'08年3月4日号

 今年で創刊60周年を迎えた『週刊女性』本誌。熱愛、離婚、不倫のスクープを振り返ってみると、突然の直撃取材にも関わらず“神対応”で応じるタレントたち。記者とカメラマンが選んだとっておきの直撃取材秘話である長門裕之さんの対応は、短い時間で信頼関係が築けた貴重な取材だった。

「指の中からポロポロ落ちたものをオレが一生懸命、拾い集め、手の中に戻そうとするけれど、追っつかない」

 '08年10月『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で、妻・南田洋子さんの認知症と介護について語った長門裕之さん。その8か月前の時点で、彼はすでに悲痛な告白をしていた。

「偽りなく、事実を丁寧に5分近く話してくれたことが印象的でしたね。私の記者人生のなかで、インターホン越しでインタビューばりにきちんと話してくれた人は初めてです」(当時の担当記者)

 だが、記者にとって長門さんのこの対応は意外なものだった。というのも当初、所属事務所は「(南田さんは)認知症とは限らない」「(長門さんは)普通に生活している人を優しくいたわっているだけ」と説明していたからだ。

 しかし「奥さまの体調は?」という質問に、長門さんは声を詰まらせながら語り始めた。

「人間ってのは、人生ってのは、そのときそのときの状態で、それ相応の元気があるんだよ。70なら70の、80なら80の、それなりの健康があるんだ。わかるかな? 働けなくても、セリフが覚えられなくても、記憶があやふやでも、それは年齢相応のもの」

──ただ、長門さんが奥さまの面倒を見てますよね?

「そうそうそう。(妻を)動かしたり、出かけたりするときは、周りの人間も面倒を見てくれる。でも、会話や気持ちの部分はオレじゃないと。そこはオレが看てます」

 実は、このときのやりとりを機に、長門さんと記者との間には深い信頼関係が生まれ、独占インタビューや手記の出版にもつながった。それは、認知症や老老介護といった社会問題の啓発にもつながっていく。

 残念ながら、南田さんは'09年に死去。長門さんもその2年後に亡くなってしまったが、記者は葬儀で遺品の日記を読み、改めてその真心に触れたと話す。

「初めて訪れた日のことや私が来た日のことが書かれていたんです。私たち取材陣のことも大切にしてくれていたんだなとそのとき思いました」

 妻に対してだけでなく、みんなの“会話や気持ち”を大事にした晩年だった。