今年は日本全国でクマによる被害が多く発生している

 今年は日本全国でクマによる被害が多くあり、痛ましい限りである。筆者が住む北海道でも道北地域の朱鞠内湖(しゅまりないこ)で釣り人がヒグマに襲われて死亡している。

当記事は「東洋経済オンライン」(運営:東洋経済新報社)の提供記事です

 よく知られているとおり、ヒグマは北海道に生息し、本州以南に見られるツキノワグマとは別の種である。ヒグマはツキノワグマに比べ、凶暴で人を襲うというイメージがあるが、実際には、主食は野草や木の実、昆虫であり、動物を襲うことはそれほど多くない。

北海道ではヒグマの痕跡をマッピング

 筆者は北海道で林業に従事している。この春、苗木を植えて間もない造林地で作業していた際にヒグマの足跡が明瞭に残っていたのでヒヤリとした。それでも、苗木の根元を踏んで倒れないようにする作業(「根踏み」という)は続けた。

 というのも、クマは基本的には警戒心が強く、人がいるところに近寄ってくることはほとんどない。しかも、造林地のように隠れる場所もなく見晴らしがよいところであればなおさらである。そのため、危険は大きくないと判断したのだ。

 それでも、ヒグマの危険性を侮ってはならない。不意に山道で出会ったりして、ヒグマを驚かせてしまえば、襲われる可能性も十分ある。

 そのため、北海道では、クマの目撃情報や、糞や足跡などの痕跡が見つかれば、行政が取りまとめてマッピングし、一般に公開している。場合によっては公園やキャンプ場を一時的に閉鎖することもある。

 この夏、筆者の地元の中学生が課外授業で訪れるはずだった自然公園で、直前にクマの糞が見つかったため、課外授業が中止となったこともある。ヒグマの糞は大きく、他の野生動物とは段違いなのですぐにわかる。糞を見れば、何を食べたのかもだいたいわかる。

 筆者がよく見るのは、春先であればフキの繊維が残った白っぽい糞や、サクラの実を食べたと思われる種がたくさん残った黒っぽい糞。いずれにしても、木の実や野草を食べているようだ。

 しかし、クマが草食であることは必ずしもいいことばかりではない。里に下りてきて農作物を食べる個体も出てくるからだ。特に好物なのはデントコーンという飼料やデンプンに使われるトウモロコシで、農作物被害の約55%を占める。北海道によれば、2021年度のヒグマによる農業被害額は2億6000万円を超えて過去最高となった。

ドングリの凶作のために人里へ

 では、なぜクマが里に下りてくるのか。それはやはり、山の中で十分に食料を得られないからだと考えられる。ヒグマは巨体であるため、木の実で腹を膨らまそうとすれば大量の数が必要だ。特に秋口には、冬眠に備えて脂肪を蓄えなければならない。

 そこで重要となってくるのが、秋の主食となるドングリである。ドングリは、ナラ、シイ、カシといったブナ科の樹木の実であるが、年によって豊作であったり、凶作であったりするという特徴がある。今年のようにドングリが凶作の年には、クマたちは食べ物を求めて里に出てくる可能性が高まる。

 もう1つヒグマの好物として知られているのが、コクワ(サルナシ)の実。つる性植物で、晩秋に直径3~4センチの緑色の実をつけるが、皮ごと食べるとキウイのように甘酸っぱくてとてもおいしい。しかし、つる性植物なので、木の高いところにまで登らないと手に入らないため、意外と食べる機会に恵まれない。

 去年の冬の初め頃、山で木を伐倒していたとき、倒したエゾマツにたまたまコクワが巻き付いていて、偶然コクワの実にありついたことがある。時期的に完熟しており、シャーベット状に凍っていてうまかった。

 そのとき、大先輩から「コクワはヒグマの食べ物だから、あまり食べすぎないように」と注意を受けたのが印象的だった。山は本来、人間ではなくヒグマをはじめとする野生動物の領分である。そこで得られるものは、人間が第一に食べていいものではない。味見程度にとどめておけ。そうしなければ、今度は山の生き物たちが里に下りてきて人間の作ったものを食べにくるぞ――ということなのだ。これこそが、人間と野生動物の領分(なわばり)についての基本的な考え方だと思う。

エゾシカがヒグマの食料を食べてしまう

 北海道の酪農家に恐れられたヒグマに「OSO18」と名付けられた個体がいる。OSO18は2019年から、標茶や厚岸といった道東地域を中心に66頭もの乳牛を襲っている。

 警戒心が強く、しかけた罠にもかからず、対策に苦慮していたところ、今年の7月、釧路町のハンターによって偶然仕留められた。後のDNA鑑定によってOSO18であることが判明したのである。

 本来は草食性であるヒグマがOSO18のように動物を意図的に狙って襲う事例は特殊であり、一般的ではないが、その原因として指摘されているのが、増える一方のエゾシカだ。

 エゾシカがヒグマの食料となる木の実や山菜を先に食べてしまうこと、さらにエゾシカの死骸をヒグマが食べることで肉食化する傾向が強まるのではないかというのだ。

 エゾシカは明治期の乱獲で一時激減したが、ここ30年ほどで大きく増加しており、現在では、農作物や林業へのエゾシカ害は大きな問題となっている。北海道によると2021年度のエゾシカによる被害額は44億8000万円と、ヒグマと比べ桁違いに大きい。

