もう結婚はいいや。そう思っていた祐一さんですが、40代にして同年代の女性との結婚を決めました

「結婚? 興味ないですよ。自分の周りで、“結婚して幸せ”って言っている夫婦がいないですから」

 30代、40代、50代の独身者がよく言う言葉だ。ことに男性からこの発言をよく聞く。もう言い尽くされているかもしれないが、結婚に興味がない理由は、だいたいこんなところだ。

この連載の一覧はコチラ

 コンビニでおひとり様用の食事が24時間いつでも調達でき、家事労働の負担を軽減できる家電も充実している今の時代。

 さらに、非正規雇用者が増え、正規雇用者であったとしても終身雇用や年功序列が成立しなくなってきている現代社会においては、家族という運命共同体をつくるよりも1人で生きていくほうが、気が楽だ、と。

 加えて、成熟した社会ほど、個人の価値観や人権を大事にする。会社で上司が部下の男性に、“キミもそろそろ所帯を持ったらどうだ”と言えばパワハラになり、女性に“結婚しないのか?”と言えばセクハラになる。ひと昔前の“結婚してこそ一人前”という社会風潮はすでになくなり、個人が自らの人生を自由に選択できる時代になった。

「結婚しなくていい時代」に人はなぜ結婚したがる?

当記事は「東洋経済オンライン」(運営:東洋経済新報社)の提供記事です

 しかし、そんな時代に「結婚をしたい」と結婚相談所に登録し、真剣に婚活をしている人たちがいるのもまた事実だ。

 だから、あえて問いたい。人は、なぜ結婚するのだろうか?

 昨年の3月に入会をし、11月に成婚退会をした祐一(仮名、43歳)の話をしよう。彼は入会後二十数回の見合いをした末、41歳の幸枝(仮名)との結婚を決めた。

 面談に来たときに、彼とはこんな会話を交わした。

「祐一さんは、○○って珍しい名字ね」

「そうなんですよ。先祖が九州の△△という町の出身で、その地域には多い名字なんです。子どもの頃から親父に“この名字を途絶えさせたらご先祖様に申し訳ない。祐一が結婚したら男の子をつくって、この名字を受け継がせるんだぞ”と言われて育ちました。だから漠然と大人になったら結婚するものだと思っていました」

 180センチメートルの長身、サイドを短く刈り込んだヘアスタイルには清潔感があり、服の趣味も悪くない。女性からは好感をもたれるタイプだ。それなのに、「実は、最近まで結婚はもうしなくてもいいかなと思っていたんです」と言う。

 その祐一が、なぜ “結婚をしよう”と思うようになったのか。まずは恋愛遍歴と結婚までの経緯をひもとこう。

「初めて彼女ができたのは大学2年生の時です。恋愛は、まあ遅咲きデビューですね。でも、そこからは人並みに恋愛をしてきたと思います」

 大学を卒業して、メーカーに就職。大学時代の彼女とはお互いに仕事を持つようになると、時間と気持ちのすれ違いができて別れてしまった。

 その後、27から30歳になるまで付き合っていた2つ下の女性がいたが、そろそろ結婚を言い出そうかと思っていた矢先、「別に好きな人ができたから」と、振られてしまった。

「彼女の28歳の誕生日にプロポーズしようとダイヤのネックレスまで買っていたんで、当時はかなりショックでした。おかしな兆候はあったんですよ。振られる2カ月くらい前から、デートの約束をすると直前で“急な仕事が入った”とか、“母の具合が悪いから、今日は早めに帰宅しないといけない”とかドタキャンが続くようになっていたので」

 失恋による傷は大きく、しばらくは女性と付き合う気持ちにはなれなかったそうだ。ただ誘われれば合コンや飲み会には出向き、そこで知り合った女性と連絡先の交換をしては、2、3度食事はする。しかしそこから真剣な交際に進展することはなく、30代も半ばになっていた。

35歳を過ぎると、出会いは一気になくなった

「35歳を超えると、恋愛事情って一変するんですよね。“いいな”と思う女性にはすでに彼氏がいるし、合コンの誘いも減る。出会いが格段に少なくなりました」

 さらに、会社では中堅扱い。責任ある仕事を任されるようになって、日々忙しい。月曜から金曜までは夜10時近くにクタクタになって帰宅し、土曜日は1日死んだように眠る。日曜日は午前中ダラダラして、午後にプラッと近所のホームセンターやショッピングモールに買い物に行くような生活。「恋愛から、どんどん遠のいていきました」。

就職してからはひとり暮らしをしていたものの、38歳のときに実家に戻った。これも、祐一から恋愛や結婚を遠ざける要因になった。

「母親が病弱なので、妹と親父が実家で母をサポートしていたんですが、妹が当時つきあっていた男性と結婚をしたいと言い出したので、僕が実家に戻ることにしたんです」

実家に戻ってみると、母親は想像以上に手の焼ける状態だった。感情の浮きしずみが激しく、朝布団から起き上がれない日もある。調子がいい日も外には出たがらず、家事はほとんどしない。病院では、「うつ病」と診断された。

