保健所に送られる寸前だった傷だらけの野良犬を見るに見かねて連れて帰った生き物好きの女性。偶然の出会いが、一家と地域の運命まで変えた! 鰺ヶ沢の名物、焼きイカ屋さんで繰り広げられる“あばれどん”と“犬バカ”の愛情物語――。(人間ドキュメント・菊谷節子さん 第1回)
日本海をバックに、亡きグレ子とわさおと菊谷節子さんの貴重な3ショット 撮影/竹内摩耶

 本州の北の端、津軽半島西岸の付け根にある青森県西津軽郡鰺ヶ沢町。日本海に面したこの町の海っぺりにある小さな店で、その人は猫を撫でながら、どっしり座ってわれわれを待っていた。

わさお 撮影/竹内摩耶

 取材とあって、カメラマンが準備をする一瞬を見計らい、ささっと口紅を塗り直し、ファンデーションで顔を整える。その姿がなんとも愛らしい。飾らない仕草と素朴な語り口に、初対面でありながら、ついつい“かあさん”と呼びかけてしまった。

 ここは鰺ヶ沢の焼きイカ屋さん『七里長浜きくや商店』。

 そして、この女性こそ菊谷節子さん(73)。あの元祖ぶさかわ犬・わさおと、本取材後の8月14日に亡くなった看板猫・グレ子の飼い主だ。

 そのかあさんが看板犬のわさおとの出会いについて、こんなふうに語り出す。

「白いわんちゃんが歩いていたんだけど、見たら首輪をつけてないのさ。釣り人や漁師からエサをもらったりしていたんだけど、そんなんでは腹こさいっぱいにならんでしょう? それで荷物を持って歩く人の袋の中身を狙ったみたいで、“これは保健所に通報されるべな”と見ていたの。それがわさおだったんだわ」

 今では年間15万人が、わさお見たさに鰺ヶ沢を訪れる。

 命の恩人が住むこの町の特別観光大使に任命され、その重責を立派に果たしているわさおだが、夫・菊谷静良さん(75)は、そもそも動物を飼うことにいい顔をしなかった。

グレ子 撮影/竹内摩耶

「私、町の人たちからは“犬バカ”って言われていたの。今まで猫は30匹以上、わんこは17~18匹は育てていて、わんこはいつも必ず5匹ぐらいはいたから。おとさん(お父さん)も、“どうすんだば?(どうするんだ)”って。“なんぼ(いくら)働いてもエサ代、病院代がかがればなんも残ね。農協で借金してるべ”って言って。“借金、返せるだが?”って、怒られてばっかいたの」

 いつもの席でこう語る菊谷さんに、1日2回の点滴で命を保っていたグレ子が身体をこすりつけ、撫でてくれとさかんにせがむ。

 犬小屋から聞こえる“バッフ”というこもった声は、お客を迎えるわさおの“いらっしゃい!”という声だ。

 外ではゴメ(津軽弁でカモメやウミネコのこと)たちが戯れるように飛んでいる。音に聞こえた日本海の荒波も、この日は気が抜けたように穏やかだ。

 そんな海辺の町で、自慢の焼きイカをつまみながら聞いた、心やさしきかあさんと1匹の物語─。

生き物が大好きな“じゃっぱ娘”

「私が生まれたのはすぐそこ、ここから歩いて10分ほどのところだ。年齢? 18歳(笑)」

 まずはそんなジョークをジャブのように繰り出して菊谷さんが話し始めた。

「えの(私の)父親はおんじ(長男)で、そんなおんじの家っていえば、大人だけで15人、全部で20人ぐらいの大家族。昔はそれが普通だったんだわ」

 だが、そんなおんじの父親といえば、大家族の世話役を妻に押しつけ、本人は女性と出奔してしまった。菊谷さんが2~3歳ごろのことだった。

「だんでね(それでね)、母は死のうと思って(2人姉妹の)私と姉の手を引っ張って、線路を何度歩いたかわかんねえって。あのころの姑って鬼みたいなワケさ、嫁をこき使って。それがつらかったんじゃないの」

 明け方から深夜まで、休む間もなく働く母親を少しでも助けようと、菊谷さんも一生懸命働いた。小さいころから山に行ってはワラビを摘んだりゼンマイを取ったり。夜は夜でワラビをゆでて、タケノコの皮をむく。夜12時前に寝たことなどなかったという。

