西野菜緒子さん(45歳、仮名)は生活保護を受給しながら無料低額宿泊所で生活している(写真:東洋経済オンライン編集部)
この連載では、女性、特に単身女性と母子家庭の貧困問題を考えるため、「総論」ではなく「個人の物語」に焦点を当てて紹介している。個々の生活をつぶさに見ることによって、真実がわかると考えているからだ。今回紹介するのは、双極性障害と注意障害、不眠症を抱える、埼玉県に住む45歳のバツイチ独身女性だ。
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 2016年年末。埼玉県最大の繁華街大宮は、家族連れやカップル、冬休み中の学生たちでにぎわう。お母さんたちは正月用の食材やお飾りを抱え、子供たちは師走の喧噪に浮足立つ。駅前で市内のNPOが運営する「無料低額宿泊所」で生活する西野菜緒子さん(45歳、仮名)と待ち合わせた。

 西野さんはダウンコートを羽織り、スマホ所持、カバンの中には化粧品と人気作家の文庫本があった。家族を連れたお母さんたちと、何も変わらない普通の女性だ。

「今、住むのは家のない人のための寮です。ほぼ全員が生活保護を受けています。生活保護なので文句を言える立場ではないけど、男女一緒とか、シラミまみれで不衛生とか、生活環境は悪い。それに何かしら問題がある人が集まっているので、突然奇声が聞こえたり、暴れたりみたいなことはある」

 無料低額宿泊所は、生活困難者のための無料または低額な料金で宿泊ができる第二種社会福祉施設。西野さんはちょうど1年前の昨年1月から生活保護を受給し、ソーシャルワーカーの勧めで現在の宿泊所で暮らす。寮には精神疾患を抱える者や身寄りのない認知症高齢者など、問題を抱える人が多く、互助のような状態からはほど遠い。

 さらに利用料はけっして安価ではない。生活保護費から施設利用料月4万2000円、食費2万8000円、水道光熱費1万円、管理共益費5000円、合わせて月8万5000円を運営する法人に支払う。月に使えるおカネは2万円ほどだ。

ファッションビルの女子トイレで服毒自殺

「お正月が明けた10日前後だったかな。私、あそこで自殺しました。本当に迷惑な話だけど、真剣に死のうと思って、女子トイレで服毒です。まあ、死ねなかったから、今ここにいるのですけど」

 指の先には若者向けのファッションビル。女子トイレで服毒して酩酊状態で大宮駅周辺を歩き、救急車で運ばれ、3日後に意識を取り戻したという。いったい何があったのか。喫茶店に移動すると、彼女の身に起こった絶望的な話が始まった。ちょうど1年前の出来事だ。

 バツイチ。17歳で結婚、女児を出産。19歳で離婚後、水商売や非正規職を転々とする。数年前から双極性障害と不眠症、注意欠陥障害が発症し、本気で自殺未遂をした1年前は、とても働けない状態だった。3年前に派遣された工場で知り合ったひと回り年下の男性と同棲、男性が勤めるパチンコ店の職場の寮に住んでいた。明日、明後日を乗り切るだけのギリギリの生活だ。

「その人(彼氏)のことは別に好きでも嫌いでもなく、2年くらい前からなんとなく一緒にいた。30歳を超えたあたりから、もう希望は何もなくて、ただその日暮らし。付き合って同居すれば、家賃がかからないってくらいの意識です。1年半くらい前から私は精神的に不安定で、とても働けるような状態じゃなくて、生活はその人頼りでした」

 男性も同じバツイチで非正規や派遣職を転々としながら、その日暮らしをしていた。医療器具の組み立てや検査をする工場で知り合い、男性はすぐに辞めて別の工場へ、そして新聞配達と仕事を転々とする。男性は何の仕事も続かないタイプで、離婚原因も愛想を尽かされたことが原因だった。1年前は隣の市に寮のあるパチンコ店に勤めていた。

