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■貧乏とは無限に欲があり、いくらあっても満足しないこと

 質素な暮らしを貫く南米ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領(80)が5日に初来日した。

「あなたがスーパーマーケットで買い物をするとき、それはお金で買っているのではありません。お金を稼ぐために費やした人生の時間で買っているのです。そして、人生の時間を売っている店はどこにもありません」

 講演会場を埋め尽くした学生は、ひと言も聞き漏らすまいと静かに耳を傾けた。

「若いときは愛のために多くの時間が必要でしょう。愛は地上で最も大切なものです。人生の動力となります。だから親愛を示す時間が必要なのです。物は愛をくれません」

 東京・府中市の東京外国語大学で7日、「日本人は本当に幸せですか」をテーマに講演した。会場には約300人の学生が詰めかけ、入りきれなかった学生は中庭の大型中継モニターを食い入るように見つめた。

 ムヒカさんは、ブラジルで2012年に開かれた環境問題を話し合う国連会議で名スピーチし、その人柄や暮らしぶりが注目された。

《貧乏とは少ししか持っていないことではなく、無限に欲があり、いくらあっても満足しないことです》

《私たちは発展するために生まれてきたのではありません。この惑星に、幸せになろうと思って生まれてきたのです》

■政治を信じられないのなら、信じられるように行動してください

 大量生産・消費社会に一石を投じたスピーチは各国首脳の心を打った。2013年と'14年にはノーベル平和賞にノミネート。

 この演説を取り上げた絵本『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』(汐文社)が話題となり、発行元の出版社の招きで来日が実現した。

 高齢にもかかわらず、8日間で東京、京都、広島を回る日程。「日本に来て広島を訪ねないのは敬意に欠ける」と組み入れたという。講演ではさまざまな問題に言及した。政治不信についてはこう述べた。

「日本の選挙では、若者の30%ぐらいしか投票に行かないと聞きました。政治を信じていないんですね。でも信じられないのなら、信じられるように行動してください。何もしないで不平ばかり言っても変わりません。同じ考えを持つ人と、まとまって行動する必要があります」

 世界的なニュースとなっているパナマ文書にも触れた。

「自分の資本を増やすためだけに、タックスヘイブン(租税回避地)を使ってお金を動かしている人がいます。みなさんのような若者は闘わなければいけません。バカげたことをやめさせるために」

■つらい時期にこそ、多くの大切なことを学べました

 母国ウルグアイでは愛される大統領だった。首都郊外の貧しい家庭に生まれ、7歳のときに父親が死去。幼いころからパン屋さんや花屋さんで働いた。独裁政権に対抗したゲリラ活動で4度投獄され、最後の刑務所暮らしは13年に及んだ。

「踏みつけられたり、ゴミのように扱われたこともありました。しかし、このつらい時期にこそ、多くの大切なことを学べました」

 上院議員であるルシア・トポランスキ夫人(71)とは、1970―'71年ごろゲリラ活動を通じて知り合い、ほどなくパートナーとして行動をともにするようになった。2005年には正式に結婚した。

 大統領に就任しても公邸に住まず、郊外の小さな家で畑を耕し、犬やニワトリと暮らした。友人たちからプレゼントされた古いフォルクスワーゲンで国会に通った。

 来日前の朝日新聞の取材に対し、アラブの富豪から「愛車を100万ドルで売ってくれ」と打診された事実を明かした。ムヒカさんは「贈り物は売り物じゃない」と断ったという。

 この日の講演には、同型のワーゲンで登場。熊谷ナンバーだったので実物ではないようだが、粋な演出に出迎えた学生らは大喜びだった。

■ほかの人にも何かできたら、家族との時間をもっと幸せに感じるでしょう

 講演の中では恋愛論や夫婦論も披瀝した。「大事なのは愛です」と繰り返すムヒカさんに男子学生が質問した。

――美しい女性がいたとする。彼女を手に入れたい。ほかにも狙っている男がいる。僕は彼らをいかにして倒すかってことを考えてしまう。ムヒカさんは言った。

「あなたの愛に対するビジョンは非常に個人主義的だと思います。自分のものにしたいという。でも、彼女に聞かなきゃいけないんじゃないですか。あなたに征服されたいと思っているかどうか」

 男子学生の「手に入れたい」という言い方がまずかったようだ。さらに続けた。

「女性が選ぶんですよ。自分だけが決められるなんて思わないでください。彼女は無意識かもしれませんが、生物学的に選びます。誰と子孫を残したほうがいいか、と。自然界のメカニズムとして本能に刻まれているんです」

 エゴイズムをどう抑え込めばいいのか。生きていれば誰にでも葛藤はあるという。

「家族を守るために闘うのは当然です。だからといって、ほかの人のために何もできないということはないですよね。ほかの人にも何かできたとしたら、家族との時間をもっと幸せに感じるでしょう」

■人生をひとりで歩まないでください

 家族論は熱を帯びる。ルシア夫人は会場で静かに聞いている。

「私はパートナーと、世界をよくしようと思って一生懸命闘ってきました。それで子どもを持つ時間がありませんでした。私たちは小さな地区に住んでいます。多くの子どもがいます。経済的余裕のない家庭の子どももいます。

 私たちはそういった子どもも勉強できるように学校を建て、国にプレゼントしました。私たちは子どもをつくることはできなかったけれども、親がいなくて勉強できない子どもたちの力になれた。彼らは私たちにとって子どもなんです」

 ムヒカさんの考え方はシンプルだ。消費社会に支配されてはいけない。節度を持たないと人生を楽しむ時間を奪われてしまう。

 誰かに手を差しのべる時間もなくなる。人間は人生の方向づけができる。挫折してもまた立ち上がればいい。自分自身を幸せにするものを探してほしい。

 スペイン語専攻の同大4年・太田悠香さん(22)は講演後、「もっと幸せを追求して生きていきたいと思うようになりました」と話した。ムヒカさんは言った。

「毎晩、ベッドに入ったときに5分間使って、1日を振り返ってみてください。よかったのか、悪かったのか。それをもとによりよい明日を築いてください。そして、ぜひ家族を持ってください。単純に血のつながった家族ということではありません。同じように考える人という意味の家族です。人生をひとりで歩まないでください」

 力強いメッセージは学生の心に届いたのだろう。拍手はいつまでも鳴りやまなかった。