『べっぴんさん』ヒロインの芳根京子。過去の朝ドラオーディションに3回挑戦し、4回目でようやく主演の座をつかんだ

 平均視聴率20%超えを連発し、絶好調なのがNHK連続テレビ小説『べっぴんさん』。

「坂野惇子さんという、ベビー服メーカー『ファミリア』の創業者がモデル。昭和初期から高度経済成長期の神戸と大阪を舞台に、芳根京子演じる『坂東すみれ』が戦後の混沌とした時代を精いっぱい生き、起業していく姿を描いています」(テレビ誌記者)

 とりわけ、セリフは少なめで表情での演技を求められる難役なのだが、そんなすみれを見事に演じる芳根に注目が集まっている。

「'13年のドラマ『ラスト・シンデレラ』(フジテレビ系)で女優デビュー。'14年の朝ドラ『花子とアン』では、ヒロインの親友の蓮子(仲間由紀恵)の娘役を好演。翌年には、ドラマ『表参道高校合唱部!』(TBS系)のキャストオーディションで、1000人以上の候補者の中から主演に選ばれました」(前出・テレビ誌記者)

 そして2261人の応募の中から『べっぴんさん』ヒロインの座を勝ち取る。わずか3年のキャリアでここまで高評価を得ている彼女の秘密に迫ってみると、ヒロイン誕生までの19年間に、想像もしないドラマが存在していた。

「この病気で亡くなった方もいると聞いて、そこから命の重さを自分で実感しました。そういう経験をしたからこそ、しっかりと自分を持とうと考えるようになりました」

 ヒロイン発表会見において、中学2年生のころに『ギランバレー症候群』という、筋肉を動かすなどの働きを持つ末梢神経が障害を起こすため、両手両足に力が入らなくなる難病を患っていたことを公表した。昨年、雑誌のインタビューを受けたとき、病気について、

《幸い私の症状は軽くて、また学校に通えるようになりましたが、でも1年の間に部活も勉強も置いていかれてしまって。そのときに友だちや先生や家族の大切さをすごく感じました》

 と語っている。苦難やハンデを乗り越え、見えてきた自分の生きる道。だけど意外にも彼女、女優志望ではなかったというのだ……。目指していたのは料理の専門学校だったとか。

《自分の作ったもので誰かが喜んでくれるなんて、すごく素敵なことだなぁって、そういう気持ちでした》(前出・雑誌インタビューより)

芝居に目覚めたキッカケは高校1年の文化祭

 料理を作るのが大好きなことは女優になった現在も変わらない。

 特に、お菓子作りは忙しい合間も取り組む趣味で、共演者やスタッフにも評判。

「『ラスト・シンデレラ』に出演したときも、クッキーやカップケーキを手作りして差し入れてくれたんです」(制作会社関係者)

 そんな彼女の気持ちが料理からお芝居に動いたキッカケは高校1年生のときの文化祭。クラスで映画を撮った際の達成感が印象深かったみたい。脚本から撮影、監督まで担当し、素人ながらも映画作りの大変さを学んだ。実は、この経験が後に重要な役割を果たすことに。

 それまでは映画やドラマにまったく興味がなく、ほとんど見たことがなかった。文化祭の直後に偶然、今の事務所にスカウトされたそう。

「実は、その場所というのが上地雄輔さんのライブ会場だったんです。彼の大ファンでその日もプライベートでライブを見に行っていたそう。グッズを買おうと並んでいたところ、会場にいた関係者の目に留まりスカウトされたんですって。事務所で上地さんと初めて会ったときは、緊張してしまってうまく話せなかったとか(笑)」(スポーツ紙記者)

芳根京子が芸能界入りするきっかけとなった上地雄輔

 そこから女優・芳根京子が形成されていくうえで、キーパーソンとなったのがマネージャーのA氏。

「Aさんはほかにも売れっ子のタレントさんを抱えていましたが、芳根さんを育てたいからと、その方をケアしつつも付きっきりで彼女の指導をしていました。何度もダメ出しされて泣いてしまうこともよくあったといいます。Aさんは食事ひとつとっても未成年ということで場所に気を遣ったり、細かい部分にも目を光らせていましたね。今回の朝ドラヒロインも“2人でつかみ取った栄光”といっても過言ではないでしょう」(テレビ局関係者)

 そのA氏と交わした約束のひとつが“ブログを毎日更新すること”だそうで、

「“これ面白いですかね?”と必死にネタ探しをしていましたよ。体調を崩してしまったときにさすがにストップするかと思ったのですが、マネージャーさんに代わりに更新をお願いして、“毎日書く”というルールは破りませんでした」(前出・テレビ局関係者)

 プライベートで親交があるのは、同世代の子たちがほとんどらしい。とりわけ仲がいいのは共演者たち。

「朝ドラで共演している土村芳(かほ)さんや百田夏菜子さんとはよく一緒に食事に行ったりしていますね。百田さんとは以前に映画『幕が上がる』でも一緒でしたから、前から仲がよかったんですよ」(制作会社関係者)

大御所と渡り合える度胸に「あの子はスゴい」

 最後に女優としての芳根の魅力を、彼女にとって3作目の映画『向日葵の丘・1983年夏』でメガホンを取った太田隆文監督に聞いてみた。

「オーディションのときです。今回、事前に応募者にシナリオを見せる時間がなくて、応募者はどんな映画なのか知らなかったんです。ところが彼女に高校時代の思い出を質問したら、友人たちと映画を作ったことだと言うんですね。この作品のシナリオとピタリと合致していて驚きました。ありえませんが、“こいつシナリオを見たんじゃないか”と思いましたね(笑)。全員一致で彼女に決まりでした」

昨年公開された『向日葵の丘』では、主人公の高校生時代を演じた

 朝ドラで見せるおっとりした感じとは違い、普段は「チャカチャカしてます」(太田監督)という彼女。小学生のようにひとときもじっとしてないみたい。それにもかかわらず、監督が“あの子はスゴい”と感じたのは、大御所とのシーンだったとか。

「津川雅彦さんを相手に堂々と渡り合っていたこと。津川さんはオーラがすごいんですよ。圧倒されてほかの役者もスタッフも、なかなか話しかけづらいものがあるんです。芳根は全然平気でしたからね。度胸がありますね」

 それでいて涙もろい一面も。

「泣くシーンがあって、誰でも準備が必要なんですが、“芳根! 大丈夫か?”って聞いたんですね。そうしたら“私は泣くの得意ですから”って言うんです。普段から涙もろいのは知っていましたが演技をするのと違いますからね。

 あんな元気な子がそう簡単に泣けるのかって思っていたら、その場で『仰げば尊し』を歌っているんですよ。当時まだ学校は卒業してなかったのにもかかわらず、“『仰げば尊し』を歌うと、みんなと別れることを想像しちゃうから悲しくて泣けちゃうんです”と言って、ひとりで歌っているんですよ」(太田監督)

 まさに、天真爛漫! 日本中が彼女の一挙手一投足にドキドキする朝がまだまだ続きそう――。