「その人は結局、パチンコ屋で働いていなかった。無断欠勤。店の人が寮に来て、出勤していないって。“もう1度、ちゃんと働けばクビにはしない”って言ってくれたけど、その人は次の日に“もうここ出よう”って言いだして、何言っているの?って言い争った。結局、夜逃げみたいな感じで逃げた。2人してホームレスです。とりあえず人がいる繁華街に行こうってことになって、大宮まで歩いた。確か去年(2015年)のことです」

 突然の夜逃げ、現金は2人合わせて500円もない。タクシー代は当然、バスの運賃も払えない。大宮まで歩くしかない。一晩中、6時間以上かかった。1日を暮らせるおカネすらない。途方に暮れた。スマホを売って1万3000円を作った。ネットカフェに泊まり、何も食べずに過ごす。

市役所に相談したら「乾パン」

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「ネットカフェで仕事を探したけど、年末だから世の中が動いていない。ネットカフェ代でどんどんおカネはなくなる。大晦日はマック泊、もう1台その人の携帯を売って、どうにもならなくて1月4日か5日に市役所に相談に行った。保護とかそういう話にはならなくて、乾パンみたいな非常食をもらった。私は大宮に着いた段階で、もう死にたいと思っていた。年末年始は1日中、どう死のうってことばっかり考えていた」

 携帯電話も住所もない、仕事を探しようがない。目の前の数時間を乗り切るだけ。西野さんは男性に“サラ金でおカネを借りてほしい”と言われ、ダメ元で消費者金融に行った。以前の派遣の勤務先で申請すると20万円を借りることができた。

「おカネがあるうちに仕事を探して、やり直そうって言ったら“パチンコする”って。何考えているの?って止めたけど、言うことを聞かないでパチンコ屋に行っちゃった。その人はおカネがあると何も言わない、おカネがなくなると“やり直したい”って言いだす。その繰り返し。そのとき、私は死ねるように薬品を買ったんです。自殺です。ある薬品を100ミリリットル飲めば死ねるってテレビでやっていて、薬局で普通に買いました」

 その薬品は危険物だが、薬局や通販で普通に買える。価格は500ミリリットルで2500円ほど。摂取すると、体内で有毒化して内臓が機能しなくなるという。

 西野さんはパチンコ台と向き合う男性の後ろ姿をみて、もうどうにもならないと思った。自殺することを決断する。薬局で薬品500ミリリットルを入手し、男性が3万円負けて戻ってきたとき、明日一緒に心中することを強い口調で伝えた。残りのおカネは4万円ほど。人生の最後くらいはおいしいものを食べようと、そのまま有名焼肉店に2人で行く。

「1月半ば。最後の晩餐みたいなことをした。普通に焼肉を食べました。もうこの人はやる気ないだろうと思ったし、携帯電話もないのでやり直すことはできないだろうって。私は死のうとずっと思っていたし、最後に焼肉屋さんで残りのおカネをパッと使おうって。彼氏は死ぬことを渋って“やり直すから、ちゃんと仕事を見つけるから”って騒いでいたけど、もう死ぬから、今日死ぬのって何度も言い聞かせた」

 男性に薬品を100ミリリットル以上飲めば死ねるからと、ペットボトルに半分250ミリリットルを入れて渡した。ネットカフェのドリンクバーを使って、ジュースを混ぜたら飲みやすいと伝えた。2万5000円くらいの会計をして焼肉屋を出た。普通に笑顔で手を振って別れて、自動販売機でジュースを買い、そのまま近くのファッションビルの女子トイレに入る。ジュースを混ぜながら250ミリリットルの薬品を全部飲んだ。西野さんには、なんのためらいもなかった。

「飲むのはツラかった。飲んでからは酔うみたいな感覚。気持ちよかった。頭がフラフラして、そのまま大宮を歩いてネットカフェに戻った。それから記憶はありません。起きたのは3日後、総合病院でした」

