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 歯に衣着せぬ作家が、その口を閉ざした。12月9日の夜9時すぎ、自宅で意識がなくなり病院に搬送されたが、その夜に帰らぬ人となった野坂昭如さん。

 毎年、夏になると放送されるアニメ映画『火垂るの墓』('88年公開)。野坂さんは、その原作小説を'67年に書いて、直木賞を受賞した。

「戦火の下、親を亡くした14歳の兄と4歳の妹が必死に生き抜こうとする物語ですが、これは野坂さんの実体験がもとになっています。野坂さんの腕の中で、1歳4か月の妹が餓死したのは玉音放送から1週間後だったそうです」(映画業界関係者)

 小説家以外にも、テレビ黎明期の放送作家、童謡『おもちゃのチャチャチャ』の作詞家、月刊誌の編集長として活躍。国会議員にもなった。

 テレビのご意見番として『ビートたけしのTVタックル』や『朝まで生テレビ!』(共にテレビ朝日系)などに出演したが、お酒に酔った状態のこともしばしば。

 '86年にはフジテレビ系の深夜番組『オールナイトフジ』生放送中、ゲストでもないのにほろ酔いで現れて、レギュラー出演していたとんねるずの石橋貴明を平手打ち。

 '90年には、映画監督の大島渚さんと女優・小山明子夫妻の結婚30周年パーティーに出席。ステージ上でいきなり、大島監督に右フックを炸裂させたシーンは今でも語り草になっている。

「キックボクシングもやっていた野坂さんのパンチで、大島監督のメガネは吹っ飛びましたが、大島監督も手に持っていたマイクで野坂さんの頭を殴るなど応戦。きっかけは、野坂さんにスピーチを頼んでいた大島監督が、野坂さんが帰ったと勘違いしてパーティーをお開きに。 せっかく和歌まで用意していた野坂さんは、自分のスピーチが飛ばされる間にお酒を飲みすぎ、イライラがたまった末のハプニングだったそうです。当時、野坂さんは60歳、大島監督は58歳でした」(前出・映画業界関係者)

 '03年に脳梗塞で倒れた野坂さんはリハビリ生活に。

《戦争の悲惨さを少しでも伝えられればと思い、ぼくは書き続けてきた》

 今年8月に発売された雑誌にもこうした手記を書き、亡くなる直前まで戦争体験と日本への憂いを発信し続けた。

(作家・享年85・12月9日逝去)