「僕も父も妹も、それぞれ仕事があるのに、家族みんなが母親に振り回されてヘトヘトになっていました」

 そんなある時、母親が薬を多量に飲み自殺未遂をした。

「医者からもらってきた薬を、飲まずに少しずつ貯めていたようなんです。“お母さんとお父さんのところに行きます”と鉛筆で走り書きされた遺書が枕元にありました」

 幸い発見が早く、一命はとりとめた。

「家族がしっちゃかめっちゃかですよ。僕は相変わらず仕事が忙しい。でも母のことは放っておけない。妹は“こんな状態じゃ結婚できない”と、結婚を先延ばしにした。この時“家族って大変だな”って。母親が落ち着いたら妹を結婚させて、もう自分は結婚しなくてもいいやと思った」

 一呼吸おいて、祐一は言った。

「子どもの頃は旅行をしたり河原でバーベキューしたり、仲のいい家族でした。大学まで行かせてもらったし、両親のことは尊敬していました。だけど、“これだけ家族を振り回して迷惑をかける母親ってどうなんだろう”と、その時は正直母親が疎ましかった」

 そこから1年後、妹は結婚をして家を出ていった。父と祐一が母親の面倒をみるようになったのだが、あるとき父が言った。

「お父さんが仕事を辞めてお母さんの面倒をみるから、お前も自分の人生を考えろ。誰かいい人はいないのか。結婚して家庭を持て」

 祐一は、「今はそんな相手はいないから」と、その時は言葉を濁したが、内心結婚をしたいとは思えなかった。

「夫婦って、運命共同体なんだなって」

 そんな祐一の考えを変えたのは、会社を辞めてから母を献身的に看病する父の姿だった。

「親父は頑固者で、かつてはよく母とぶつかっていました。そんな親父が、かいがいしく料理を作って母親の部屋に運んだり、洗濯したり、風呂掃除をしたり。ちょっとカッコつけた言い方すると、“夫婦ってどんなときも寄り添う運命共同体なんだな”って思ったんですよ。“病気になったり年老いたりした時に支え合えるパートナーがいるっていいな”って。もう一度結婚について真剣に考えてみようという気持ちになったんです」

 献身的に母につくす父に夫婦のあるべき姿を見いだし、「結婚したい」と思った祐一だったが、いざ婚活をスタートさせてみると、お相手選びの仕方は他の男性たちと変わらなかった。

 お見合いの申し込みをするのは、35歳くらいまでのお人形さんのようなルックスの美人ばかり。

「もう少し年齢の幅を広げましょうよ」

「子どもが欲しいですから」

「妊娠する年齢には個人差があるし、40を超えていても出産している人はいるわよ」

「それはわかりますけど」

「美人にばかりお申し込みをかけても、受けてもらうのは難しいよ」

「それもわかるんですけど、最初は自分が会ってみたい人にお申し込みをかけてもいいですか?」

 こうして20件の申し込みをしたが、それらはひとつも受諾されなかった。その後、女性の年齢を40歳までに広げ、5つのお見合いを組むことができた。

 お見合いをした中で、祐一がとても気に入ったのが、38歳の看護師。彼女と3回目の食事を終えた時に、祐一は言った。

「彼女とは結婚に向けて真剣交際に入ろうと思います」

「そう。じゃあ、その気持ちをお相手にも伝えましょう」

 そう言っていた矢先、彼女から“お断り”が来た。本人は手応えを感じていただけにいたく落ち込んだ。

 それから15人くらいの女性とお見合いをしただろうか。彼が“交際したい”と思った女性からは断られる。彼が“お断り”しようとする女性からは「交際希望」がくる。交際に入っても1、2度食事をすると「お断り」がくる。うまくいかないことが続いた。

「なんでうまくいかないんですかね。僕のどこが悪いんですか」

 お見合いを始めてから半年が過ぎたころ、事務所に訪ねてきた祐一が言った。婚活疲れを起こしているのは表情からわかった。

選ぼうとすると、相手を減点法で見てしまう

「婚活って、“選ぼう”としているとうまくいかないのよ。選ぼうとしている時ってジャッジの目よね。ジャッジしようとすると、どうしてもお相手を減点法で見てしまう。お申し込みをかけてくれた女性で、“この人はピンとこない”と思っても積極的に会ってみたらいいんじゃない?」

 こんな話をしてしばらくたったころ、祐一が申し込みをかけた36歳の女性と38歳の女性から受諾が来た。さらに、41歳の女性が祐一に申し込みをかけてきた。

 36歳はかわいい系、38歳は美人系、41歳は地味で普通の容姿だった。3人の写真を並べたら、男性の9割が36歳のかわいこちゃんか38歳の美人を選ぶだろう。男性は、1歳でも若く、見た目のいい女性が好きだ。

