映画『男はつらいよ』では、寺男の源公としてファンから愛された佐藤蛾次郎。そんな彼の妻が、7月に多発性骨髄腫のためこの世を去った。妻の闘病だけでなく、家族ぐるみの付き合いだった山田監督や寅さんファミリーとの交流裏話まで語った貴重なインタビュー。
元女優・和子夫人が68歳で急逝──。亡き妻の店「蛾次ママ」で思い出を語る佐藤蛾次郎

「カミさんが亡くなってから、猫3匹とひとり暮らしだよ」

 そう寂しそうに語るのは、映画『男はつらいよ』シリーズの源公など、個性派俳優として知られる佐藤蛾次郎。

 43年間連れ添った妻で元女優の和子夫人が、7月30日に多発性骨髄腫のため、68歳でこの世を去ったのだ。

「1年以上前から、カミさんは背中が痛いって言ってたんです。あまりによくならないんで、昨年7月に医療センターに行ったら多発性骨髄症という血液の病気ですと。医者はあと2年くらい大丈夫だっていうから、まだまだだと思っていたんだけどね……」

 病がわかってから1か月後に抗がん剤治療をスタート。医師に余命を告げられたときの気持ちをこう振り返る。

「“2年”と言われたときは、ホントに嫌だった。夫婦は一生ずっと一緒にいると思っていたから。カミさんは今まで大きい病気をしたことがなかったんですよ。腰が痛いって言ってたときも、骨粗しょう症じゃないかって思ってたくらい。

 オレは直腸と大腸と2回がんになっているんだけど、どこにも転移してないの。鼠蹊(そけい)部のヘルニアもやっているし、心臓もやってる。血管のバイパス手術ね。だから、カミさんは俺のほうが危ないと思っていたの。だけど、カミさんのほうがこんなことになっちゃうんだよなあ……」

 何種類もの抗がん剤治療を続けながら、和子夫人は大好きな自分の店に立ち続けた。だが、病魔は徐々に和子夫人を蝕(むしば)み、7月11日には体調悪化で入院してしまう。

「カミさんが入院してからは毎日、病院に寄ってから仕事に行きました。7月7日から『制服捜査3』(TBS系)のドラマのロケで八戸に行ってたときは、“何でパパいないの?”って言ったらしい。ロケが終わってすぐに帰ったんだけど、カミさんにはもう管が入って話せない状態だったね。だから、カミさんとの最後の会話は“仕事ちゃんとしなさいよ”だったかなあ」

自身も妻に先立たれた山田洋次監督の言葉

 7月26日には、『男はつらいよ』の山田洋次監督も見舞いに駆けつけた。だが、7月30日、和子夫人はついに帰らぬ人となる─。

「30日の朝5時半に病院から、容体が悪化したから来てくれって連絡があって、病院に駆けつけたの。でも、経済誌のインタビューの仕事が入ってたから、離れたくなかったけど行ったわけ。で、仕事の途中に息子に電話したら“ごめん、亡くなったよ”って。もう、それで仕事できないよね。“すみません”って言って、すぐにタクシーで病院に戻ったけど、もう霊安室にいましたよ」

 そんな蛾次郎を、ことさら気にかけているのが山田監督だ。監督自身も、’08年に妻に先立たれている。

「監督からは“蛾次郎、女房より先に死ねよ”って言われていたの。カミさんが亡くなったときも監督は“つらいだろう”ってすごく心配してくれて。今も“大丈夫か?”って電話してくれるんですよ」

佐藤蛾次郎ファミリーと山田洋次監督。15年ほど前に自体で──

 山田監督との出会いは、蛾次郎がまだ大阪のプロダクションに所属していたころ。’68年に公開された映画『吹けば飛ぶよな男だが』でのオーディションだった。

「オレが22くらいのときだったかな、山田洋次という偉い監督が大阪弁を話せる男の子を探しているっていうんだけど、こっちからしたら“山田なんちゃらって監督って誰だよ”みたいな感じで。で、2時間遅れでオーディション会場に行ったのよ。事務所のマネージャーが来て、“もう終わってるけど、監督はお前を待ってる”って言うんだよ。

