松田聖子

「この曲から私は、たくさんのことを教えてもらったというか……。本当に何があっても、どんなときも前向きに生きていかなきゃいけない、頑張っていかないといけないということを、この曲から教えてもらいました」

 3月9日に放送されたフジテレビ系の音楽番組『MUSIC FAIR』で、ある楽曲について問われた松田聖子は、静かにそう語った。

「2月14日に新アルバムの『SEIKO JAZZ3』をリリースしました。自身や有名アーティストのカバー楽曲を収録したジャズアルバムですが、第1弾は'17年に全米でリリースされています。聖子さんは'90年に全米デビューを果たしますが、ふるわなかった苦い経験があるのです。それを払拭するための勝負に出たのでしょう」(スポーツ紙記者、以下同)

同じ悩みを抱えていたレジェンド

 第1弾が好評だったのか、'19年には2作目を発売。そして約5年という月日を経て、3作目がリリースされた。冒頭で聖子が語ったのは、今回のアルバムに収録されたレジェンドミュージシャンの“超有名楽曲”についてだった。

「それがエリック・クラプトンの『ティアーズ・イン・ヘヴン』という曲です。クラプトンは、'91年に4歳だった息子が高層マンションの窓から転落して亡くなっており、同曲は亡くなった息子への思いを歌ったもの。'93年にはグラミー賞で最優秀レコード賞など3部門を受賞しています。聖子さんが『MUSIC FAIR』で披露した楽曲のひとつに、そのクラプトンの曲が入っていたのです」

 聖子も'21年12月、娘・神田沙也加さんが札幌市内にあるホテルの窓から転落して亡くなっている。

「この2年間で聖子さんが仕事を休んだのは、わずか4か月ほど。父親の神田正輝さんも、レギュラーの情報番組に休まず出演し続けていました。2人とも昭和からのスターですから、仕事に穴をあけてはいけないとするプロ意識があったのだと思います。復帰にあたって聖子さんは、ファンクラブの会報誌で“沙也加のためにも歌っていく”と、その胸中を吐露していました」(芸能ライター、以下同)

もがく聖子の一方、“元恋人”が…

 歌うことが、聖子にとって傷ついた心を癒すということなのだろう。それはクラプトンも同じだった。

「クラプトンは自伝で、当時の苦しい気持ちを明かしています。自宅に引きこもり、アルコールやドラッグに溺れるようになるのではないかと周囲は心配していましたが、クラプトンはその悲劇を乗り越えるため、楽曲制作に打ち込み、'92年に『ティアーズ・イン・ヘヴン』を発表するのです」

 しかし、クラプトンは'04年から同曲を歌うのをやめたことも。その理由は“喪失感”が消えたからだとインタビューで語っている。約10年にわたって、苦しみ続けたクラプトンも歌うことで癒されたのかもしれない。

「'13年ごろからは、クラプトンも同曲をコンサートなどで歌うようになったそう。年を重ね、思うところがあったのでしょう。聖子さんはファンクラブのイベントで、沙也加さんの話をして泣き崩れることもありました。気丈に振る舞っていますが、まだ苦しみのさなかにいるはずです

 最愛の娘がいなくなった世界でどう生きていくべきか、今も聖子はもがき続ける。

神田沙也加さん

 その一方、動き始めた人物がいる。沙也加さんの元恋人であった前山剛久だ。

2月に前山さんがインスタグラムのアカウントを新規開設したのです。韓国らしき街並みの写真とともに《これから自分のやりたい事をやっていけたらと思います》と投稿していました。沙也加さん急逝の背景には、当時交際していた前山さんの浮気や沙也加さんに向かって暴言を吐いたことが原因だとする報道もありました。海外で再スタートを切るつもりなのでしょうか」(前出・スポーツ紙記者、以下同)

 前山は'22年6月に当時の所属事務所を退社。誹謗中傷が相次ぎ、事実上の引退だと思われた。が、沙也加さんの死から1年後、突然ふたりの関係は良好だったとする一部報道が飛び出した。

「記事では前山さんの知人や俳優仲間らが、彼の近況を語っています。沙也加さんのお墓参りをしたいと、沙也加さんのマネージャーに連絡しても、返事がないそう。事務所を辞めてからは、貯金を取り崩して生活をしているとも書かれていました」

 しかし、沙也加さんの訃報から2年たった'23年12月、『週刊女性』が沙也加さんの所属事務所の代表である聖子の兄に電話で話を聞いたが、

「前山さんからの連絡はいっさいありません。沙也加のマネージャーも、連絡は来ていないと言っています」

 と語っていた。

「ふざけるな」関係者の思い

 沙也加さん亡き今、真相はわからない。だが、前山の知人はこんなことを明かす。

「沙也加さんが亡くなった後も、前山さんは俳優仲間らに“飲みに行こう”と連絡していました。一方で“今後は事務所に所属せず、個人で活動していく”とも語っていたとか。昨年からは旧知の芸能関係者に“一緒に仕事しませんか”と連絡していたそうですけど、国内ではめどが立たなかったのかもしれません。だからこそ、韓国での俳優復帰をもくろんでいるのかも。投稿を見ると、今は日本に戻ってきているようです」

舞台『マイ・フェア・レディ』で沙也加さんと共演していた前山剛久だったが……

 今後の予定について、前山が監査役として名を連ねる親族の会社に電話をした。電話口に出た男性は、

「どこの誰? もう一度名前を言って。オタクらのせいで迷惑しているんですよ。聞いてます? 弁護士に相談しますから」

 そう一方的に話すと電話を切った。

 聖子やその関係者たちは、前山についてどう思っているのだろうか。

「聖子さんの兄や沙也加さんの事務所関係者は、どうしても前山さんを“許せない”という気持ちが強くある。前山さんが芸能界への復帰に向けて動いているというニュースを見て“ふざけるな”と思っているはず。それはきっと、聖子さんも一緒だと思います」(芸能プロ関係者)

 聖子が歌ったクラプトンの曲には、こんな歌詞がある。

「天国で再会したら、同じあなたでいてくれるかな」

 聖子の脳裏には、幼かった沙也加さんを抱いた思い出が鮮明に蘇って─。