テレビ朝日にて4月から放送予定の『連続ドラマ サヨナラ、きりたんぽ』。女性が男性の下腹部を切断するという、1936年の阿部定事件を彷彿とさせるストーリーゆえ、そのタイトルにおける“きりたんぽ”の用い方が不適切だとして秋田県側が抗議。これを受け、同番組タイトルは変更されることになったが…。

世間一般の感覚から“ズレた”ものは作られてしまう原因は…

秋田県の郷土料理、きりたんぽ

 秋田県側が怒るのは、無理もないよね。そもそも、きりたんぽをそういうものに見立て、タイトルとして公表する感覚が理解できないです。

 問題なのは、なぜ相も変わらずこういう“ズレた”センスが次々と出てくるのかということ。

 最近だと、フジテレビが、4日に放送したディズニー映画『アナと雪の女王』におけるエンディング特別映像で批判を受けていた件もそうです。世間一般の感覚からズレているものが、なぜ普通に作られてしまうのか。

 その一因には、テレビ業界の体質があると思う。それぞれの業界に、世間一般の感覚とはズレた独自のルールというものは少なからずあると思うんだけど、テレビ業界も同じです。

 そして何かを表現する立場上、作品のセンスそのものが問われる。だからこそ、放送後の評価を想定して作るべきだよね。ズレが露呈しやすいからこそ、内輪ウケに留まらず、視聴者との感覚を意識的に縮める努力が必要なんだと思うよ。

 もちろん業界のなかにも、そのズレに気が付いている方はいらっしゃるはず。だけど、そういう人たちは、笑えないとか、面白くないということを言い出しにくい、正すようなことがしにくい環境下にあるんじゃないかと思うんです。番組を作るとき、監督がいて、演出家がいて……といったような、その力関係があからさまな場合には、なかなか言い出しにくいんじゃないかと。出演している側も、タイトル変えた方がいいなんて、とてもじゃないけど言えないですよ。

 そうした自浄作用が働きにくいから、BPOのように、第三者が指摘してあげるシステムが手放せないんじゃないかな。だけど、たとえそうした状況にあるのだとしても、学園祭レベルの話ではないわけですから。ある程度、自浄し、配慮しなければなりまんよね。

 そして、配慮する際のポイントとしては、“自虐”という点があげられると思います。3月から始まった『お前はまだグンマを知らない』(日本テレビ 関東エリアのみで放送)という、コミック原作のドラマが面白いのですが、ここでは、群馬の人たちが自虐している面があるんです。

 当事者たちが自虐で使っているかどうか、それを売りにしてるかということは重要ですよね。きりたんぽを作っている方たちは、決してその形状を自虐しているわけではありませんから、アウトなわけです。

「ストレートに言ってしまえばいい」

 では、どんなネーミングならふさわしかったのかという話なんですけどね。きりたんぽに限らず、ウィンナーとかソーセージとかチョコバナナとか、連想させるものはむかしから色々とあるわけですが、どれもそれを販売する側からしたら嫌ですよね。

 最近では、『夫のちんぽが入らない』というタイトルの書籍も売れているみたいですし、下手に安っぽく何かに例えるくらいなら、ストレートに言ってしまえばいいんじゃないかな。あえてストレートに言って、隠さないことの何が悪いのかといった議論の方がまだ面白いですよね。

 いずれにせよ、今回のようなケースのなかには、あえて炎上を狙っての場合もあります。きりたんぽ問題も意図的であったかどうかは別として、結果的には宣伝に成功しているのが何とも皮肉ですよね。

《構成・文/岸沙織》