ペールグリーンの着物姿で、来日したベトナム国家主席夫妻を出迎えられた雅子さま(11月28日)

 12月9日、還暦を迎えられた雅子さま。今年は、陛下と結婚されて30周年という節目の年でもあった。

雅子さまと望まれた結婚

乃万暢敏さんは'19年のお正月、お代替わりを控えた皇太子ご夫妻(当時)と面会された

「当時皇太子だった陛下のお相手は、いずれ皇后陛下になられるお方。陛下に“どなたでも構わない”というお考えはなく、あらゆる角度から見て雅子さまと結婚なさりたかったのだと理解しております」

 そう振り返るのは、陛下のご学友である乃万暢敏さん。外交官だった小和田雅子さんの第一印象を問うと、

「バリバリのキャリアウーマンという印象ではなく、どなたに対しても平等に接してくださる、上品で謙虚な方だと思いました」(乃万さん)

 雅子さまが皇室入りされる前から交流があるというハープ奏者の長澤真澄さんも、当時の思い出を語る。

「初めて雅子さまとお会いしたのは'87年4月、サントリーホールで行われた私のハープリサイタルの後でした。私の母は、以前から雅子さまのお母さまと面識があったため、演奏会のお知らせをしたのだと思います。お母さまとご一緒に黄色いバラの花束を持っていらした雅子さまは、華やかな笑顔とブーケがとてもよくお似合いで、聡明で明るい方という印象でした」

 週刊女性が《お妃候補・小和田雅子さん電撃浮上!》と題して、それまでノーマークだった外交官の名を報じたのは'87年末。陛下が雅子さまにプロポーズされたのは、それから約5年後のことだった。

「外交という分野では、外交官として仕事をするのも、皇族として仕事をするのも、国を思う気持ちに変わりない」

 そのおことばが、29歳だった雅子さまの心を動かしたというが、もとより結婚願望はおありだったようだ。

学生時代の雅子さまを知る同級生が語る

 雅子さまが小学校3年から高校1年まで通われた田園調布雙葉学園の同窓生が語る。

「'90年代初頭に、雅子さまと同窓会でお会いしたときのことです。雅子さまは、すでに結婚していた私に“いいな、私も結婚したい”とおっしゃって。そのころにはお妃候補としてお名前が挙がっていましたから“皇室に嫁がれるのでは”と期待していました」

 '93年6月に陛下と結婚され、皇太子妃がご誕生。日本中が“雅子さまフィーバー”に包まれる中、周囲の熱は次第に“お世継ぎ”へのプレッシャーへと変わっていく。

「'99年12月、雅子さまにご懐妊の兆候がみられたものの、残念ながら『稽留流産』となりました」(宮内庁OB)

 それから2年後、'01年12月に愛子さまがお生まれに。ご誕生に際しての記者会見で雅子さまが「生まれてきてくれてありがとう」と涙ぐまれるお姿は、国民の涙を誘った。

「愛子さまが誕生されてから、雅子さまはご表情が柔らかくなったと思います。'16年に同窓会で雅子さまとお会いした際、“テレビで拝見する愛子さまのお洋服がいつも可愛らしいです”とお伝えすると、すごく喜ばれていました」(前出・同窓生)

愛子さまとともに手を取り踊られて

 一方、皇位継承の資格を持つことができる男子の誕生を望む声が、雅子さまを追い詰める。'03年末には『帯状疱疹』を発症し、長期の静養に入られた。

 前出の乃万さんは、病院からお帰りになる雅子さまの映像を見て、急いで陛下に連絡を取ったという。

「“これはただごとではない。心療内科か精神科医にご相談ください”とお伝えしました。その後、すぐに精神科医の大野裕先生による治療が始まりました」(乃万さん)

東宮御所で長澤さんのハープを触って楽しまれる愛子さまと雅子さま('04年)

 '04年7月、医師団は雅子さまの症状を『適応障害』であると公表した。このころ、前出の長澤さんは東宮御所へ招かれ、雅子さまとの再会を果たす。オランダ在住の長澤さんが、日本で開かれるコンサートのために一時帰国していたタイミングだった。

「当時2歳だった愛子さまは、歩いたり走り回ったりするのが楽しそうで、特に階段の上り下りがご自慢のようでした。ハープの演奏を最初は静かに聞いていらっしゃいましたけれど、ご存じの曲では雅子さまの手を取って、一緒に踊られて……。愛子さまのはしゃぎようを、雅子さまはとてもうれしそうにご覧になっていました」(長澤さん、以下同)

 '06年の夏、両陛下と愛子さまは、オランダで2週間にわたり静養された。ご帰国後、長澤さんは3度目となる御所へのお招きを受ける。

「お庭で虫を捕ってきた愛子さまが、手のひらを広げて見せてくださったのが、可愛らしかったです。また、フラフープを得意げに披露してくださいました。私は、クラシック音楽が大好きでいらっしゃる陛下とともにデュエットで演奏させていただき、それを雅子さまは、とても幸せそうに聴き入られていました」

オランダ国王の即位式で

オランダご静養にて、同国の女王や王族方と馬車庫を見学されたご一家('06年8月)

 両陛下は'13年4月、オランダ国王の即位式へ。療養中の雅子さまにとって、外国への公式訪問は11年ぶりだった。ご滞在中、陛下は現地在住の日本人とご懇談。その中には長澤さんの姿もあったが、ご体調を考慮し、雅子さまはお出ましにならなかった。

 すると、長澤さんを含む2名が側近から声をかけられ、両陛下が控えておられる別室へ案内してもらったといい、

「雅子さまが、私との面会を希望してくださり、大変光栄でした。7年ぶりの再会では即位式の感想以外にも、愛子さまのご近況として“チェロを始めたのですよ”とうれしそうに教えてくださいました」

