞こうと携帯に電話をしたが、すでに彼女が使っている番号ではなかった。真のアナザーストーリーが明かされる日を、誰もが待ち望んでいる。

 

 

番組の“目玉”のように終盤に登場し、幻となった高倉健さんの遺作を明かした小田貴月さん(NHKより)

 

 

映画『網走番外地』撮影中の高倉さんのもとへ小林稔侍が陣中見舞いに訪れたことも

 

 

ヤクザ映画『冬の華』(1978年)で高倉健さんと共演。脚本は倉本聰