もしもあのときAEDがあったら、彼は助かったかもしれない……。多くのファン、選手に愛されたサッカー元日本代表・松田直樹の訃報が全国を駆け巡ったのは5年前の夏のこと。悲しみの中、愛する弟の最期を看取った姉は今、ひとりでも多くの命が救われることを願い、自らも新たな1歩を踏み出した──(人間ドキュメント・松田真紀さん第1回)

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 師走らしい肌寒さと曇天に見舞われた昨年12月23日の群馬県前橋市。この地にある正田醤油スタジアム群馬には、8268人もの観衆が詰めかけていた。中田英寿、宮本恒靖(ガンバ大阪ユース監督)、楢崎正剛(名古屋)、福西崇史(解説者)など2000年代前半の日本サッカー界を彩ったスターたちが一堂に会した『ドリームマッチ群馬2015 -remember 松田直樹-』が開かれたからだ。

[写真]「JAPAN DREAMS」には、小野伸二、稲本潤一、松井大輔ら名選手たちの顔が
[写真]「JAPAN DREAMS」には、小野伸二、稲本潤一、松井大輔ら名選手たちの顔が

 このイベントは'11年8月4日、練習中の急性心筋梗塞によって34歳の若さで帰らぬ人となった、元日本代表DF松田直樹のメモリアルマッチ。彼の出身地・群馬では3回目で、AED(自動体外式除細動器)普及の意味も込められている。AEDは心室細動(心筋梗塞など心臓の病気や、脱水などにより起こる)で心停止を起こした人を救命する装置で、公共機関やスポーツ施設、コンビニなどに設置されている。一般市民でも使えるが、定期的に講習を受けることが望まれている。この日はその貴重な機会となったのだ。

 試合は、日本代表などで在りし日の松田とともにプレーした選手で構成される「JAPAN DREAMS」と、群馬県ゆかりの選手で構成される「GUNMA DREAMS」の対戦。日本を代表する人気選手が競演する中、現在もJリーグのトップを走り続ける小笠原満男(鹿島)は、公式戦さながらの鬼気迫るプレーを前面に押し出した。

「マツ(松田直樹)さんのことを考えると失礼なプレーなんか絶対にできない。ボスのヒデ(中田英寿)さんも“今日は真剣に勝ちに行くぞ”と言ってましたし。マツさんみたいに勝利への強い意欲とか闘争心を表に出す選手が最近はホント、少なくなった。そういうすごさを群馬の人たちに改めて感じてほしかった」

 という彼の言葉は、参加者全員の思いを代弁していた。

 そんな選手たちの一挙手一投足を、スタジアムの片隅で見つめる女性がいる。松田直樹の姉・真紀さんである。

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 彼女は感謝の念を込めて言う。

「直樹のためにこれだけの人が集まってくれて本当にありがたい。だからこそ私たち家族は、弟の遺志を継いでいかないといけないんです」

 真紀さんはこの日の試合前に行われたAED講習会に向けて、自身が勤務する済生会前橋病院と、主催者である群馬県サッカー協会とをつなげる役割を担った。

 同病院にはBLS(一次救命処置)委員会というものがあり、循環器内科のドクターや看護師らが日ごろから心臓マッサージやAED活用のスキルアップに努め、病院外に向けての講習も積極的に行っている。こうした医療スタッフの努力をよく知っているからこそ、真紀さんはドリームマッチのAED講習会を彼らに託したかったという。

同僚たちは寸劇を交えて大勢の観客を笑わせたり、数人ひと組の高校生を相手に心臓マッサージを実演したり、マイク片手に大型スクリーンを使いながら、実にわかりやすくAEDを使った救命法を説明した。

[写真]試合前のピッチ脇で行われたAED講習会。済生会前橋病院の医師・看護師らが、救命法のデモンストレーションや、高校生たちに直接、心臓マッサージやAEDの指導を行った
[写真]試合前のピッチ脇で行われたAED講習会。済生会前橋病院の医師・看護師らが、救命法のデモンストレーションや、高校生たちに直接、心臓マッサージやAEDの指導を行った

 真紀さんは言う。

「人に命を助けてもらうというのは、決して当たり前のことじゃないんです。直樹が倒れたときも、練習場に来ていた看護師さんや救急救命士さん、病院関係者など本当にいろんな方のお世話になりました。結果的には助からなかったですけど、とっさのアクシデントが起きたとき、救命に携われる人がひとりでも増えてくれれば、直樹のようなケースは減っていくはず。今回の群馬でのチャリティーマッチに済生会病院の方に参加してもらったことで、地域ぐるみで命の大切さを伝えていくことの重要性を、私自身も改めて痛感しました」

(文中敬称略)

取材・文/元川悦子 撮影/高梨俊浩

※「人間ドキュメント・松田真紀さん」は5回に分けて掲載します。第2回「ふたりきりの病室で伝えた“ありがとう”」は関連記事にあります。