三井エージェンシー常務取締役でもある三井悠加(撮影/森田晃博)
海外ポップカルチャーと浮世絵……このまったくと言っていいほど共通点のない2つのものを、違和感なく融合させて新しい芸術を生んだのが、三井エージェンシー・インターナショナル代表取締役・三井悠加さんだ。演歌を主体とする芸能プロダクションを運営する父のもとで、所属歌手のマネージメントに奔走した20代。本場のエンターティメントを学ぶべく渡米し、がむしゃらに勉強してチャンスをつかんだ30代。そんな彼女に、日本の伝統美術・芸能を武器に、世界を相手にビジネスをするということについて、大いに語ってもらった。

──三井さんはもともと、芸能関係の仕事をするつもりはなかったとか。

「10代でジュエリーデザインの専門学校に行き、彫金の勉強をしていました。アルバイト先のジュエリーショップでは、学生ながらジュエリーのデザインをさせていただいたり、その商品を販売したりと、とても楽しくそのままその会社へ就職しようと思っていました。

 しかし、学校を卒業するころに、父の芸能プロダクションに所属する、夏川りみさんの紅白出場が決まって。今後はマネジメント業務が忙しくなると知り、家業を手伝うことにしました」

──猛烈に仕事をしていたそうですね。

「りみさんについては最初、衣装のアイロン掛けからファンクラブの会報作りまで、できることはなんでもやりました。そんな中、『彫金やってたなら、物づくり好きだよね?』と周囲に勧められ、ステッカーやTシャツなどのコンサートグッズを作ることになりました。

 そんなとき浮世絵の版元さんから『浮世絵でグッズを作ってくれませんか?』とお話をいただき、それが私と浮世絵の出会いになりました」

──すみません、そもそも浮世絵の版元さんって?

「浮世絵は木版画なので、絵を描く絵師、それを木に彫る彫師、それを和紙に摺る摺師がいるんです。3人の職人さんがいて初めて完成する総合芸術なんです。お恥ずかしい話、私も最初は知らなかったんですけどね。

 この版元さんっていうのは、本で言うところの出版社みたいなもので、企画・制作・販売をするなかで、絵師・彫師・摺師をまとめる役目を担っているんです。

 残念ながら版元さんとのファーストコンタクトのときは、浮世絵でグッズを作るまでには至らなかったのですが、それから浮世絵に興味が湧き、美術館で勉強したり、月に1回、版元の先生方のお話を聞く会に出席するようになりました」

──仕事を離れても興味を持ったと。

「はい。でもその後、私はいったん、グッズ制作から離れることになりました。2007年に夏川りみさんがウチの事務所を辞め、入れ替わりで入った弊社の主力演歌歌手の1人である山内惠介の担当になり、さらに仕事が忙しくなりました。

 紅白歌手の夏川りみさんとは違って、当時はほぼ無名の演歌歌手でしたから、イベントの企画から制作まで基本的にはすべて自前で行いましたし、CDのキャンペーンで全国を飛び回りました」

──浮世絵どころじゃなくなってしまった?

「そうですね。もう猛烈に仕事をして、気が付いたら29歳になっていました(笑)」

撮影/森田晃博

──そんな三井さんがなぜ、ロサンゼルスに行くことになったのでしょう。

「30歳を目前に、20歳で会社に入って9年間、ほぼ休みなく働いてきた自分に気が付き、『私は今後、どういう風に生きていきたいんだろう』と、ふと思ったんです。

 そこで父親に相談したら、もともと行きたかった海外に、2年ほど行くことを勧められました。そして行くなら、エンタメの本場であるロスに行こうと! 英語は全然話せなかったんですけどね(笑)」

──29歳で学生に!

「語学学校にまず入り、ビギナーコースからスタート。その後、耳が慣れたところで、UCLAエクステンションの夜間コースでエンターティメントビジネスの基礎を学び始めました。例えばアーティストの権利のこと、法律のこと、あとはコンサートのツアーマネージャーにはどうやったらなれるのか、などです。

 教授がマイケル・ジャクソンの元マネージャーや、スティーブン・タイラーの顧問弁護士など業界のトップの方たちばかりで、彼ら自身がエンターティナーということもあって、授業はとても面白く刺激的でした」

──いつ頃からロサンゼルスでの起業を考えたんですか?

「語学学校でいろんな国の友達と話すうちに、日本独自の文化がとても高く評価されていると感じたんです。

 私自身、日本にいると当たり前すぎて気づかないことに感謝することができたので、そこで知り合いの浮世絵の版元さんに『かつてフランスを中心にジャポニズムが起きたように、この時代の浮世絵を海外に発信することで、さらにその価値を高められると思います』と連絡したんですよ。

 その版元さんは当時、歌川広重の代表作『名所江戸百景 する賀てふ』の世界とドラえもんコラボさせた作品を制作されていたので、『アメリカだったら、スパイダーマンとコラボした浮世絵とか面白いですね!』と言ったら、『それやってよ』って返されました(笑)。それが起業のきっかけのひとつです」

──学んだことがすべてつながりましたね!

