木箱の行灯
 2月21日、すい臓がんのため59歳の若さで亡くなった坂東三津五郎さん。家族以外にも、ごく最近まで三津五郎さんの姿を近くで見届けていた人物がいる。橘流寄席文字・江戸文字書家の橘右之吉さん。20年来の友人であり仕事仲間でもあった。

「1月20日に三津五郎さん宅に頼まれていた作品を届けに行きました。3日後にコシノヒロコさんのご自宅でパーティーがあり、コシノさんにお渡しするプレゼントを書かせていただいたんです。それをご自宅にお届けにあがったのが最後でした」

 そのときは元気そうな姿だったという。

「でもパーティーの後は、かなり疲れた様子だったと伺いました。あんまり無理はできないんだなという印象ではありましたが、まさかこんなに早く逝ってしまうとは……。亡くなったと連絡を受けたときは、え! 嘘だろ! と思いました。やつれていないし、普通の寝姿でお休みになっていて、いつもの見慣れた顔がそこにはありました」

 橘さんには病んだ姿を見せないようにしていたのだろう。

「心配させたくないという心遣いと、元気な姿しか見せたくないという美学があったんでしょう」

 三津五郎襲名のときにも、印象的なエピソードがあったという。通常は、後援会やご贔屓からいただいたお祝いの品々を劇場のロビーに並べて披露するが、それは粋じゃないと感じていた。

「“あれは引っ越しのご披露で見栄えがよくないよね?”というお話になったんです。それで、木箱の行灯にお祝いをいただいたお客様のお名前を書いて、祝いの品のかわりとして劇場に飾ることにしたんですよ。250個ほど並べましたね。興行が終わったらお礼状と一緒にそれをお客様にプレゼントしようと。お店やお家に飾るなどして、喜んでもらいました」

 三津五郎さんの豊かな感性は、食の分野にも及んだ。15年ほど前に自ら発案して始めた『五季の会』。江藤潤、林家正蔵らとそれぞれオススメの店を紹介し合って、食べに行くという集まりだった。

「お互いにこれは知らないだろうという“隠し球”みたいな店に連れて行くんですね。それを年に数回やっていました。三津五郎さんが教えてくれた築地の『三ッ田』という天ぷら屋はよかったですね。それぞれが女性を連れて、川崎のあるお店まで行ったこともあります。カミサンはNGで、ガールフレンドを連れてこないとダメというルール。三津五郎さんといると、そんな楽しみもありました」