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 EXILEと三代目J Soul Brothersで活躍中の犬顔男子・岩田剛典。年上メンバーには「筋金入りのおぼっちゃま」とイジられているが、映画『植物図鑑』では優しい草食系男子、ドラマ『HiGH&LOW』では武闘派男子と、いろんな顔を見せてくれる。

 素の彼に迫ると、実はもっと知らないたくさんの顔があった。

 名前がアルファベットではないこともあり、あまりEXILEっぽくない岩田剛典。

「EXILE TRIBEと言えば、色黒でたくましく、男らしくてケンカが強そうなイメージ。でも、岩田くんはそもそも色白です。甘い顔立ちで、石原さとみさんと共演した『ディア・シスター』(フジテレビ系)でも、やさしい男の子の役で出演していました。

 ファンからは親しみを込めて“岩ちゃん”と呼ばれていますよ。でも、ヤンチャな役で激しいアクションシーンをこなすことも。『HiGH&LOW』(日本テレビ系)では、男気あふれるチームのリーダー役で主演していますよ」(テレビ誌ライター)

 『植物図鑑』では、豆柴のような無邪気な少年なのに、オトコっぽい顔も見せている。

「とはいえ、EXILEの中ではあの上品さとエレガントさは目立ちますよね。メンバーからはやっかみ半分に“王子さま体質!”と言われています」(前出・テレビ誌ライター)

■王子生活

 幼いころからリアル王子さま生活だったようだ。

「お父さんは創業90年の老舗シューズメーカー『マドラス』の社長です。名古屋の実家は超豪邸。門から玄関までは30メートル以上で、敷地内には大きな家が2棟。お母さんから“(敷地内に)タヌキが出たよ!”とメールが来たこともあるそう」(芸能プロ関係者)

 セレブ一家の次男として育った岩田は、学業成績も優秀。小学生のときの中学模試では愛知県の上位を争い、中学は慶應義塾に合格。母と上京し、高校、大学へ進学した。

「高校に入ったころはロン毛で眉毛も細く、見た目はギャル男(笑)。当時、ドラマに出ていた髪の長い不良のキャラが人気だったんですよ。でも、他人と一緒なのがイヤになったのか、高校2年生のときに急に丸刈りに。体育会系の部活に入っていたことも理由ですね。“石けん1個で洗えるからラク~”って言っていたし」(岩田の知人A)

 ファッションにはあまり興味がなく、自分のしたい格好をするだけ。部活で選んだスポーツは超おしゃれ。

「高校ではラクロス部に入っていました。“モテそう”という動機でしたが、真剣に打ち込むようになると才能を発揮。競技人口の少ないスポーツではあるものの、大学生に交じってU-19の日本代表候補に選ばれるほどの実力でした」(前出・知人A)

■ミスター慶應に!?

 大学ではダンスサークルに所属。

「クランプというダンスをテーマにした映画『RIZE』を見て衝撃を受けたんです。ストリートから生まれた激しいダンスで、独学で練習していました。『JADE』というサークルでは総代表も務め、後輩たちからも信頼されていました」(前出・知人A)

 『JADE』の発表会には、名古屋に住んでいる父親も来場。岩田をはじめとした、メンバーの踊る姿に感心。

「『ジェイド』というシューズを開発し、ダンサー向けに発売しました。ダンスサークルの名前と同じです。お父さんの心を動かすようなパフォーマンスだったのでしょう」(前出・知人A)

 クランプは感情を身体で表現する攻撃的なダンスなので、そのころの岩ちゃんは見た目もゴツかった。今とは違って顔も身体も日焼けして真っ黒。

「大学構内で上半身ハダカになり、横になって身体を焼いているのを見たことがあります。コワモテではないんですが、シャンとしていたから、周りはちょっとビビってましたね(笑)」(岩田の知人B)

 大学時代も丸刈り頭はそのまま。ヒゲを蓄え始めたので、ルックスはよりワイルドな状態。

「彼が他薦でミスター慶應の最終エントリー候補に選出されたので、仲間はビックリ。“岩田が男前なのはわかるけど、ミスターじゃなくね?”とからかわれていました。自分でも大学のインタビューで“ミスターって勘違い野郎の集まりだろ、って思っていました”と言っていて、あまり乗り気ではなかったようです」(前出・知人B)

■就活も蹴って

 この年のグランプリは、文化系塩顔イケメンの俳優・古川雄輝。当時の岩田とは全然違うタイプだ。

「今でも古川くんとは仲よし。同級生では、ONE OK ROCKのTAKA、アイ・ドント・ライク・マンデイズの悠とも交流がありますね。文化祭に訪れるなど、大学時代の交友関係を大事にしています」(前出・知人B)

 新宿区・都庁前の広場にダンス仲間と集まり、踊ることも。そのなかに、当時二代目JSBとしてデビューが決まっていたNAOKIもいた。

「ダンスバトルで交流を深め、ファミレスで朝まで始発を待つ仲に。その後、彼づてに三代目のオーディションを受け、合格。すでに決まっていた就職の内定を蹴って、ダンサーの道に進むことをお母さんに報告したら、“この世の終わりかと思うくらい絶望して泣いていた”と話していました」(前出・知人B)

 そんな人生の大きな決断を経て、今や大ブレイク。紅白歌合戦に出場した際には、

「家族からも、激励のメールが届いたそう。いい親孝行になったのではないでしょうか」(前出・知人B)