 男性が救急車を呼んだ。助かった。病院のベッドで目覚めたとき「どうして生きているの」とショックだったという。事情を話すとソーシャルワーカーに精神科の受診を勧められ、双極性障害と注意障害、不眠症と診断された。生活保護の手続きをした。そして、現在暮らす無料低額宿泊所を紹介されて退院する。同じく彼氏も生活保護を受け、関係はそれっきりとなった。

14歳のとき娘は出て行った

悲惨な出来事を表情を変えずに淡々と語る(写真:東洋経済オンライン編集部)

 西野さんはほぼ表情を変えることなく、1年前の悲惨な出来事を淡々と語る。死ぬことばかりを考え、本当に自殺した。極限の貧困から起こった目に浮かぶ悲惨な話に私は息をのんだが、彼女はツラそうでも苦しそうでもなかった。表情が若干曇ったのは、17歳のときに産んだ娘の話が出てからだ。

「生きる意味がわからなくなったのは、だいぶ前。娘が14歳のとき、娘は出て行った。娘がいたときは、娘のために頑張らなきゃと、前向きな感情はずっとあった。娘がいなくなった時点で、私、何のために働くのだろう、生きているのだろうみたいな状態。異常な虚無感が離れない。精神的に不安定になったのも、娘がいなくなってからです」

 彼女は裕福な家庭で育っている。父親はデザイン会社の経営者、母親は子供思いの優しい女性だった。2つ年下の妹がいる。両親の勧めで中学受験をして、お嬢様系の中高一貫校に進学。家族がおかしくなったのは中学1年のとき、母親ががんになり、入院中に父親が浮気をしてから。母親はがんが全身に転移して1年も経たずに亡くなった。

「その頃から父親に不信感を抱くようになって、学校に行かなくなって、父親に反抗した。中学2年で母親が死んでから、学校に行かないでコンビニでバイトして、もう、高校には進学したくないって。目先のことだけに執着して、反抗して、高校に進学しなかった。結婚して家を出てからは父親と妹とはいっさい連絡を取ってない。絶縁です。母親が死んで家族崩壊、家族はお互いに興味がないというか。家を出た16歳以降、1度も接触していないです。だから父親と妹がどこで何をしているのか、いっさい知らない」

 アルバイトしているコンビニで7歳年上の職人に声をかけられ、付き合った。16歳で妊娠してできちゃった婚、17歳で娘が生まれる。結婚した職人はダラしない男だった。毎日、毎日、現場を遅刻して給与から天引きされ、基本給から10万円以上が引かれて手取り13万円を切ることもあった。7万円の家賃を払ったら生活ができない。いくら言っても遅刻癖は直らない、結局、19歳で離婚した。

同棲相手が娘に「性的な悪戯」

 離婚して寮付きのキャバクラで働く。娘は夜間保育園に預けて、月に40~50万円はコンスタントに稼いだ。水商売は4年間続けた。23歳で娘のために昼間の仕事に転職する。中卒は仕事がない。高校中退、高卒と何社もウソの履歴書で求職したが採用にならない。トラック運転手になった。30万円を超える月給はもらえたが、労働時間が不規則で長時間労働だった。

「娘はキャバクラのときと変わらない夜間保育園です。小学校になってからは独りで留守番が多かった。今思えば、ネグレクト。26歳のころから運転手時代、勤めていた運送会社の課長と付き合った。相手はバツイチで同棲です。私は学歴詐称してなんとか派遣の昼間の仕事を見つけて、昼間は課長が子供を見てくれるから安心して働いていた。でも、実は、ふたを開けてみたら、課長が娘に性的な悪戯をしていました……」

 娘が小学校4年のとき、友達の母親が性的虐待を通報している。娘が友達に話して、お母さんに伝わった。深夜近くに仕事から帰ると、玄関に児童相談所からの張り紙と手紙があり「即時保護」と書かれていた。連絡をすると性的虐待を聞かされた。同棲する課長は同棲が始まった3年前から娘に口淫をさせたり、局部をなめたりしていたという。

