都内にも座禅ができる寺がいくつか存在する

 平日の朝7時。都心にある禅寺を訪れて驚いた。ざっと30人近くいるが半数以上は女性。年齢は20代から50代とさまざまだ。

 チーン、と住職が合図のカネを鳴らす。すると出勤前のパンツスーツ姿の女性たちが、一斉に「結跏趺坐(けっかふざ)」という正式な座り方で、自分の呼吸に集中する。みな背筋がシャンと伸びた、美しい姿勢だ。

 10分、20分と経っても道場には物音ひとつしない。境内で鳴く小鳥たちの声が、都心とは思えないほどクリアに聴こえてくる。30分×2ラウンドの座禅を済ませると、彼女たちは静かに一礼し、仕事に向かっていった。

 住職が言う。「ここ数年、女性の比率はますます高まっていますね。うちは場所柄もありますが、ばりばり働いているキャリアウーマンや、独立開業している女性が多いと思います」

 この1年ほど早朝座禅に参加しているという、36歳のSさんに話を聞いてみた。座禅会に参加することでどんな変化があるのだろう? すると驚きの答えが返ってきた。

「座禅を始めて、ようやく夫と離婚する決断ができました」

 と、その前に。筆者が禅寺を訪れたのには訳がある。私は先日『松田さんの181日』という短編小説集を出版した。その中に「床屋とプロゴルファー」という短編がある。禅の教えをテーマにしたものだ。

 それを読んだ知り合いの女性編集者や、大学時代の女友だちから「じつは私も座禅会に通っている」「生活に瞑想を取り入れている」という声が3件届いた。

 しかもその効用やエピソードは、どれもSさんのように思いがけないものばかり。

「もしや女性のあいだでZENや瞑想がブームになっているのでは?」

 それを確かめるために、取材に駆けつけたというわけだ。

座禅がもたらすものとは

 話をSさんに戻そう。結婚して7年。Sさんは専業主婦として過ごしていたが、1年半前に「夫婦関係がぶっ壊れた」という。「主人は私ほどには夫婦の絆を重視しておらず、子どもも欲っしていないことがわかったんです」。浮気の予兆もあったという。

 Sさんは「心がぐちゃぐちゃになり」半年間、悩んだ。「いま思えばウツ寸前まで行きました。いや、正直ウツだったかも(笑)」。

 そのときふと、早朝座禅に参加してみた。「初めは雑念ばかり浮かんで、夫や今後の生活の不安ばかり。弱ってるとき、座禅や瞑想はかえって良くないんじゃないかと思いました」

 ところが通い続けて3か月後。

「夫や結婚に対する執着がスッとなくなった。あ、自分は『結婚』という学びを終えるステージに来たんだな、と悟ったんです」

 Sさんは夫と離婚し、いまは結婚前にやっていた保母さんとして職場復帰。

「ほんとに心が切羽つまったときは、他人のアドバイスは役に立たない。自分の心の奥底を見つめ直し、立て直すために、座禅や瞑想をするんだと思います」

 住職によれば、Sさんに「気づき」が訪れた3か月というのは「魔法の時間」だそう。

「座禅を3か月続けると、セロトニンという幸福ホルモンが脳内で分泌しやすくなる。それが不安や悩みを解消し、『気づき』のきっかけを与えてくれるんですね」

 32歳のNさんは座禅を始めた理由を「とにかく仕事ができない自分をどうにかしたかった」と説明する。

「仕事の優先順位がつけられなくて、テンパリやすく、情緒不安定。上司にも怒られてばかりいました」

 各種の自己啓発セミナーにも通ったが「なんか違うな」と思った。そこでNさんは座禅会に参加。「リラックスした集中状態に脳を持っていくのが座禅」という教えを聞き、「これだ!」と思った。

「リラックスばかりじゃ仕事にならない。集中ばかりじゃ社内ウツになる。『リラックスした集中状態』こそ私が求めていたものだと思ったんです」

 2年以上、早朝座禅を続けているNさんに、どんな変化があったのか。

座禅で何が変わるのか

「大きくわけて3つあります」

「まず話のポイントが、瞬時につかめるようになった。たとえばクライアントが求めていることが、メールを一読しただけで分かる。目の前の仕事を、どの順番で片付ければいいか頭の中で整理できる。それまでの私では考えられないことです」

「2つ目は、気が利くようになったこと。たとえば上司にお酌をするタイミングもわかるようになったし、電車にお年寄りが乗ってきたときも、スッと自然に席が譲れるようになった。昔はそういうことでイチイチつまずいていたんです。こうなると気持ちにゆとりができて、自分に自信がつくし、毎日が楽しい」

「3つ目は勘が良くなったこと。この前、親友の結婚式でのことです。お気に入りのドレスを着ていこうと鏡を見たら『今日はやめとけ』という声がした。そうしたらなんと、同じテーブルに同じドレスを着ている人がいたんです」。

 これも座禅の効用かな、とNさんは笑う。

本原稿の著者・平岡さんが書いた『松田さんの181日』(文藝春秋社) 画像をクリックするとAmazonにジャンプします

 今やグーグルやアップルといった、アメリカのIT関連の大企業が、こぞって社員たちに瞑想を奨励する。

 教育や研修プログラムの一環で座禅を組み、瞑想することで、仕事はもちろん、人生の質も変わるというのだ。これは「シリコンバレーZEN」と名付けられ、いまアメリカ西海岸では60年代のヒッピー以来のZENブームが巻き起こっている。

 ZENの本場日本でも、ここ数年、早朝座禅や日曜座禅を開催する寺が増えてきた。ざっと検索してみただけでも20軒以上が日常的に座禅会を開き、どれも盛況だ。

 これに瞑想セミナーや、仕事に活かせる「マインドフルネス講座」まで入れると、都内で座禅や瞑想ができない時間帯や場所はないといってもいいだろう。

 書店に行けば禅を扱った書籍や雑誌がたくさん並ぶ。とくにビジネス書では「マインドフルネス」や「呼吸法」は一大ブーム。自己啓発本の一ジャンルとして定着した。

 禅や瞑想は、エコロジーや健康志向、断捨離やミニマリズム生活とも相性がいい。女性は自分の心身の不調に敏感。現在は禅寺が、心身のバランスを整えたい女性たちの「駆け込み寺」として機能しているのかもしれない。


<著者プロフィール>平岡陽明(ひらおか・ようめい)◎1977年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。'13年「松田さんの181日」で第93回オール讀物新人賞受賞。