ついに、NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』がスタート! とはいえ、歴史上ではあまり知られていない人物だけに「一体、井伊直虎って何をした人なの?」なんてギモンを抱く人もいるはず。そこで、東京大学史料編纂所教授で、2012年の大河『平清盛』で時代考証を担当した本郷和人先生に、ドラマの“イチオシ”ポイントを聞きました。

謎が多いところはドラマ向きかも

本郷和人先生 撮影/吉岡竜紀

「直虎という人物は、非常に謎に包まれた人物です。私が勤めている史料編纂所には、歴史上の人物の名前が記載されている書物や古文書を管理するデータベースがあるのですが、井伊直虎と検索をかけると2件しかヒットしません。

 徳川家康は3000件を超え、大坂の陣まで目立った活躍をしない『真田丸』の主人公・真田信繁だと7件程度です。それだけ言動が明らかになっていない人物だといえますが、裏を返せば、非常にドラマ向きの人物でもある。私が時代考証を担当した『平清盛』に比べると、かなり大胆に脚色しても許されるはずではないかと(笑)。

 実は、井伊直虎が女性だったという物証はありません。江戸幕府が開かれてから約150年後に突然、井伊家が“直虎は女だった”と言いだしたことが、今日まで“直虎=女性”という認識として生き続けています。

 まだまだ女性のステータスが低かった時代に、大老職を歴任する名門・井伊家が、そのような爆弾発言をするメリットはないですから、直虎は本当に女性だった可能性は高いでしょう。

 だからこそ、お家存続こそが至上命題の時代に、男性なら百歩譲ってありえるとしても、出家した女性が還俗してお家断絶を回避するというウルトラCを成し遂げたというのは、歴史上を見ても類を見ない機転のきかせ方だといえます。そこに至るプロセスをどう描くかが大きな腕の見せどころですね。

 また、井伊家と家康の関係性にも注目です。武田家が滅びたときに彼らの旧臣を率いることになったのが井伊直政です。家康は武田家を非常にリスペクトしていたので彼らを再雇用し、井伊家と併合させてしまう。直政が武田家ゆかりの“赤備え”と呼ばれる鎧(よろい)をまとうのもそういった理由からなのですが、いうなれば家康はまったく新しい井伊家をプロデュースするわけです。

 同時に、直政は百戦錬磨の武田軍のサポートを受けるわけですから、いかに直政が家康の寵愛(ちょうあい)を受けていたかが推測できます。譜代大名でありながら、直政の子・直孝の時代には30万石を超える大大名にまで出世するなんて耳を疑うレベル。

 いかにして直政が家康に気に入られていくのか? そのあたりもこのドラマの大きな見どころといえるでしょうね」

<プロフィール>
ほんごう・かずと◎1960年、東京都生まれ。東京大学文学部・同大学院で日本中世史を学ぶ。日本中世政治史、中世古文書学、中世寺院史を専門とする一方、アイドルに詳しいという一面も。東京大学史料編纂所の助手・助教授などを経て現職。2012年のNHK大河ドラマ『平清盛』で時代考証を担当。現在はテレビをはじめ、各種メディアでも活躍中。近著に『戦国夜話』(新潮新書刊)がある。

※『週刊女性』2016年12月20日号より