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1泊2日の"強行日程"で、西太平洋の島国へ出かけられた皇后さま。ご体調が万全ではない陛下を支え、猛暑の中で祈りを捧げるなど、ご多忙を極めたがーー。その陰で、次の皇后である雅子さまにもお気遣いを……。


「美智子さまは晩餐会のときにせきこみ、ヘリコプターから降りるときは足がもつれるような場面もありましたが、現地での日程を予定どおりこなされました」

 4月8日から9日に天皇陛下(81)に寄り添い、太平洋の島国・パラオを訪問された皇后美智子さまについて、そう話すのは宮内庁担当記者。

 日本から南に約3000キロ─。敗戦から70年という節目の年に、日本軍約1万人、米軍約1700人のほか現地人の犠牲者が出た美しい島々で慰霊を行うことは、両陛下の長年のご希望だった。

 1泊2日の"強行日程"といってもいい慰霊の旅が決まった経緯を説明するのは、宮内庁関係者。

「両陛下がパラオなど激戦地だった太平洋の国々を訪問されたいというお気持ちは、かなり前からあったようです。10年前の戦後60年のときには陛下の粘り強い熱意でサイパン島訪問が実現しましたが、その際、今回も訪問が検討されたミクロネシア連邦やマーシャル諸島なども下見が行われました。しかし、受け入れ態勢が十分でないということで、今回のパラオもぎりぎりのところで実現しました」

 しかも出発まで両陛下は風邪をこじらせて万全といえるようなご体調ではなかった。

「今回の旅は、陛下の父・昭和天皇の時代に起きた太平洋戦争(第二次世界大戦)を深く反省し、犠牲者の霊を慰める目的だったと思います」

 そう話すのは、元共同通信記者で陛下と学習院初等科から同級の橋本明さん。

「平和憲法」と呼ばれる現在の日本の憲法を守りたい、というお気持ちも秘めていたのではないかとみる。

「平和憲法がどのように生まれたか、陛下は昭和天皇の平和を求める並々ならぬ覚悟を読み取ったからこそ、憲法を守る大切さを折に触れて発言されています。一方で天皇は憲法上、政治的な発言や行動が許されていません。封じられているからこそ慰霊の旅をして、日本が平和国家なのだと国際社会に向けて発信しておられる。父子二代にわたる、嫌悪すべき戦争への清算と見るのが正当な解釈でしょう」(橋本さん)

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冷たい雨の中、両陛下をお見送りするため皇居にお入りの雅子さま(4月8日)


 そんなテーマを持たれた陛下をお支えする美智子さまのご苦労は、察するにあまりあるが今回、ご身内にもこまやかな配慮をみせられていた。ある皇室関係者が、こう打ち明ける。

「両陛下の国際親善を目的とした海外訪問の場合は、ご出発のお見送りとご帰国のお迎えは、皇族方が空港でされることになっています。しかし、今回のご旅行の出発時に羽田空港に行かれたのは、皇太子さまと秋篠宮さまだけ。皇居の御所で、雅子さま、紀子さまや常陸宮さま、高円宮妃久子さまらが挨拶をされ、ご帰国の際は再び、空港に皇太子さまと秋篠宮さまだけでした」

 これには、両陛下のこんなご意向があるという。

「控えめにというのは表向きの理由で、実は美智子さまの雅子さまに対するこまやかな配慮がみてとれますね」

と打ち明けるのは、両陛下に近い関係者。

「両陛下がサイパンを訪問された’05年6月は、雅子さまが療養生活に入った直後で、皇太子さまの"人格否定発言"と『適応障害』という病名が発表された翌年のことでした。そんなときに、雅子さまのお出ましは困難だったので、空港での送迎は皇太子さまだけに任せ、ほかの皇族方は遠慮していただいて、雅子さまの"不参加"が目立たないようにしたと聞いています」(同・関係者)