 エゾシカの個体数は約70万頭前後で推移していると考えられている。ちなみにヒグマは2020年度の推定個体数で1万1700頭とされ、1990年度の5200頭、2014年度の1万0500頭と比べても増加傾向にある。

野生動物との「付き合い方」を考える

 そして、エゾシカの数の多さがヒグマを里に追いやっているとすれば、問題はヒグマだけの話ではなくなってくる。つまり、野生動物が全体的に増加している中で、人間の生活圏への野生動物の侵入という問題が発生しており、これにどう対処すべきかという話になる。

 野生動物の駆除については、動物愛護の観点から批判も見られる。OSO18が駆除されたときも、主に道外から批判の電話が20件ほど寄せられたという。野生動物が人里に出てくるのは、人間が野生動物の生活圏を脅かしているからである、との発想に立っているのだろう。

「人間も自然の一部である」という観点から野生動物との共生共存を主張する立場もあるが、自然の一部というのはどういうことなのだろうか。

 本来、野生においては、動物たちは決して「共生」しているわけではない。動物によっては自分のなわばりを持って生活しており、エゾシカのように繁殖期には雄1匹を中心とするハーレムを作っているものもある。ヒグマはなわばりを持っていないと考えられているが、肩を寄せ合って互いに協力して生きているわけではない。

 つまり、野生動物の世界は基本的に自分の生活圏で「自己中心的」に静かに孤立して生活しているという表現が実態に近いと考えている。互いに適度な「距離」をとっている、と言ってもいい。親しき中にも礼儀あり、という言葉があるが、野生動物の世界にも、同じような適正な距離感というのがあると考えられる。

 人間と野生動物の関係も同じで、適正な距離感がなければ、関係が破綻してしまう。人里近くで生まれ育ったヒグマのことを「新世代熊」と呼ぶことがあり、新世代熊は人間の生活音に慣れ、人間を恐れないという。これは、ヒグマと人間の距離感が崩れ始めているということだ。

人間に対する「恐怖心」を持たせる必要性

 こうした中、適正な距離感を保つために有効だと考えられるのが、人間に対する恐怖心、人間のなわばりに近づいてはいけないという認識を野生動物に与えることではないだろうか。

 その観点から有効なのが狩猟や許可捕獲である。狩猟というのは、狩猟免許に基づき狩猟期間中に狩猟鳥獣をとることであり、いわゆる狩りである。一方、許可捕獲というのは、生態系などへの被害防止や個体数調整を目的として都道府県の許可を得て行うもので、農作物被害等を防ぐためのものである。

 知り合いのハンターによれば、エゾシカはハンターを恐れて狩猟許可区域を避け、禁猟区にかたまっているという。つまり、狩猟行為がエゾシカに一定の圧力を与えていることになる。ヒグマについても同様のことが言えないか。

 1989年に春グマ駆除活動が中止されたことがヒグマに対する捕獲圧の緩和となって、ヒグマが人を警戒しなくなった要因と考えられているのだ。それまでは春になればハンターがクマを駆除していたため、ヒグマが人間の「なわばり」に近づくことを恐れていた。

 春グマ駆除活動中止直後の1990年の道内ヒグマ推定個体数が5200頭で、現在1万頭を超えているから、春グマ駆除中止は、ヒグマ個体数増加の原因にもなっていると考えられる。

 北海道では、近年のヒグマ出没件数、ヒグマ被害の増加を受けて、春グマ駆除活動を再開すべきではないかとの意見も増えてきているようだ。しかし、そもそもハンターの数が減ってきているという問題もある。つまり、野生動物の生活圏に近い山間部の人口減少とも関連していることになる。

農村部の過疎化がヒグマ被害の増加に?

 大きな視野で見てみれば、日本社会の人口減少によって、特に農村部の過疎化が進み、それが人間社会のなわばりを縮小させている、とも言えるのではないだろうか。

 つまり、ヒグマをはじめとする野生動物被害の増加は、日本社会の縮小という現実を反映している。私たちは日本社会の縮小という現実に適応し、野生動物との距離感を改めて考え直さなければならない地点に立っている。

 ヒグマやエゾシカは、何かの間違いで都市部に入ってきているのではなく、当たり前のようにすぐそこにいるというのが現実になりつつある。ヒグマが人間を警戒するように、人間も野生動物を警戒しなければならなくなっている。この現実は、人間が圧倒的優位に立って野生を脅かしてきたこれまでのあり方に疑問符を突き付けているのだ。


亀山 陽司(かめやま ようじ)Yoji Kameyama
著述家、元外交官
1980年生まれ。2004年、東京大学教養学部基礎科学科卒業。2006年、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻修了。外務省入省後ロシア課に勤務し、ユジノサハリンスク総領事館(2009~2011年)、在ロシア日本大使館(2011~2014年)、ロシア課(2014~2017年)など、約10年間ロシア外交に携わる。2020年に退職し、現在は森林業のかたわら執筆活動に従事する。北海道在住。近著に『地政学と歴史で読み解くロシアの行動原理』(PHP新書)