 課長と同棲した大きな理由は「自分の娘と同じ年齢の娘がいる」ことだった。子供好きで、娘も懐いていた。がく然とした。まさかと思い、課長に確認すると性的虐待は事実だった。即時保護された娘は児童養護施設から学校に通い、面談することも許されなかった。

「児童養護施設はすごくいいところだった。住宅展示場みたいな。毎月5000円のお小遣いをもらって、すごくいい暮らしをしていた。課長と別れて引っ越して、なんとか娘を戻すことができたのは中学1年でした」

 家族2人が普通に生きていくため、月25万円は必要だった。工場で働くようになって、積極的に残業してなんとか2人で生活できる環境を整えた。現状を児童相談所に報告し、娘との生活を再開させた。

「当時は娘のために稼ぐって意識が強かった。残業すると22時、23時まで仕事。帰ってくるのが遅かった。娘は不満だったと思う。それで中学2年になって、娘が急に“施設に戻りたい”って言い出した。言い合いになってふて腐れて出て行って、夜遅くまで帰ってこなかった。娘に電話して頭にきて“もう、帰って来なくていい!”って怒鳴ったら、そのまま帰って来なくなった……。娘とはそれっきり」

「娘に捨てられた」

 何度も聞き直したが、怒鳴って電話して、それが今生の別れになったという。ずっと西野さんは淡々と語っていたが、忘れていたトラウマを思い出したのか涙目になった。娘は自ら児童相談所に駆け込み、そのまま保護、養護施設に戻ってしまった。

「娘に捨てられた、と思った。施設には迎えに行かなかったし、それっきり電話でも話していません。今、何しているかも知らないし、住所は何度も変わっているので娘も探しようがない。生涯、もう会わないし、会えることはないってことです。会いたいとも思わないし、もう、今となってはどうでもいいこと……」

 恋人による性的虐待、なんとか生活を支えようと頑張って働けば家庭は破綻――。生活かネグレクトか、出口のない望まない選択しかない中で最終的には娘に捨てられてしまった。

 娘を失った西野さんは、精神的に不安定になった。31歳で娘と別れてから14年が経つ。働けたり、働けなくなったりを繰り返して、非正規や派遣を転々とする。そして、現在に至っている。娘のことを思い出したのは、何年かぶり、この数年は頭の片隅にもなかったという。

「やっぱり私が親と妹、家族に愛情がないから、娘もそうなのかもしれない。たったひとりの孤独が受け継がれていくみたいな」

 娘の話が出て涙を浮かべた西野さんは、すぐ無表情に戻った。彼女は16歳から家族とは絶縁状態、血が通う娘とも生き別れて、今では思い出すこともない。本当の孤独の中で、誰かを好きになることもなければ、希望みたいなものも一度も浮かんだことはない。ただただ、目の前の今日を生きているだけ。

「自殺未遂以降、先のことは何も考えてないし、福祉に世話になりながらゆっくりただ生きているだけ。もう働くどころか、死にたいとも思わない。本当に何もないですから」

 最後は少し表情が和らぎ、そう笑いながら言い放つ。孤独と絶望を超えた先にある虚無な笑顔だった。


<著者プロフィール>
中村 淳彦(なかむら あつひこ)
Atsuhiko Nakamura
ノンフィクションライター
東京都生まれ。アダルト業界の実態を描いた『名前のない女たち』『職業としてのAV女優』『日本の風俗嬢』『女子大生風俗嬢』など著書多数。フリーライターとして執筆を続けるかたわら介護事業に進出し、デイサービス事業所の代表を務めた経験をもとにした『崩壊する介護現場』『ルポ中年童貞』が話題に。最新刊は、女性の売春が政治経済に影響されることを解説した『図解日本の性風俗』(メディアックス)。