多忙な中、突然の直撃取材にも丁寧に答えてくれた香川。一問一答の様子は後半で

 昨年12月14日、21年間連れ添った元CAの妻との離婚が報じられた市川中車こと香川照之。

 同日夜の会見では、離婚理由についてはいっさい話せないとしながらも、集まった記者に対して「今回は、ひとえに私の力不足、私の力足らずでこのような結果になってしまいました」と謝罪の言葉を述べた。

離婚会見の日、香川は歌舞伎座の昼公演に出演していました。報道陣は昼過ぎには集まっていたのですが、翌月に出演する舞台の稽古をしていたため、結局、囲み取材は午後8時ごろになってしまった。2か月連続で歌舞伎公演に出るなど、彼は離婚後もかなり精力的に稽古をしているようです」(スポーツ紙記者)

 香川が今年1月に出演したのは、新橋演舞場での『三代目市川右團次襲名披露』公演。彼と同じ澤瀉屋一門だった右團次が、新たに高嶋屋として独立する記念すべき公演だ。

「今回の公演で中車や主役の右團次より目立っていたのが、『二代目市川右近』を襲名した右團次の長男・タケルくんでした。途中3回の休憩があるとはいえ、4時間の演目にほぼ出ずっぱり。6歳での初舞台ながら、1人2役という難しい役を見事にこなしていました。

 しかも、父と猿之助と3人での宙乗りも行われ、宙乗り最年少記録を更新したのです。社内では“天才子役が現れた”と、彼の噂でもちきりですよ」(松竹関係者)

 場内では右近くんが長ゼリフを言い終わるたび、観客からは万雷の拍手が送られたという。公演を見た芸能レポーターの石川敏男氏も、彼の才能に驚かされたという。

父親の背中を見て育ってきただけに、芸に生きていくという姿が見てとれましたね。あれだけの長ゼリフをきちんと言えていたし、本当に舞台はよかった。

 楽屋に挨拶に行ったときに右近くんはゲームをしていたんですが、そばにいた市川猿弥さんが、“ちゃんとご挨拶しなさい”と言うと、ゲーム機を置いて私を見て“ありがとうございました”と言ってくれました。歌舞伎に生きて、歌舞伎に育てられる。そんなところが垣間見られましたね。右近くんがいれば、澤瀉屋は安泰じゃないですか

香川親子に対する風当たりの強さ

1月の初舞台で高い評価を得た二代目右近と父の右團次

 右團次は高嶋屋になるが、息子の右近はあえて自分の育った澤瀉屋で稽古するという。となると、ある問題が勃発しそうなのだ。

「これからは、香川の息子である團子くんが、同じ一門ということで何かと右近くんと比べられてしまうことでしょう。

 本人同士は何とも思っていなくても、梨園というところは周囲が何やかんやと言いたがる。実際に'13年には、あるお囃子のお偉方がブログで、名指しこそしないものの、團子とわかる内容で“駄馬”と評する事件がありました。

 46歳で歌舞伎界入りした香川親子には、ただでさえ風当たりが強い。今でも“なぜ、ドラマに出るときも中車を名乗らないんだ”と批判する大御所もいますからね」(全国紙記者)

 芸能界では成功した香川が歌舞伎という伝統芸能に飛び込んだのは、父が大きくし自分が継げなかった『猿之助』の名跡を息子に継がせるため。'11年の襲名記者会見でも、彼はその決意をはっきりと語っている。

私の中で140年にわたって続いているその代を、僕自身が生きていて政明(團子)という長男がいて、やらなくていいのか。“この船に乗らなくていいのか”とこの10年、それと彼が生まれたこの7年、ずっと思ってきたことです

 だが、彼が追い求めてきた夢に暗雲が立ち込めている。

最近、團子くんが歌舞伎から遠ざかっているというのです。どうも、稽古すらしていないという話も漏れてくる。しかも、離婚したので香川の元妻が育てているわけですが、彼女は息子の梨園入りには反対の立場だった。そもそも、離婚の理由は香川が勝手に歌舞伎界入りしたことですからね。そうなると、團子くんが自然と稽古や舞台から距離を置いてしまうのも、しかたがないでしょう」(前出・全国紙記者)

 故・坂東三津五郎さんと寿ひずるの長男として生まれた坂東巳之助は、両親の離婚によって歌舞伎から離れた時期もあった。だが、寿が“離婚してもあなたは坂東家の跡取り”と、息子を稽古に通わせ続け、現在は立派な役者に育っている。だが、それはまれなケースだろう。

 それだけに、香川の親戚で歌舞伎研究家の喜熨斗勝氏も心配を隠さない。

「歌舞伎の家では父親は芸を教えますが、母親は心のよりどころなんです。そういう意味では、息子を歌舞伎役者にしようとする香川くんにとって、離婚したことは、ある意味つまずいてしまったかもしれない。両親が別れてしまったことは、團子くんがいちばん大変でしょう

 45年間も父・猿翁と息子・香川は断絶していた。恩讐を越えて再会したものの、孫に祖父の名跡を継がせる夢は途絶えてしまうのだろうか─。

 そこで、2月上旬。自宅から出てきた香川を直撃取材した。離婚会見後、初めて重い口を開いてくれた。

直撃取材に向き合った香川照之

2月初旬、昼過ぎに自宅マンションから徒歩で外出する香川

─團子くんが歌舞伎をするのを嫌がっているという話を聞いたのですが?

いや、とても前向きにやっていますよ

─息子さんの次の出演予定は決まってないですよね?

「まだ決まってないんですよ。学校がありますので……。本当に先輩方の都合がありますし、決まってはいないんです」

─(團子は)稽古はしているんですか?

「もちろん。歌舞伎役者ですから」

─香川さんが離婚されたことが、團子くんが歌舞伎から遠ざかっている原因では?

ご心配なく。前に進んで、やることをやるだけです。とりたてて、面白い話はないですよ(苦笑い)

─團子くんは元奥さんと一緒にいて、稽古などに支障があるのでは?

「(息子は)自分の好きなように行ったり来たりしているので、問題はないですよ」

─離婚理由は、やはり香川さんが歌舞伎界へ入ったことですか?

会見でも話せないと言った以上、話せないんですよ。本当にすみません

─なぜ、香川照之と市川中車を使い分けるのですか?

それもいろいろあるんで、ひとつには決められないんですよ。スタート時点でそう決めたので、今のところはそうやっていこうと

─梨園ではそれに苦言を呈する人もいるようですが?

「まあ……。それは小さな問題ではないので、すみません」

─現在も“息子を猿之助に”というお気持ちに変わりはありませんか?

それも含めて一門の気持ちもありますし……。それも含め、僕が言える範囲ではないです

─襲名会見では、團子くんに猿之助を襲名させる強い思いを話されていましたが?

それはまだ何もわからない段階でしたので、無責任なことを申してしまったかもしれません。ただ、責任あることではありますので、今となれば僕の一存でどうこうできる問題ではないですからね

 約5年前に輝くような笑顔で襲名会見に臨んだ香川。だが、今はどことなく悲愴感が漂っているように見えた。

現時点で、13歳の團子くんが歌舞伎をやめるという申し出は聞いていません。ですが、子役と違い、中学生になるとあまり役が回ってこないんです。厳しい状況でしょうが、彼には頑張ってほしいですね」(前出・松竹関係者)

 この6年間、ドラマや映画、歌舞伎と休みなく突っ走ってきた香川。彼は息子にどんな背中を見せていくのだろう。