やまぐち・えいこ●1958年、東京生まれ。早稲田大学文学部卒業。会社員、派遣社員として働きながら松竹シナリオ研究所で学び、2時間ドラマのプロットを多数制作。その後、丸の内新聞事業協同組合の社員食堂に勤務しつつ、小説を書く。2007年『邪剣始末』で作家デビュー。2013年『月下上海』で第20回松本清張賞を受賞。ほかの作品に『あなたも眠れない』『小町殺し』など。 撮影/佐々木みどり
やまぐち・えいこ●1958年、東京生まれ。早稲田大学文学部卒業。会社員、派遣社員として働きながら松竹シナリオ研究所で学び、2時間ドラマのプロットを多数制作。その後、丸の内新聞事業協同組合の社員食堂に勤務しつつ、小説を書く。2007年『邪剣始末』で作家デビュー。2013年『月下上海』で第20回松本清張賞を受賞。ほかの作品に『あなたも眠れない』『小町殺し』など。 撮影/佐々木みどり

10年以上、温めてきたプロットをもとに執筆

 舞台は江戸時代。呉服商・巴屋の長女おけいは、子どものころから母親につらく当たられていた。幼いおけいの大きな心の支えとなっていたのは、隣家の小間物屋の放蕩息子・仙太郎だった。おけいは仙太郎への淡い恋心を胸に秘めつつ、度胸と才覚を武器に、巴屋を江戸有数の大店(おおだな)に育て上げていく——。

『恋形見』は江戸で生きる女の一代記でもあり、恋愛小説でもある。著者は2013年に松本清張賞を受賞した“食堂のおばちゃん”こと、山口恵以子さんだ。

「30代で脚本家を目指しはじめて以来、たくさんのプロット(構想)を書いてきました。この物語のプロットを手がけたのは、実は10年以上前。当時、『鬼平犯科帳』などの脚本を手がけた下飯坂菊馬先生が主宰するシナリオの勉強会に参加していて、そのときに提出した作品です。あるとき、橋の上で櫛(くし)を握りしめてじっと涙をこらえ、前を向いている少女の映像が浮かんで。あの子はどうして泣いているんだろう、何を見ているんだろうと考えているうちに、物語の骨子ができあがったんです」

 このアイデアを原稿用紙80枚ほどのプロットにまとめて提出したところ、先生には脚本よりも小説にすることをすすめられたという。だが、その後はずっと日の目を見ないままだった。

「松本清張賞の授賞式の後、いちばん最初に執筆依頼をしてくださったのが、この本の担当者さんでした。お手紙と一緒にこれまで編集された本を送ってくれたのですが、それらを読んでいるうちに、10年前に作ったプロットで書きたいなと思って。プロットをお見せしたときにお褒めの言葉をもらったのですが、同時に“魅力的な悪役を作ってください”とアドバイスされて。その言葉を聞いて、初めてこの物語のへそができたと感じましたね」

 若くして巴屋を継ぐことになったおけいは、アイデアを駆使して店で扱う新しい反物(たんもの)の流行を仕掛けていく。現代の読者モデルやファッションショーを想起させる描写は、華やかで爽快。

「江戸時代の大店は、自分の店の商品を瓦版(かわらばん)に載せたり、歌舞伎のセリフに商品名を織り込んでもらったりなど、今と同じように宣伝しているんです。巴屋は小さな店ですから、資金がかからないサービスから始め、だんだんと大がかりな宣伝を仕掛けていきます。どんな方法をとれば江戸じゅうの注目を集められるだろう、商品が売れるだろう、お客さんが喜んでくれるだろうとあれこれ考えるのはすごく楽しかったです。もともと着物は好きですし、すっかり呉服商の女将の気分でした(笑い)」

自身の生き方が小説にも反映

 山口さんは昨年4月に専業作家になるまで、12年間、「丸の内新聞事業協同組合」の従業員食堂で働いていた。自身の経験も小説の随所に生かされている。例えば、巴屋の食事の場面。主一家が鯛で、住み込みの奉公人たちは鰯という違いこそあるものの、従業員のお膳にも魚や惣菜がつき、ごはんと味噌汁はおかわり自由となっている。

「奉公人のおかずはお新香だけという店もあったと思うんです。でも、食事が質素だと働くモチベーションは高まらない。魚と野菜の煮物とか、おいしいおかずがつけば、奉公人たちも意欲的に働いてくれるんじゃないかなって思ったんです。というのも、食堂で働いていたとき、先代がひどい食事を出していたころは無愛想な人が多くて。でも、メニューを変え、サラダバーや余り物のバイキングを始めたところ、“ごちそうさま”と声をかけてくれる人が増えて。豪華なメニューの日は、“お金は平気なの?”って心配してくださったりとか(笑い)。おいしいごはんを食べていると、性格が丸くなっていくものなんだと実感しました。人の身体は食べ物でできていますからね」

 主人公は、胸の内で初恋の人を思いながらも“人でなしのおけい”と揶揄(やゆ)されるほどの剛腕をふるい、店を繁盛させていく。自分の手で人生を切り開いていく姿は、どこか山口さん自身の生き方と重なって見える。

「私の人生って、けっこう成り行きまかせなんです。大学生のころから漫画家になりたかったんですが、絵がヘタだったので叶わず。たまたま手にとった『ケイコとマナブ』をきっかけに松竹シナリオ研究所でシナリオの勉強を始め、脚本家を目指すものの、年齢的な限界を感じてあきらめて。小説に目が向くようになったのは、食堂の仕事で生活が安定していたおかげです。それに、今まで何十回もお見合いをしたりもしていますし。意志を貫いてきたわけじゃなくて、すべてが巡りあわせなんです。しいて言えば、物語を書くように生まれついたので、そのように生きてきた、ということでしょうか」

 実は週女を愛読しているという山口さん。本作を、読者にどんなふうに読んでもらいたいのだろう。

「江戸時代を遊んでもらいたいですね。ゆったりとした雰囲気の中でおけいの物語を楽しんで、気持ちよく泣いてもらえたらうれしいです」

『恋形見』山口恵以子=著1700円 徳間書店
『恋形見』山口恵以子=著1700円 徳間書店


■ライターは見た!著者の素顔

 現在、母と兄と猫2匹で暮らしているという山口さん。専業作家となった今、食事を作る手間も惜しんで執筆に励んでいるといいます。「月曜は寄せ鍋、火曜は牡蠣鍋、水曜は水炊き、木曜は石狩鍋、金曜は豆乳鍋と、うちのごはんは鍋ばっかり。私は夜遅くに鍋の残りを食べ、缶チューハイを2本、一気飲みして寝るような生活を送っています(笑い)」

 続々と発売される新刊も楽しみです!

(取材・文/熊谷あづさ)