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木幡さんは大熊町を離れ、背後に立ち並ぶ仮説住宅で暮らしている

「福島県は復興が先という考え。食べないとストレスになるから、キノコでもなんでも食べましょうって。去年から猪苗代でも地元のキノコを売り出しました」

 そう言うのは、福島第一原発がある大熊町から避難し、会津若松市の仮設住宅に夫と暮らす木幡ますみさん(59)だ。自宅は原発から7.2キロほどの野上地区にある。家の脇は山で、シイタケを栽培していた。今でも線量は高い。

 大熊町は帰宅困難区域に指定されているが、内陸側の大川原地区を復興拠点に決め、公共施設を集めて整備する計画だ。この地区の先行除染は終了した。

 また海側には中間貯蔵施設が建設され、その予定地の地権者への代替地も、大川原に確保された。

「放射能が自然環境に与えている影響を実態調査してから、帰還を判断すればいいのに、何もしないで、除染だけにお金を使って。ゼネコンが儲かるからね」(木幡さん)

 前回の一時帰宅のとき、自宅前を除染していて、家の敷地に入るのを阻まれた。役場からも企業からも、事前の説明をまったく受けていない。警察を呼んで話し、結局、企業側が非を認めた。

「その後、昨年12月末に、企業から各個人に手紙が送られてきたんです。“除染の調査でお宅に入りますから、電話番号と許可の捺印をください”と」

 2月28日に国道288号線が開通することは、つい先日、テレビで知った。「住民に説明ずみ」とのコメントだったが、木幡さんをはじめ沿線の住民にはいっさい連絡はなかった。

「誰も信用できないよね。住民はいつも蚊帳の外で、国や町、東電が決めてしまうんです」

 国道288号線は、常磐道の富岡インターチェンジに続く道。

「着々と帰還させる方向に動いているんですよ」

 帰還すべきかどうかをめぐり町は分断された。木幡さんは『大熊の明日を考える女性の会』を立ち上げ、「帰ったら危ないでしょ」と町民に呼びかけた。

「“そんな話は聞きたくない”とかなり叩かれました。でも、最近は“あのときはごめんね”と声をかけてくる人もいるんです」

 一時帰宅のたびに線量を測るが、なかなか下がらない。

「2年ぐらい前までは“頑張ろうね”“帰ろうね”と励まし合っていた人も、“もう帰れない”と考え始めています」

 高齢の女性のなかには、「帰る場所は姥捨山だ」ともらす人もいるそうだ。野上地区はイノシシの繁殖がすさまじい。木幡さんは一時帰宅しても、荒れ果てた家に入る気にならないという。電気が切れた冷蔵庫は3・11以降、1度も開けていない。

「ひとり帰るために、スーパーや店も作らなくちゃならない。そんなことにお金をかけるんだったら、違うところで使ってほしい」

 当初、会津若松の仮設住宅には大熊町の町民250世帯が避難したが、いまは90世帯に減った。いわき市など他地域の仮設や借り上げ住宅に移ったり、県外や県内に家を建てたりした町民もいる。

「復興公営住宅の入居が始まれば、仮設はもっと人が少なくなるでしょう」

 木幡さんは、今回の原発事故で出たゴミは、大熊や双葉で引き受けるしかないと考えている。

「飯舘はいい山村だったので、申し訳ないと思う。浪江も原発を阻止したのに、双葉と大熊の原発がすべてを奪ってしまった。だから、その責任をとるべきではないのか、って」

 ゴミを引き受けるかわりに、新たな生活を始めるための土地などを、別のところに提供してもらう。

「もうここは住めないよって“長”の肩書がつく人が言ってくれればいいのに」

 そう言って、今の状態を「飼い殺しだ」と表現した。

取材・文/フリーライター 木村嘉代子