長与千種
現在は都内でドッグサロン『Dog's Tail』や千葉で居酒屋『Ring Side』なども経営

「レスラーになるまで、プロレスにはまったく興味がありませんでした。レスラーになってからも正直言って、プロレスをやっていて楽しいと思ったことはなかったです」

 長与千種の口から出てきたのは意外な言葉だった。

「プロレスは小さいころ父に連れられて2回ほど見に行きましたが、特に何も感じませんでした。憧れていたのはお医者さんでした」

 そんな彼女が、レスラーを目指したわけは、当時の長与が置かれていた家庭環境にあった。両親と離れて親戚の家を転々とする生活から1秒でも早く抜け出したいと、毎日悶々としていた彼女は、あるとき雑誌に出ていた新人レスラー募集広告を目にした。

「月給10万円と書いてありました。35年前のことですし、15歳の子どもからしたら、10万円というのはすごいと思ったんです」

 そのときすでにその年のオーディションは終わっていたのだが、つてを頼ってなんとかオーディションを受け、結果は一発合格。入団すると、厳しい練習が待っていた。

「朝はランニングや縄跳びなどで基礎体力をつけ、午後は技の練習やスパーリングで1日中練習です。特に毎日約20キロのランニングが半端じゃなかった。往路はずっと上り坂です。当然、帰りは下り坂ですから、足がガクガクしちゃうんです。入団した翌日に帰りたいと思いました」

 頑張って70キロまで増量した体重は、1か月後には58キロまで落ちていた。どれほどキツイ練習なのか想像がつく。

 そして、入団1か月後にはプロテストも合格。長与の公式デビューは’80 年8月8日の田園コロシアムとなっているが、実はその少し前に行われた試合。プロテスト合格から1か月がたっていた。

「平塚の青果市場の駐車場にこしらえた特設リングで、出場できなくなった選手の代わりです。デビュー戦は大きな会場でやりたかったけど仕方なくリングに上がりました」

 結果はボコボコにされ、わけもわからないうちに3カウントを聞いていた。

 デビューはしたが、その後もたいした成績をあげられず、セミファイナルやメーンの試合はまだまだ遠いところにあった。

 長与は「もうプロレスを辞めよう」と考え、最後にライオネス飛鳥に戦いを申し込んだのだった。

 結局、この試合がきっかけで『クラッシュギャルズ』が誕生。中高生の少女たちを熱狂の渦に巻き込んで、新たな女子プロブーム牽引の立役者となったのは言うまでもない。

 しかしブームというのは必ず終焉がやってくる。長与に一番つらかったことを聞いたら、練習でも試合でもなく、『クラッシュ』の人気が下火になったころに、

「巡業先で宿代が払えなかったことがありました。観客が少なくて予定していた売り上げに達しなかったんです。いま思い出しても切ないです」

 25年間、レスラー生活を続け、現在は引退したが、今でも大きな大会があるとちょくちょく呼ばれるという。

「去年は2試合やっています。プロレスは好きだけど、ずっと“看板”で居続けるのは大変です。試合はいつも緊張感でいっぱいでした。でも、プロレスラーになってよかったと思います」

 現在、長与はプロレスの興行プロデュースも行っており、近々、新団体を旗揚げするという。どんな団体になるのか興味がわいてくるが、

「まだ秘密です」