 あの幻の珍獣・ツチノコを見たのは、小学生だったころの話。

「もう70年ぐらい前の話だけど、ず~っと山奥の田んぼに行くと、たま~に出くわすの。ツチノコって頭に小さいツノが4つ生えてるんだわ。ヘビみたいに三角の頭をしてるけど、ブクッとしていて、太くって、短いんだ」

 ツチノコはトカゲの一種の誤認とか、エサを食べたばかりのヘビだという説がある。だから腹部がブクッとして短いというのだが、菊谷さんはこれを真っ向から否定する。

 春、田んぼでご飯を食べていると、ツチノコがやって来て、こぼれた米粒を漁る。

「その早いのなんの! バーンと行っちゃうんだよ、飛ぶの! ヘビとは絶対に違う。ツチノコは絶対にいるっ!」

 そう言って口を真一文字にキュッと閉じる。そして、「ツチノコにはツノが4つあってそれを冠っていうんだけど、“女の人が頭にかぶっている風呂敷をかぶせると冠をおいていく。そのツノは宝物さ”って、昔の人はそう言ってたの。2~3回は見たな」

菊谷さん同様、焼きイカ屋さんを営む姉の長谷川文江さん 撮影/竹内摩耶

 思わず周りを見回してしまった語り口の巧みさは、生まれついてのものらしい。

 戦争直後ということもあり、学校は1か月に1日行けばいいほう。そんな環境の中でも、身投げをしようとした人を救ったエピソードで、弁論大会で見事1等を勝ち取った。

 お隣で同じ焼きイカ屋さんを営んでいる姉の長谷川文江さん(75)が、その時のことを振り返る。

「死のうと思って海を見に来た人を見つけて、この人が、“あんたのお母さんの言うことを聞いていればきっとよくなる。だから生きろ!”って説得して。それを1000人の前で演説したの。みんな泣いてたなあ」

 さらには、そんな妹の性格を、

「あたしは引っ込み思案なんだけど、この人は積極的で頭の回転が速いの。子どものころから虫も殺せないし、ミミズまで育てていたな」

 そんな生き物の大好きな女の子が花も恥じらう年ごろになり、お見合い話が持ち上がったのは18歳のとき。白羽の矢が立ったのは、幼なじみの菊谷静良さんだった。

幼なじみで夫の菊谷静良さん。「夫婦でおならの引っかけ合いをする(笑)」のだとか 撮影/竹内摩耶

「静良はすぐそこに畑を作ってたの。小学生のときだったかな。桜の木さ登ってさくらんぼ取ってたら、おとさんがやってきて、“何やってんだ、じゃっぱ(おてんば)! おなごが木さ登っちゃダメだ!”って。木の上と下で、バカだのアホだの言い合ってケンカしたわけだ(笑)」

 親切で、困っている人がいれば手伝わなければいられない静良さんは、近所でも評判の人気者。菊谷さんとは気の置けない“ケンカ友達”といった関係。そんな静良さんが当時の菊谷さんのことを、

「おなごじゃっぱで、このへんの女親分。まさか一緒になろうとは思わなかった(笑)」

 一方、菊谷さんはといえば、降って湧いたお見合いの話に、思わず“わ(私)、この人と!?”とびっくり。

 だが、間に立った仲人さんが実にうまかった。菊谷さんが思わず食いついてしまうような“釣り糸”をたらしてきたのだ。

「昔だから新婚旅行なんてなくって、村でも誰も行った人がいないの。それで仲人さんが、“新婚旅行にやりますから”って言ってくれたもんだから、“だったら嫁に行く!私が新婚旅行第1号だわ!”と結婚したの(笑)」

 話は整い、にぎやかなことこのうえない祝言が終わったその翌日─。

“いざ新婚旅行に出発!”と意気込む菊谷さんを尻目に、姑は頭にさっさと風呂敷をかぶり、こう言ったという。

“さっ! 畑さ行って仕事だ、仕事!”

「結局、新婚旅行は畑。だまされてしまったの(笑)。まあ、昔はそういったもんだろな」

※「人間ドキュメント・菊谷節子さん」は3回に分けて掲載しています。