 でもやる気ないからさ、短い脚組んでタバコをフーって吹かしてさ。で、監督は“佐藤クンはどんな役をやりたいんだい?”なんて聞くから、“オレか? オレは不良だよ!”って。それが気に入ったみたいだね。でも、いまだに監督からは“あのときはひどかったなあ”って言われますよ(笑)」

「結婚式をしなかったオレたちに山田監督が」

 この映画のおかげで、蛾次郎は山田監督と運命の出会いを果たす。そして、彼とある約束をしたという。

「山田監督にオレが結婚するときは仲人になってくれってお願いしたの。監督は“いいよ”って。それで、婚姻届に山田監督と奥様がサインしてくれてね。

 でも、オレたち結婚式をしなかったのよ。そうしたら、山田監督が『男は─』の第10話『寅次郎夢枕』で、近所の女の子が花嫁姿で寅さんやおいちゃんおばちゃんのところに結婚報告に来るっていう設定を、わざわざ監督が書いてくれたの。その花嫁役がカミさん。それで、そのシーンの撮影が終わったら、監督が“蛾次郎、衣装部屋に行って来い”って言うんだよ。

 “しょうがねーなって”行ったら、紋付き袴が用意されていて。それで寅さんやおいちゃんたちみんなで写真を撮るっていうことになったんだけど、そのとき、篠山紀信が渥美さんを少年誌の表紙撮影するために来てたのよ。それで、監督が“実は篠山さん、これこれで”って頼んでくれたら、彼も“わかった”って二つ返事で。篠山紀信が結婚式の写真なんて撮ったの、これが唯一じゃないの(笑)。

 だから、監督や寅さん、倍賞さんにまで、会うたびに“奥さんを大事にしてる? 変な女に引っかかってない?”って言われてね。オレが女好きなのを知ってるんだわ」

佐藤蛾次郎夫妻と寅さんたち。篠山紀信氏が撮影した貴重な一枚

寅さんファミリーでタヒチ旅行へ

 エピソードはこんなところでも。あの柴又で、寅さんと意外な場所に行っていた。

「昔、柴又の参道にソープランドがあったんですよ。“行きてぇなあ~”なんて思って見てたら、渥美さんが“蛾次郎行くか?”って。さすがにオレも“今は……”って言ったら、“いいんだよ”って、渥美さんが金払ってくれて一発やってきたんだよ(笑)。

 渥美さんは待合室で女の子たちとだべってるだけなんだよ。女の子はスターが来たから喜ぶじゃない。その間にオレはすっきりしてきてね(笑)。渥美さんには食事もごちそうになったし、16歳下のオレを弟みたいに可愛がってくれました」

 また寅さんファミリーとは、こんな付き合いもしていた。

「20話くらいのとき、寅さんから“蛾次郎、タヒチ行こうか?”って言われて、オレと渥美さんと倍賞さんと監督と何人かで行ったんですよ。完璧にプライベート。もちろん、全部、渥美さんが費用を出してくれて。

 で、倍賞さんがプールに来たときに、ワンピースで来たの。“倍賞さん、タヒチだよ。これじゃ恥ずかしいよ”って言ったの。そうしたら、次はセパレートで来たの。でも、オレは“ダメダメ。買ってあげるからビキニじゃないと”って言ったら、自分でビキニを買ってきましたよ(笑)。監督だってパレオかなんか巻いて、ビーチでえらくはしゃいでいましたよ」

 さまざまな人から愛された蛾次郎。これからは和子夫人が愛したお店を息子と一緒に続けていくという。そんな夫の姿を妻は天国からそっと見つめていることだろう。

佐藤蛾次郎のコンサートで挨拶をする渥美清さん('75年)