s-kokubun2

 

TOKIOの国分太一が7年間の交際期間を経て、元TBS社員だったAさんと入籍したことを発表した。



《この度の大雨による被害に遭われた皆様、ならびに現状も避難を余儀なくされている皆様、本当に心よりお見舞い申し上げます》


 

被災者を慮る書き出しで始まる結婚報告が、FAXでマスコミ各社に届いたのは9月11日の午後4時ごろ。



「発表した日の午前中に、ふたりは都内の区役所に婚姻届を提出。本来なら国分が司会を務める朝の情報番組『白熱ライブ ビビット』(TBS系)で発表し、その後、会見を行うはずでした。ですが大雨による大災害で、それどころではなくなった。なので、控えめな発表になってしまったのです」(スポーツ紙記者)



 

ならば、発表を延期すればという声もあるだろうが、国分サイドにはそれができない事情があったという。



「11日にファンクラブ会員のもとに《国分太一からのお知らせ》と書かれたカードが届いたのです。中に入った丸型の紙を回すと、《この度、私国分太一は結婚することになりました》というメッセージが出てくる仕組み。太一さんのファンを思う気持ちがとても伝わってきました」(ファンクラブ会員のひとり)



 

災害が起こる以前にファンへの発送手続きをしていたため、マスコミへの結婚発表を延期することができなかったのだ。仕方なくFAXで先に発表し、会見は後日という流れになった。



 

国分がAさんとの交際を報じられたのは’08年5月。きっかけは国分のひと目惚れといわれ、何度も“結婚報道”が流れた。



「’11年にAさんがTBSを退社。寿退社ではという記事が出ましたが、ゴールインすることはなかった。翌年には国分がフジテレビのロンドン五輪のキャスターに決まっていたので、それが終わって入籍と報じたところもありました。そんな報道合戦の最中に、堂本光一の舞台終わりで記者に囲まれたジャニー喜多川さんが、“国分は結婚するんでしょ”なんて、リップサービスしたこともありましたね」(前出・スポーツ紙記者)



 

ジャニーズの総帥にまで認められていながら、なぜここまで結婚が延びてしまったのか。ひとつは、ジャニーズの“暗黙のルール”が影響していたのではと、芸能レポーターの石川敏男氏は語る。



「SMAPなら木村拓哉、V6ならイノッチこと井ノ原快彦。そして、TOKIOでは山口達也が’08年に結婚している。いままでジャニーズは1グループ1人しか結婚できないという暗黙のルールがあったけど、彼がそれを打破してくれた。もう、年齢的に婚期を迎える人がたくさん控えているから、これを機にどんどん結婚してほしいけどね」



 

だが、ジャニーズタレントを縛るのはそれだけではないそうだ。結婚したいという人に対し、事務所の幹部が結婚後の人気の動向について具体的な数字などを出して説明するケースがあるという。



「その話し合いの席で、“それでも、結婚するの?”って聞くんですよ。多くは、目の前に突きつけられた現実に臆して、結婚を決断できない場合が多い。国分クンもこのパターンでしたね。ま、さすがにAさんも38歳になったし、腹を決めたんじゃないかな」(元ジャニーズ関係者)



 

だが、待たされたAさんにとって、そんな国分の姿はどう映ったのだろうか。


「現役アイドルとテレビ局社員との結婚はいろいろ問題があるのでしょう、Aさんは国分さんからテレビ局を辞めてほしいと頼まれたそうです。彼女としては仕事に未練があったそうですが、彼の言葉を信じて決断したんです。でも、結婚の話はいつも延び延びになり、Aさんは海外へボランティア活動に行くなど気持ちの整理をしていた。Aさんはよく我慢できたなって思いますよ」(TBS関係者)