南果歩さん

 忙しく働く著名人にも闘病経験者が多い乳がん。今や日本では、日本人女性の9人に1人が罹患するといわれている。しかし、早期発見できれば、がんの中でも生存率は高い。がんサバイバーがどのように乳がんを見つけて治療をし寛解に至ったのかをご紹介。病に負けない令和の生き方とは──。

「“自分は大丈夫”いう根拠のない自信があった」という南果歩さん(59)は52歳のとき、乳がんだと判明。たまたま人間ドックを受けた際にマンモグラフィーと超音波、両方の検査を受けた。これが早期発見につながる。

「医師から乳がんだと伝えられたときは『えっ、まさか私が』という言葉が頭に浮かびました」(南さん、以下同)

南果歩「自分らしい生き方を貫く」

 直後にドラマや舞台が控えていたため、即手術を決断。ステージ1で乳房は温存できたものの、しばらくは手術の傷口を直視できなかった。

「身体にメスを入れることで、こんなに深く傷つくとは思っていなかった……。それに手術さえすればすべて終わりだと思っていたのに、ここからスタートだということを初めて認識しました」

 術後は1か月の放射線治療、5年間のホルモン療法が続く予定だった。がんのタイプとして、再発予防の抗がん剤も同時に始まる。しかし、副作用が強く出たため、寝たきりの状態が続き、主治医と相談のもと“治療を立ち止まる”選択をした。そして体力と免疫力を上げるための代替療法や食事療法を中心に転換する。

「ただ、私のやり方は決しておすすめできません。乳がんにもいろいろなタイプがあり、体質もそれぞれ違う。私のやったことがほかの誰かにとっていいとは限りませんが、ひとつの事例としてお伝えしようと思っております」

 最近ではピンクリボンの啓発活動にも力を入れる。

「闘病のつらさは、周囲の人には伝わりにくいもの。でも、当事者が話すことで理解が得られ、つらいときには仕事を軽減してもらうなどが普通にできる社会になればいいなと思っています」

 手術から5年が経過した定期検診では、主治医からうれしい結果が告げられた。

「“寛解”という言葉は使わなかったけれど『これからも経過観察を怠らず、身体を大切にしてくださいね。大丈夫、こんなに前向きな患者さんはなかなかいらっしゃいませんから』と。この言葉を聞いて私の中ではひと区切りついた気がしました。自分で早期発見するのは難しいですから、乳がん検診への啓発活動や、がんになっても社会復帰はできるという自分の経験を発信していきたいですね」

(構成・文/鈴木晶子)

 

乳がん検診の大切さを伝える活動を。ピンクリボンフェスティバルに登壇し、南果歩さん自身の経験を伝えることも

 

2019年に乳がんと診断された患者数〈全国がん登録罹患データ(厚生労働省)より作成〉

 

乳がんを大きくする女性ホルモンは閉経後は皮下脂肪でつくられる!

 

乳房の構造

 

乳がんの発見数と死亡数

 

子育て世代直撃する乳がん患者の増加背景に食生活の欧米化