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いま、プロレスが熱い! それも女性のあいだで熱い! 闘うマッチョな男たちに萌え萌えな女性たち。中でも、ひときわ熱い視線を受けるのが新日本プロレスのイケメンレスラー・棚橋弘至だ。プロレスの人気絶頂期に入団するも暗黒時代に突入。苦難の時代を知る男が新しいプロレスの扉となって、今日も四角い戦場に立つ!


 ’95年春、棚橋弘至は立命館大学法学部に入学した。受験シーズンを前に、両親はユニークな行動をとっている。

「弘至の前に30万円の札束を積みました。これで、好きな大学を受けなさいって」

 棚橋は福井県立大学や愛知大学、名城大学にも合格していたが、自ら京都で学ぶことを選ぶ。進学に際しては、父が巻き紙に筆書きの手紙をくれた。棚橋は、その内容をずっと忘れずにいる。

 彼は述懐した。

「"誰が人生の主役かを考えて頑張れ"と激励してもらいました。親父の手紙が新しい生活の支えになりました」

 胸中にプロレスラーへの憧れはあったが、現実的には「スポーツ新聞の記者になろう」と考えていた。そのうえでの選択が立命大だった。

 もっとも、彼の古い仲間からは、こんな話が─。

「高校時代のカノジョが先に関西の大学に進学を決めたんで、タナは慌てて京都の大学を受けたんじゃないかな」

 脱線ついでに、棚橋の愛妻は中学の同級生だ。友人たちの情報を公開しよう。

「彼女はタナの初恋の相手。クールな感じの子です。だけどタナは3回アタックして、3回ともフラレていた」

 それでも、棚橋は初志貫徹してゴールインしてみせたのだから、かなり粘り強い。いや、この「夢をあきらめない」姿勢こそ、レスラーとしての彼のかけがえのない特徴になっているのだ。

プロレスとの出会い

 彼は大学で学生プロレスと出あう。少年時代にプロレスファンだった記憶が蘇った。

「僕らの世代は、ギリギリでゴールデンタイムの中継を見ることができました。新日本プロレスは、猪木さんや藤波辰巳(現・辰爾)さんに加えて、闘魂三銃士の人気が盛り上がってきたころ。全日本はジャンボ鶴田さんや四天王が活躍。両団体を股にかけた長州力さんも健在でした」

 ほかにも前田日明や高田延彦のUWFが話題となり、大仁田厚のFMWはインディーズブームをつくった。’90年代は、プロレスが社会的に注目を集めていた時代だった。

「学生プロレスはショー的な要素が強いけど、いっぱしのレスラー気分を味わえるのがうれしかった」

 これで、棚橋のレスラー志望の炎が再点灯した。身長181センチながら体重65キロと細身だった彼は、本気で肉体改造に取り組んだ。棚橋は、現在の彼に通じる突進ぶりをしゃにむに発揮する。

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19歳のころ。新日本プロレス入団テストの応募写真


 母は息子の激変に驚いた。

「帰省のたび、身体がどんどん大きくなっていくんです。駅まで迎えに行くと、牛乳の1リットルパックとバナナを持って立ってるんですよ」

 徹底的にトレーニングして、たらふく食べる。シンプルだが、これに勝る方法はない。

「学食の定食は1回で3人前を平らげてました。ほかにツナ缶、ミルクやプロテイン、アミノ酸なんかを山ほど摂取するんで仕送りやバイト代だけじゃ全然足りないんです」

 財布がピンチ! 息子のSOSに応えるため、母はためらうことなくパート勤めをしてくれた。棚橋は学生プロレスに飽きたらず、アマチュアレスリング部の門を叩く。アマレスの基本とリアルな強さを求めていた。

「4年生でインカレに出場しましたし、西日本学生リーグ2部だったチームを1部へ昇格させることもできました」

 柔道の段位を得たし、少林寺拳法の道場にも通った。彼の情熱に呼応し、身体はどんどん逞しくなっていった。

「体重が80キロを超えた大学2年の春(’96年)に、新日本プロレスの入団テストを受けたんです。スクワット、腕立て伏せ、懸垂、ロープ登りといった厳しいテストを全部クリアできたんですけど、なぜか失格でした」

 棚橋は納得ができなかった。そして"夢をあきらめない男"の本領が発揮されるのはここからだ。後日、新日のスタッフに直談判した彼は、粘りに粘って再試験の承諾を取りつけてしまう。

「でも……せっかくのチャンスだったのに、風邪で体調を崩して散々な出来でした」

 結局は’98年2月、3度目の正直で合格を勝ち取った。

「まだ大学3年生だったから、大学で一番早く就職が決まったと両親に報告しました。ただ、長州さんから"卒業だけはしておけ"とアドバイスされ、プロレスラーになったのは’99年4月です」

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入団の日、家を出る際に両親、祖父母と


 わが子がレスラーに─普通なら戸惑うだろうが、両親は快く背中を押してくれた。

「親父からはその後も、マメに連絡が来ました。"期待どおりの毎日か?"と尋ねるだけなんですが、僕のことを思ってくれる気持ちがストレートに伝わってきます」

 棚橋は、両手を合わせ親への感謝の意を示した。


取材・文/増田晶文 (※本記事は『週刊女性PRIME』用にリライトされているため、必要に応じて加筆修正してあります。全部で3部の構成になっています。続編も是非、お読みください) 撮影/伊藤和幸