s-20160426_daijiman_1

 今年、デビュー25周年を迎えた大事MANブラザーズの立川俊之。昨年、出演したバラエティー番組『しくじり先生 俺みたいになるな!!』に登場するやいなや、強烈なコメントで周囲を驚かせた。

「『それが大事』を24年間、歌ってきました。そうしたら、何が大事かわからなくなってしまった(笑)」

 '91年に大事MANブラザーズバンドのボーカルとしてデビュー。本人が作詞・作曲を手がけ、同年に発表した3枚目のシングル『それが大事』が大ヒット。約160万枚を売り上げる国民的応援ソングとなった。

「あのときは、何がなんだか、わからなかった。突然、“マブダチ”とか“育ての親”とか“親戚”が増えるんです。顔も知らない人もいたりして(笑)。本当に眠る時間がなくて、ずっとめまいがしていましたね。あとは、ほとんど覚えていない。当時のことを聞かれるのが、いちばん困っちゃうんですよ」

 飛行機の離陸と着陸の記憶がなく、瞬間移動した感覚に陥ったり、新幹線のグリーン車の中で曲作りをしたりという多忙な日々を過ごしながらも'96年にバンドを解散。

 その後、楽曲の提供やラジオ番組への出演など、ソロ活動を続けてきた。その立川が“再ブレイク”と騒がれるようになったのが、先のバラエティー番組に出演したことから。生徒役のタレントを相手に、巧みな話術で数々のしくじり体験を披露した。

 「“負けないこと”“投げ出さないこと”“逃げ出さないこと”“信じ抜くこと”(『それが大事』の歌詞)の4つの中で、結局、何がいちばん大事か?」と、質問を投げかけ、生徒たちがそれぞれに回答すると、「どれも大事じゃない!!」と、爆笑を誘う。

 そして、「自分にとって、何がいちばん大事か考えることが大切」としっかりと締めくくる。笑いのセンスにあふれるクオリティーの高い講義に“神回”と呼ばれるほどになった。

「もう、なんとでも言ってくれって感じです(笑)。評価の基準もわからないし、“再ブレイク”って騒がれることもわからない。何も音楽的なことしてないですからね。番組をきっかけに『それが大事』を新たに聴いてくれた二次被害みたいなことも起こって(笑)。

 どういう形でも、みなさんに受け入れていただけることは、単純にありがたいですし、面白い時代になったなと思いますよ」

 笑顔で語る。そんな立川にも自身が生み出した大ヒット曲を聴きたくない、歌いたくないと思った時期があったという。

「あれだけ(約160万枚)の化け物を作っちゃうと、次に30万枚売ったとしてもダメなんです。“これ超すなんてねぇーよ”って、疲労困憊して、満身創痍だったときに、もういい時期かなと思って、バンドを解散したのはありますね。そのあと30代半ばくらいには歌いたくない時期もありました。

 イントロがかかると嘔吐をもよおしちゃって。でも、歌わないと許してもらえないんです。1回だけ、ライブ中はもちろんアンコールでも歌わないってことをやってみた。そうしたら、最後には会場が歌い出しちゃって。これは、抗ってもしょうがないと思いました(笑)」

 抗わなくなっても、辟易はしていたと思うと続ける。

「わかってなかったんですね。どう愛顧を承っていたか、どういうふうに育てていただいたか。いまは10回だって歌えます(笑)。去年、ふと気がついたんです。僕は、ちょっと業を間違っていたんじゃないのかなと。

 やっぱり、どこまでいっても『それが大事』の人ですし、それに誇りを持っています。そこから逃避する生意気な時期もありましたけど、やっぱり僕にはこれを伝え続ける役目があるんじゃないかって」