「2年で日本に戻るつもりでしたが、日本とアメリカの架け橋になるような仕事がしたいと思い、父の賛成も得て、ロスで会社を設立。さっそく営業を始めていろんなところに名刺を渡し、日本の芸能プロダクションのアメリカ支社の方ともお近づきになりました」

──いわば、ライバル社ですね。

「そうですね。でも、いろいろと情報交換をさせていただき、パーティで出会ったホリプロの副社長の方が、私のやりたいことを面白いと言ってくださったんです。

 ホリプロのアメリカ支社では音楽のライセンスビジネスをされているのですが、ロックバンドのKISSもライツを持っているアーティストの中の一組だと聞きました。

 KISSの特徴でもあるあの派手なメイクアップは歌舞伎からインスパイアされたものですし、そもそも浮世絵の"浮世"には"今"という意味もあって、現代のスターとコラボするのには完璧なお相手だと直感しました!」

──すごいトントン拍子!

「その後、ホリプロさんより、KISSのマーチャンダイジングの権利を持つアメリカの会社を紹介していただき、お借りしていた復刻版の浮世絵を持参してすぐにプレゼンしに行きました。

 そして社長・副社長と直接お会いすることができて、浮世絵の説明すると『ワンダフル!』と絶賛していただき、『来年の日本ツアーまでに作って欲しい』とKISSの浮世絵化がすぐ決定。ボーカルのポール・スタンレーやベーシストのジーン・シモンズも『自分たちが本物の浮世絵になるなんて素晴らしい』と、喜んでくれました。

 一からオリジナルで制作する浮世絵だったので、絵師探しで苦戦する部分はありましたが、なんとかKISSの来日に間に合わせることができました。

 KISSサイドの承認も一発OK。更にその当時、KISSがももクロさんとコラボして浮世絵をテーマにした新曲『夢の浮世に咲いてみな』を作るという偶然が重なり、ももクロさんとのコラボ浮世絵も制作させていただきました」

こちらがKISSとのコラボ作品。左から『変妖』『大首絵』『粋男』

──偶然の重なりが、どんどん大きなビジネスになりました!

「はい、あまり考え過ぎないで挑戦したことが、よかったのではと思います。英語がもっと話せるようになってからとか、ちゃんと資料を準備をしてから……と考えていたらチャンスを逃し、いまだに何も達成していなかった思います。

 プレゼンの英語は本当に下手だったかもしれませんが、情熱だけは伝わったのだと本当に嬉しく思います」

──現在、三井さんがプロデュースするコラボ浮世絵はKISSに続いて、イギリスのヘビメタルバンド、アイアン・メイデンのものが販売中です。

「アイアン・メイデンは、KISS浮世絵のプロモーショングッズが、たまたまライセンス会社の社長の目に留まり、オファーをいただいて実現しました。

 しかし、アメリカでは『なぜこのポスターが10万円もするの?』と思われているところがあります。販売するためには、まず浮世絵の歴史や作業工程などを知ってもらうことから始まるので、理解を得るのにはまだ時間がかかりそうです。でも、一人でも多くの方に知っていただけるように日々試行錯誤し、私も勉強させていただいています」

──今後の目標を教えてください。

「世界中のポップカルチャーのレジェンドたちと浮世絵をコラボさせ、シリーズ化することです。そうすることで“浮世=今”を映しつつ、伝統芸能の職人さんの、技能を残すお手伝いをしていきたいです。

 そして今、弊社にMIZMOという演歌ガールズグループがいるのですが、演歌独特のこぶしを3声のハーモニーで歌い、世界に進出しています。

MIZMOのコンセプトは「EAST meets WEST」。東西の音楽の衝突、協調、融合によってできた新しいENKAは彼女たちの「核」でもある(画像をクリックすると公式サイトに飛びます)

 先日、フランスでデビューをした彼女たちですが、独特なこぶしが、民族音楽としてとらえられ、非常に面白い反応をもらいました。

 日本で演歌は衰退の一途をたどっていますが、一歩海外へ出ると全く新しいものに変わるきっかけやチャンスがあると信じています。

 過去に前例がないので賛否両論、七転び八起きでいろんなことが起きますが、彼女たちにはあえて未知の領域へ踏み込み、新しい演歌の可能性を信じて、イノベーションを起こして欲しいと思っています」


<プロフィール>
三井悠加(みつい・ゆか)
1982年東京都生まれ。父親の営む芸能プロダクション・三井エージェンシーに9年勤め、コンサートの企画・制作、マネージャー業務、グッズ制作などを担当。2014年のロサンゼルス留学をきっかけに、伝統芸能とエンターティメントの融合したビジネスをスタート、現在に至る。

(構成・文/中尾巴 撮影/森田晃博)