田園風景のなか走り抜ける上越新幹線

 2016年のベストセラー(文庫、コミック等を除く)は、石原慎太郎の『天才』(累計発行部数92万部)だった。これは、故・田中角栄を描いたもので、

俺はいつか必ず故郷から東京に出てこの身を立てるつもりでいた

 と、あたかも本人が語っているかのような、妙な感覚がする本だ。

 この本だけではなく、2016年は“角栄本”が続出し、出版界は“角栄ブーム”の年となった。一例を挙げれば、『田中角栄 100の言葉』(別冊宝島編集部)、『冤罪 田中角栄とロッキード事件の真相』(石井一)、『まんがでわかる 田中角栄の人を動かす力』(別冊宝島編集部)、『田中角栄 頂点をきわめた男の物語 (PHP文庫)』(早坂茂三)などである。

角栄ブームが起きた理由

左は石原慎太郎が書いた『天才』。右は『日本列島改造論』。田中角栄が著者となって'72年の自民党総裁選直前に発売され、事実上の政権公約に。同書には「全国新幹線」という言葉が頻繁に使われる

 なぜ、今になって田中角栄ブームなのか?

 新潟で生まれた田中角栄は、高等小学校卒で、今で言えば中学卒に相当する。卒業後に上京すると、田中土建を設立するなど土木建設業で成功し、そこから政治家に転じて総理大臣にまで上り詰める。まさに“ジャパニーズ・ドリーム”を体現した男だ。

 しかも、田中角栄と総理総裁の座を争ったのは、東京帝国大学法学部卒で大蔵省出身の福田赳夫だった。高等小学校卒が超エリートを負かしたのだから、これほど痛快なことはない。

 考えてみれば、今の政治で名前が挙がる人は、石破茂、岸田文雄、野田聖子、小池百合子、蓮舫、橋下徹など、有名大学出身者ばかりだ。エリートとは対極にあるはずの共産党ですら志位和夫が東大出身なのだから、私の思いつく限り、学歴エリートしか見当たらない。

 総理大臣となった田中角栄は、就任最初の年(1972年)に日中国交正常化を果たし、内政では国土開発に邁進し、党内の派閥争いでは田中派を立ち上げ、総理辞任後も大きな権力を維持した。しかし、ロッキード事件で刑事被告人になり、最後には有罪判決を受ける。権力の絶頂からの転落、日本人が好むストーリーである。

 田中角栄の政治は、金権政治として世間の批判を浴び、その後も悪い影響を残した。しかし、ネガティブな記憶は時とともに薄まり、一方で、右肩上がりの時代への郷愁、歴史的な政治イベントへの興奮、ドラマチックな人生物語の面白さなどにより、田中角栄の魅力が見直された。これが、田中角栄ブームの要因だろう。

鉄道史に欠かせない田中角栄

東京駅で停車している上越新幹線E4系「Maxたにがわ」

 田中角栄と言えば、(石原慎太郎の『天才』では触れられていないが)、良くも悪くも、鉄道史においても欠かせない人物である。

 国会議員になった田中角栄は、長岡鉄道の社長に就任し、会社合併により越後交通を発足させる。これが田中角栄の地盤の基だ。越後交通は現在では鉄道を運営していないが、田中角栄の出世の足掛かりは鉄道事業だったのだ。

 国政の中枢に上り詰めた角栄は、道路特定財源の仕組みを作って道路整備を進め、鉄道建設を国鉄から切り離し、日本鉄道建設公団を発足させて全国に鉄道を敷設した。ただし、そのローカル線の経営を国鉄に押し付けたため、国鉄破綻の大きな要因になる。

 鉄道に関する象徴的な出来事といえば、上越新幹線の開業だろう。

 今では言われなくなったが、かつて日本海側は“裏日本”と呼ばれ、太平洋側に比べて発展が遅れていた。新潟出身の田中角栄にとって、これが政治家としての原点となる。戦後間もない昭和21年、彼が政治家を志して行った演説では、

「この新潟と群馬の境にある三国峠を切り崩してしまう」(早坂茂三「オヤジとわたし」)

 と、ぶち上げている。ホラ話のようだが、実際に三国峠を貫通させて関越自動車道と上越新幹線を開業させたのだ。

 どのように上越新幹線を実現させたか、その様子が「NHKスペシャル 戦後50年そのとき日本は」(NHK出版)に描かれている。

 東海道・山陽新幹線以降の新幹線建設は、全国新幹線鉄道整備法を制定して進めることが決まり、その第一章第一条には、

“新幹線鉄道による全国的な鉄道網の整備を図り、もつて国民経済の発展及び国民生活領域の拡大並びに地域の振興に資することを目的とする”(一部抜粋)

 と掲げられた。つまり、(輸送量の増大で)必要に迫られて開業した東海道・山陽新幹線とは違い、地域振興を新幹線開業の目的に据えたのだ。

JR東日本の経営を支える上越新幹線

 この法律には重要な点がもう一つある。どこに新幹線を建設するかを、国鉄(現:JR)が決めるのではなく、運輸大臣(現:国土交通大臣)が“基本計画”および“整備計画”として決定するのだ。

 田中角栄(自民党幹事長)は、法律の原案を官僚から受け取ると、路線が書かれた別表を見るや、

ここに、もう一線つけくわえるべきではないか

 と言って、路線を書き加えたという。付け加えた路線が上越新幹線だったとは明記していないが、言うまでもないということだろう。

 このとき“基本計画”になったのが、東北新幹線、上越新幹線、成田新幹線である。東北新幹線は鈴木善幸総務会長、上越新幹線は田中角栄幹事長、成田新幹線は水田三喜男政調会長の地元を通るもので、このとき田中角栄が自民党三役に上り詰めていたことが、新潟県には幸いしたのだ。ちなみに、成田新幹線は地元の反対もあって実現せず、東北新幹線と上越新幹線だけが早期実現を果たす。

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 当初は収支が危ぶまれた上越新幹線だが、現在はJR東日本の経営を支える路線の一つである。上越新幹線の大宮駅~新潟駅(北陸新幹線含む)は、JRが発足した30年前に比べて5割も輸送量が増えた。

 ただし、その牽引役は田中角栄の地元ではない。大宮駅~高崎駅は2.3倍にもなったが、高崎駅~新潟駅では15%も減っているのだ。

 大宮駅~高崎駅が増えたのは、JR発足時にバブル景気が始まり、地価の高騰で通勤圏が広がって、新幹線通勤が急増したためである。

 JR東日本が2階建て新幹線を投入したのも、この新幹線通勤に対応するためだ。こうして定着した新幹線通勤は、不景気になっても大きく落ち込むことはなく、現在に至るのである。田中角栄が生んだ上越新幹線は、北関東に住む遠距離通勤客によって育てられたわけだ。

 彼が行ったことは功罪相半ばするが、結果的に、上越新幹線は多くの人の役に立った。時代とともに歩んできた上越新幹線は、今年開業35周年を迎える。


文)佐藤充(さとう・みつる):大手鉄道会社の元社員。現在は、ビジネスマンとして鉄道を利用する立場である。鉄道ライターとして幅広く活動しており、著書に『鉄道業界のウラ話』『鉄道の裏面史』がある。また、自身のサイト『鉄道業界の舞台裏』も運営している。