 長きにわたる雅子さまとの交流を通して、長澤さんはあることに気がついた。

「雅子さまは、愛子さまと接するときに“どうですか”“こうしましょうか”と確認されるのです。一般的な大人にありがちな“こうしなさい”とたしなめる言い方をされず、子どもにも“個人を尊重”されるところが素晴らしいと思います」

 そうした姿勢が、ご一家の雰囲気を和やかにしている。

「天皇家には常に笑い声が満ち溢れていると感じます」

 お正月のご挨拶でたびたびお住まいを訪ねていたという前出の乃万さんが続ける。

「陛下からご連絡を賜る際には、必ず“雅子と愛子も、くれぐれもよろしくお伝えくださいと申していました”とのおことばをいただいております。聞き間違いかもしれませんが、雅子さまは陛下のことを“あなた”と、陛下は“雅子”とお呼びになっていると思います」

 '19年5月、お代替わりに伴い、民間出身として史上2人目の皇后陛下となられた雅子さま。ご体調には波があるというが、現在は国内外の公務に邁進されている。

「両陛下とも終始にこやかで、競馬観戦、そして競馬博物館でお過ごしになられた時間を楽しまれているご様子でした」

 そう話すのは、日本中央競馬会(JRA)の関係者。今年10月、両陛下は東京競馬場で秋の天皇賞を観戦された。競馬場に到着された両陛下が、お出迎えした2頭のポニーとふれあわれるひと幕も。

「両陛下とも馬がお好きであるとともに、非常に馬に慣れていらっしゃるようにお見受けしました。特に皇后陛下におかれましては、競馬博物館へ向かって2、3歩進まれたのち、振り返ってポニーの前に戻り、もう1度ポニーを撫でてから移動されていました」(JRA関係者、以下同)

馬に興味関心がある雅子さま

10月29日、東京競馬場を訪れ、貴賓室のバルコニーから秋の天皇賞をご覧になった両陛下

 競馬観戦自体が初めてだったという雅子さまは、

「展示物を丁寧にご覧になり、ご質問やご感想をお話しになる目が輝いておられました。昭和天皇のお手馬であった白馬の馬名や、競走馬を御す(巧みに扱う)道具などについてご質問があったことから、馬という動物に関心を持たれ、理解を深めたいというお気持ちが伝わってきました」

 各地へ足を運び、国民や動物に心を寄せられる国母を陰ながら支えてきたのが、ご両親の小和田恆さんと優美子さんだ。

「外交官だった恆さんの海外赴任に合わせ、世界各地で生活してきた小和田家は、深い絆で結ばれています。'04年には、ご療養に入られた雅子さまが、愛子さまを連れて、長野県軽井沢町にある小和田家の別荘で静養されたこともありました」(皇室担当記者)

 皇后となられた今でも“小和田家の娘”であることに変わりはない。そんな雅子さまにとって重大な出来事が、このほど起こっていた。

小和田邸が“空き家状態”

'03年9月、幼い愛子さまを連れてご実家の小和田邸に里帰りされた雅子さま。ご両親もうれしそう

「都内にある雅子さまのご実家である小和田邸が“空き家状態”になっているんです」

 11月下旬、小和田家に近しい人物から提供された情報をもとに本誌は現場へ向かった。閑静な住宅街でひときわ存在感を放つ白い外壁。邸宅の敷地面積は約400㎡にも及ぶ。

「恆さんは、'18年6月に国際司法裁判所の判事を退任し、15年間暮らしたオランダから帰国しました。その後、当時80代だったご夫妻が住みやすいように、ご実家をリフォームしたそうです」(前出・皇室担当記者)

 皇后陛下の肉親は“警護対象”であるため、自宅前にはポリスボックスが設置されている。しかし、24時間、警戒にあたっていたはずの警察官の姿が、今はない。

 小和田家に起こった“変化”について近隣住民に聞くと、

「つい先日、小和田さんご夫妻はお引っ越しされましたよ。雅子さまの妹さんが暮らす都心のマンションの1室が空いたタイミングで、お住まいを移すことになったようです」

住み慣れた場所を離れるのは寂しい

 11月に入ってからは、トラックや見慣れない車が頻繁に自宅前に止まり、荷物が搬出されるように。

「自宅にある大量の本は、大学などに寄付されるとか。ただ、お住まいを誰かに引き渡すわけではないので、荷物の一部は残してあり、“必要なものがあれば、取りに戻ってきます”と、奥さまが話していました」(同・近隣住民、以下同)

 ご近所と親しくお付き合いされていたという雅子さまのお母さま。「引っ越し前にはご近所への挨拶回りを済ませ、住み慣れた場所を離れることを寂しがっていらっしゃいましたね」

 別の近隣住民は、引っ越し前に小和田邸を訪問していた。

「転居のご挨拶のお礼に、お菓子を持って伺ったら、奥さまが“どうぞお上がりください”と。応接間に案内していただいたのですが、引っ越し前とは思えないほど整理整頓されていて、壁には素敵な絵画が並べられていました。私が“最近、膝が痛くて”とお話しすると、奥さまも“私も足腰が悪くなってきたので、こうやってストレッチしています”と、実際にやって見せてくださいました」

 恆さんは91歳、優美子さんは85歳。高齢となったご両親のことを、雅子さまは常に案じておられるようで……。

「皇后というお立場上、ご両親に何かあった時にすぐに駆けつけられるとは限りません。小和田家の長女として、ご両親のことを最優先に考えられた結果、妹さんの目が届く場所に転居させるという“親孝行”に辿りついたのでしょう」(皇室ジャーナリスト)

 還暦目前の“大英断”で不安を払拭された雅子さまは、ますます輝きを増していく。