1988年に日本ゴールドディスク大賞を受賞した中森明菜(当時22歳)

「私こそ、2時間も遅れちゃって……」

 かつての番組で、そんなセリフを口にした中森明菜。

「2017年末から活動を休止していましたが、2022年に新たな個人事務所を設立しました。2023年末にはYouTubeチャンネルを開設し、セルフカバーした新『北ウイング』を収録したときの様子を公開。今年1月には、衛星放送のテレビ番組に肉声を寄せています」(スポーツ紙記者)

 今年5月でデビューから42年を迎える明菜。公には久しく姿を見せていないが、そんな彼女と気軽に連絡を取り合う人物がいる。

田原俊彦さんです。2023年末に出演したテレビ番組で“今日は明菜がね、見てくれてるんで”と発言していました。これまでも田原さんは、たびたび明菜さんから電話があったことや、留守電が入っていたことを明かしてきました。ただ、途中から音信不通になったとも話しています」(芸能ライター、以下同)

 ふたりの出会いは、明菜がデビュー前に出演していたテレビ東京系の『ヤンヤン歌うスタジオ』(以下、『ヤンヤン』)での共演にさかのぼる。

田原俊彦のどこがいいのかしら?

「1977年から10年間にわたって放送された『ヤンヤン』は、アイドルが多数出演し、歌だけでなくコントやトークもある音楽バラエティー番組。明菜さんと田原さんは、たびたびコントを披露していましたよ」

 冒頭のセリフこそ、同番組で演じたコントのワンシーン。田原が刑事役で、明菜は女性警察官。そしてふたりは恋人同士という設定で、こんな会話を続けた。田原が、

「急に、中森明菜というタレントの警備に行かなくちゃいけなくなってさ。まったく、中森明菜のどこがいいんだろうな!」

 と言うと、明菜も、

「私こそ、田原俊彦とかいうタレントの警備に引っ張り出されちゃって。いったい田原俊彦のどこがいいのかしら?」

 と応戦しては笑いを誘った。

『新春かくし芸大会』でペアを組んだ田原俊彦と中森明菜(1986年11月)

『ヤンヤン』は、明菜にとって特別な番組だった。同番組のプロデューサーだった男性が、こう明かす。

「トシ、パーマかけたよ」LINEでやりとり

「明菜にとって『ヤンヤン』の収録は特別な場所だったはず。当時のアイドルは、朝から晩まで働き、学校もロクに行けなかった時代。スタジオのロビーには、同年代の出演者が集まって、いつも楽しそうにワイワイやっていました。明菜のマネージャーから“今週『ヤンヤン』の収録が入っていないって明菜が怒っている”と電話が来たこともありましたから(笑)」

 特別だった番組での“絆”は今も続く。ふたりは、どんなやりとりをしているのか。

最近はLINEでやりとりしているようです。明菜さんから“トシ、パーマかけたよ”というメッセージと一緒にノーメイクの写真が届いたことを、ファンクラブのイベントで明かしていました」(田原のファン)

 田原の所属事務所に明菜との交流を聞くと、

「普通に連絡は取っていますよ」

 とのこと。“盟友”との縁が復活を加速させるか!?