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 ‘96 年から体調を崩して闘病を続けており、本格的な治療を行うために’10年末をもって無期限の歌手活動休止を発表した大黒摩季。

 自身の“希望”である『妊活』を続けてきたが、ついに今年、再び歌いだすことを決意したという。

 不妊症と診断された彼女は、ホルモン治療に挑戦し、体外受精も行った。しかし、子宝には恵まれなかった。妊娠しても流産を繰り返し、病状はさらに悪化してしまった。

「残念ながら、希望どおりの結果にはなっていません。年齢的なことを考えると、身体への負担を配慮する必要があります。大黒さんも諦めかけてはいたようで、そろそろ仕事に専念することを意識し始めたようですね」(ワイドショースタッフ)

 ファンクラブ会員向けのブログに、大黒は’15 年がスタートするときの意気込みをこう記している。

《治療の方は佳境に入り、意を決してアメリカで最高峰のオペレーションとメディカルトリートメントを各種受けて来ましたが結果、強いホルモン剤に体が負け自分自身の限界を知らされるばかりとなり、幾度となく経験したことの無い様な絶望の淵に立たされましたが、目を閉じれば見えてくる皆さんとの歓喜溢れるライブの感動と笑顔、イベントで直接触れ合った曇りのない温もり、そして私のありのままを受け入れてくれたからこそ心に染み渡る愛おしい言葉達が再び希望を引き寄せる勇気となり、本当にありがとうございました》

 壮絶な闘病生活に触れながらも、ファンへの感謝の気持ちを綴っている。数々の“応援ソング”を歌ってきた大黒らしい前向きな姿勢だ。自らを奮い立たせながら、周りの人も元気づけようとしている。

「ポジティブさが大黒さんのトレードマークですからね。ヒット曲の『ら・ら・ら』『夏が来る』『熱くなれ』は、不安や悲しさを感じている人に、明るく前に踏みだそうと呼びかけるメッセージソングでした。’90 年代の中ごろ、日本はバブル崩壊で沈滞していましたが、彼女の迫力ある歌声に力づけられた人は多かったでしょう」(音楽業界関係者)

 休養前の最後の仕事は、『仮面ライダーオーズ』(テレビ朝日系)の主題歌だった。当時の雑誌インタビューでは、《生まれてくる私の子どもにも、私が歌った仮面ライダーの主題歌を聞かせてあげたい》と語っていた。

 休養宣言の後も、完全に活動を停止していたわけではない。CDの発売やライブという形ではないが、こんな活動も。

「’14 年に北海道の夕張にある3つの中学校が統合されて長沼中学校が誕生しました。その校歌の作詞・作曲を大黒さんが無償で引き受けたんです。同じ北海道の札幌出身なので、故郷に恩返しをしたいと話していましたね。『希望の丘』という曲で、未来に向けての夢を歌っています。大黒さんは今年の卒業式にも駆けつけてくれましたよ」(地元紙記者)