 お見合いの後3人と交際に入ったのだが、それぞれの女性と何度か食事やデートを重ねていた祐一が、ある時こんなメールを入れてきた。

「僕は、幸枝さんと真剣交際に入ろうと思います」

 選んだのは、41歳の女性だった。

「えっ、幸枝さんと?」。意外な選択に思わず聞き返してしまった。

41歳の幸枝さんを選んだワケ

 祐一はなぜ、41歳の幸枝さんを選んだのか。理由は、こうだ。

 お見合いでは、デート代を基本的に男性がすべて持つ。それが暗黙のルールだ。36歳のかわいこちゃんは最初のデートで食事をし終えた時、「あの、お勘定は?」と聞いてきたものの、「ここは大丈夫ですよ」と言うと、それっきり食事をしてもお茶をしてもいっさいお財布を開かず、「ごちそうさまでした」と言うようになった。

 38歳の美人は食事を終えると、「おいくらですか?」と出そうとする。「ここは大丈夫です」と言うと、「じゃあ、次のお茶は私にご馳走させてください」と言って、お茶代を彼女が払ってくれるようになった。

 41歳の幸枝は食事を終えて、「ここは大丈夫です」と言っても、必ず金額の半額に近い千円札を、「取ってください」と出してきた。

「ある時、幸枝さんに“会社が残業続きで、すごく疲れている”という話をしたんです。そしたら次のデートの時に、“このアロマオイルは、疲れにきくんですよ”と小瓶に入ったオイルを持ってきてくれた。それを僕の手に塗って、“こうやってハンドマッサージをすると、疲れが取れるんです”と、マッサージしてくれたんです」

 それが本当に気持ちよかったし、やさしさにジンときたという。

「結婚って、楽しい時ばかりじゃない。うつ病になった母親を献身的に親父が介護している姿をみて、“これが夫婦なんだな”“結婚もいいもんだな”と思った。だから始めた婚活だったのに、結局見た目や年齢にこだわって相手を選んでいる自分がいた。どんな人と結婚したら、いちばん幸せになれるのか。ハンドマッサージしてくれている幸枝さんの姿をみた時に、“彼女なら僕をずっと大事にしてくれる。結婚するならこの人だ”と思ったんです」

 さらに、祐一は穏やかな口調で続けた。

「その日、創作うどん懐石の店に行ったんですよ。小さな個室になっていて天井からオレンジ色の照明がひとつポッとついていた。家のリビングみたいな雰囲気ですごく落ち着けた。そこでうどんをすすっている彼女の姿を見たら、なんだか心があったかくなって。彼女と一緒にいたら癒されるし、ずっと楽しい時間が過ごせるんじゃないかと思ったんです」

 アロマオイルで疲れている男性の手をハンドマッサージする。41歳の幸枝の、いわば作戦勝ちだったのかもしれない。

 デートでおごられるのが当たり前、やさしくされるのが当たり前、「どうしてお見合い市場にいる男性は女性をうまくエスコートできないのか」「割り勘にするのか」「会話が続かないのか」――。そんなふうに、男性に駄目出しばかりしている美人たちに比べたら、結婚するために一生懸命に男性に尽くす、やさしさを惜しみなく与える、その幸枝の姿は、すばらしいではないか。

「ひとりのほうが気がラク」

 そんなことを言っている独身者たちは、それが本音なのだろうか。

 男性を支えて一緒に生きていきたいと思っている女性がいることも、忘れないでほしい。また女性の若さや容姿にこだわる男性ばかりが世の中にいるのではない、と女性たちには言いたい。

 それから1カ月後、祐一は伊豆恋人岬で幸枝にプロポーズをした。11月の冬空の下、“愛が成就する”という名物の鐘を鳴らした。プロポーズの場所が夜景の見える高級レストランではなかったことも、2人らしいと思った。

 結婚の報告に来た祐一が言った。「親父も母親も今回の結婚をすごく喜んでくれました。母がうつ病になって自殺未遂した時、“オレたちにいつまで世話焼かせるんだ”と思ったけれど、涙ぐんでいる母親を見てわだかまりも消えました」。

 また、こんなことも言った。

子どもを授からなくても、いいかなって

「自分の珍しい名字を残したい気持ちはあるんです。でも彼女は41歳なんで、もしかしたら子どもは授からないかもしれない。それでもいいかなって思っています。彼女と一緒に歩いていく人生が楽しければ、それで」

 これから何十年と続く長い結婚生活の中にはけんかをして、「顔も見たくない」と思うことがあるかもしれない。「どうしてこんな相手と結婚してしまったんだろう」と思うことがあるかもしれない。

 そんな時は、結婚をあきらめていた自分がなぜ婚活をスタートさせたのか、3人の女性の中からなぜ幸枝を選んだのか、思い出してほしい。

 ほんとうにおめでとう。

 仲人をしていて最高に幸せを感じるのは、こうして会員が結婚を決めて退会していく瞬間だ。


鎌田れい(かまた・れい)◎仲人・ライター。雑誌や書籍のライター歴は30年。得意分野は、恋愛、婚活、芸能、ドキュメントなど。タレントの写真集や単行本の企画構成も。『週刊女性』では「人間ドキュメント」や婚活関連の記事を担当。鎌田絵里のペンネームで、恋愛少女小説(講談社X文庫)を書いていたことも。婚活パーティで知り合った夫との結婚生活は18年。双子の女の子の母。自らのお見合い経験を生かして結婚相談所を主宰する仲人でもある。公式サイトはコチラ