ノーアポで芸能人に直撃取材するのが当たり前だった

「番組の冒頭からいきなり〝バカヤローてめえ、ぶっ殺すぞ!〟って、男が恫喝している映像が流れてるんですから、みんなテレビに目がいっちゃいますよ」

 ’80 年代というワイドショーが華やかなりしころの、『アフタヌーンショー』(NET、現テレビ朝日系)チーフディレクターで、現在はテレビメディア評論で活躍している原地隆さんは当時を振り返る。

「当時のテレビはまだ白黒で、各局ともずば抜けて面白い番組とか、看板番組というのはなかったから、それまで見たこともないスタイルの番組はすぐに話題になりました」

 まだVTRの技術も低く、スタジオでのトークと新聞記事をなぞる程度であったが、やがて事件や芸能ニュースをレポーターが取材し、その内容をスタジオでドラマチックに披露する形式が確立して、現場の臨場感がダイレクトに伝わる内容になっていった。

「それまではレポーターが芸能人を直撃するなんてことはなかった。何か聞きたいことがあるときは、プロダクションに連絡して本人に時間を作ってもらい、用意した部屋でカメラもちゃんとセッティングして、アナウンサーが“どうなんでしょうか?”と聞いたりしてたんですよ」

 事前にアポイントをとらず予期せぬ直撃を受けた芸能人は、準備ができていないため、ついつい本音が出てしまう。視聴者は芸能人の意外な素顔や側面を見ることのできるワイドショーの虜になった。

「芸能人も一般人と同じで、結婚もあれば離婚もある。つまり、プライバシーはある。しかし、その間口は一般人と比べてはるかに狭く、制限されると僕は思うんです。直撃されるほうは不愉快だろうが、結婚会見をやった以上は、離婚会見もやって真相を話すべき。それをしないから直撃するんで、悪いとは思わない」

芸能人のスキャンダルを放送も、事務所側から他番組への出演NG通達が

 しかし、その姿勢がいろいろな軋轢を生んでいく。原地さんが取材を終えてテレビ局に帰ってくるやいなや、編成局長から、

「オイ、原地、どうしてくれるんだよ。○○さんがもう、ウチの番組には出ないって言ってるよ。やめてくれないか」

 といった呼び出しも頻繁にあったという。

「芸能スクープをとって、視聴率が上がれば上がるほど上層部からはにらまれました。特にバラエティーと歌番組のプロデューサーとはしょっちゅうモメてました」

 そのたびに原地さんは、

「だったらこんな番組はやめたらいい。芸能人やプロダクションの顔色をうかがいながら取材なんてできません」

 と、突っぱねていたという。

 さらに〝ワイドショー熱〟を高めたのが、今では少なくなった人生相談や家出人捜索。家出した妻と残された家族がスタジオで対面し、感情むき出しで繰り広げられる愛憎劇に、茶の間の主婦たちは家事も忘れてテレビに見入った。

 狙いは当たって、番組の視聴率は上昇を続け、ついに原地さんをはじめスタッフ全員の悲願が達成されることに。

「私たちの目標は裏番組の『笑っていいとも!』を抜くことでした。『アフタヌーン~』の金曜放送は常時12%ほどで『いいとも』が20%でした。抜いたその日は、『山一戦争』を放送したんです」

 暴力団の抗争で、一般人も巻き込み多くの死者を出した『山一戦争』。原地さんたちは組事務所を直撃し、冒頭にあるように組員から恫喝されたのだ。その一部始終をカメラで撮影して放送、視聴者を画面に釘づけにした。

 カメラマンは怒鳴られるだけでなく、どつかれ、着ている服は破かれ、文字どおり身体を張った取材だった。

「ワイドショーが社会を作るんじゃない。社会がワイドショーの形態を作っているんです。今の時代は主婦だって芸能だけが楽しみではなく、社会、経済、政治に興味を持っています。だから、ワイドショーも変わっていって当然です。ただ、芸能ニュースも含め“大本営発表”のようなものじゃなく、ちゃんと深く取材しなさいと言いたい」