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4月15日にこの世を去った愛川欽也さん。15日に死去の噂が流れ、報道陣が自宅に駆けつけるもその日発表はなし。17日の午前中に棺が運びだされ、その後、マスコミ各社に文書で発表された。

 愛川さんの死去の発表が遅れたのにはこんな理由とも言われる。

「債権者対策を練るための時間が少しでも多く必要だったのでは。というのも、愛川さんは’09 年に建てた劇場の維持費や映画製作の費用などで億単位の借金を抱えていると聞きました。近ごろはうつみさんも周囲に“大変なのよ”と漏らしていたそうです」(芸能プロ関係者)

 同じ番組の司会を務めていたふたりが結婚したのは’78 年11月。愛川さんと前妻の離婚が成立した翌日だったため“略奪愛”“最短再婚記録”と騒がれたが、’00 年にはベストカップル賞を受賞するなど、芸能界きってのオシドリ夫婦として知られていた。

「うつみさんは日ごろから愛川さんとの関係を“同志”と表現していました。結婚していても、個々の人生があるから互いにやりたいことがある。それを応援しあって悔いのない人生を送ろうという考え方だったんです。子どもがすごく欲しかったけど、できなかったから、こういったスタンスになったと話していました」(前出・芸能プロ関係者)

 ‘07 年には韓流ドラマ好きが高じて、うつみは韓国に留学している。そのときも愛川は“まだ勉強したいなんて偉いね。行っておいで”と応援。

「うつみさんの留学中に愛川さんの不倫報道がありました。うつみさんはそれを知って怒るどころか“あんたカッコいいじゃん!”と誇らしげに話しました」(記者)

 個々の人生を応援しあうという考えを貫いたのだ。それは家の構造にも表れている。

「愛川さんのお宅には“IGAWA(愛川の本名) ”と“IGAWA通用口”のふたつの表札があって、それぞれ入り口があるんです。“IGAWA”を愛川さんが、うつみさんが“通用口”を使っていました」(近所の住人)

 愛川さんは夫婦円満の秘訣を、雑誌のインタビューでこのように語ったことがある。

《我が家には、決め事や記念日みたいなものが一切ありません。例えば互いの誕生日にプレゼントを渡すこともないし、結婚記念日も一度も祝ったことがない。だいたい二人が覚えている結婚記念日が一日ずれているんですから祝いようがない。愛情がないということではない。ただ、くだらないものに縛られたくないというだけです》(『PHP本当の時代』 ‘09 年3月号)