シングルマザー、バリキャリから自給自足へ

【Iターン】東京⇒大分/武井啓江さん
家族構成=娘(小4) ●住まい=一戸建て空き家購入(約400万円)+改修費 ●支援制度=空き家バンク引っ越し補助10万円、住宅改修費50万円、創業支援150万円 ●移住先の決め手=国東の人柄、自治体の支援制度 ●きっかけ=36歳で経験した沖縄ひとり移住で「お金≠幸せ」を体感。娘にも同じ経験をさせたかったから ●仕事=自営で洋裁業+ゲストハウス(民宿) ●最近の楽しみ=暮らしの仕事全般 ●移住アドバイス=自分を偽らず、気持ちに素直に生きる

母親が人生を楽しんでいないと、娘も人生を楽しく生きられる人になれない。私は身体がウキッとしないことはしないと決めたんです

 大分県国東市。田畑と山に囲まれたのどかな地に、4月、念願のゲストハウス『ノルブリンカ』をオープンしたばかりの武井啓江さんはこう話す。

東京から大分へ、娘とふたりでIターン移住した武井啓江さん

 昨年春、小学3年生になる娘と、東京から移住したシングルマザー。お昼に近くの海で娘とお弁当を食べたり、ご近所さんとバーベキューをしたり。「孤独とは無縁の日々」と明るく言い放つ。

 東京都国分寺市で生まれ、母の厳しい教育を受けて育った。名門大学卒業の高学歴で、企業のマーケティングや企画担当として活躍。海外事業にも携わり、家政婦を雇ったり、ポルシェに乗るような生活を送っていた。

当時は、お財布に30万円入っていないと不安でね。飽くなき欲でしたね

 転機が訪れたのは36歳。毎日働き詰めで、心身ともにボロボロ。人間関係のこじれも重なり、退職を決意した。

「しばらく悶々と自分を見つめ直しました。そこでやっと親とは価値観が違うことを理解した。自分の人生を生きていなかったのね。気づくのが遅いけど、ピンチをチャンスに変えてやろうと思った」

 派遣でお金を貯め、沖縄の西表島へ。1か月滞在のつもりが、久米島で地元男性と1年生活することに。定職には就かず、貯金を切り崩しての狩猟採集生活。薬草を摘み、野菜は近所にもらい、満月の夜は海の潮だまりに出かけ、取り残された魚やエビを銛で突いた。

貧乏でしたね。お財布には10円玉数枚。缶ジュースも買えなかった。(笑)でもね、人生でいちばん楽しかった。“人間は自然の恵みで生かされているんだ”って実感したのは初めてで、お金で買えない絶対的な幸福感があった

 1度は東京に戻り、その後結婚、出産と新たな転機を迎えるも、1年半で離婚を決意。

“いやいやあなたのために働いている”って姿だけは娘に見せたくなくて、好きな洋裁業を自営で6年やりました。でも、都会での経済的な自立は難しかった。それで、いつか娘にも経験させたい、と温めてきた移住に踏み切った

 西日本の候補地を数か所回り、最後に国東市を選んだ。安い空き家があったこと、親切な人との出会いが多かったことが印象に残ったからだ。

 築80年の家を購入。元所有者の家財の片づけや改修作業に時間はかかったが、畑と山の一部も手に入れた。

 聞けば、表の広いデッキも、木材の温もりあふれるセンスのいいキッチンも、近所の大工さんと共同で作ったもの。「トンテンカンテン忙しかったわ」と、この1年を振り返り穏やかで上品な雰囲気のなかにたくましさをのぞかせる。

 ご近所に恵まれ、自治会にも入ったことで、地域には難なく溶け込めた。雨の日には「洗濯物、中に入れておいたわ」とご近所さん。そんな距離感や好意に感謝する毎日だ。

 人付き合いのコツは「本音を伝えること」だという。

 例えば、畑のやり方ひとつとっても地元の人とは考え方が違う。「肥料まけばいいのに!」と外から言われても、「私、自然農法をやってみたいんですよ~!」ときっぱり。「ま~た変なことしとるわ!」とたびたび言われるが、「そうでしょ?(笑)」なんて返しながら、そのやりとりをお互いに楽しんでいる。

木製の広いデッキで遊ぶ娘さんとお友達

 最初は田舎での遊び方がわからなかった娘も、今は山に秘密基地を作ったり、畑に大きな落とし穴を掘ったり。近所のおじいちゃんにも可愛がられ「タケノコ掘るぞ」「魚釣るぞ」とよく誘ってもらう。

 武井さんは、ゲストハウスにこんな思いを込めている。

都会で疲れた人に国東の暮らしを体験しながら、ゆっくり考える時間を提供したい。それに、娘がいつか出て行っても、お客さんがいれば私も寂しくないでしょ?

 母としての自立、娘への故郷づくり、自分らしい暮らしの実現。その第一歩を踏み出したばかりの彼女の表情は、晴ればれとしていた。

妻とは離れ、ひとり漁村でボランティア

【2拠点生活】千葉⇔三重/佐藤力生さん
家族構成=妻、娘2人(千葉在住) ●住まい=一戸建て空き家(家賃2万円) ●生活費=保険や税金含め、年間100万円前後 ●移住先の決め手=漁師町への憧れ ●きっかけ=水産庁退職後、仕事でかかわった現場で実際に生活をしてみたくて ●活動=高齢者・漁村体験ワーキングホリデーの運営、魚市場の雑務をお手伝い(賃金なし) ●2拠点生活=10か月半は答志島に、年末年始の1か月半は千葉に帰る。妻も年3回島に遊びに来る

 三重県鳥羽市の離島、答志島。港に降り立つと、ワカメの山を前に黙々と作業する人々の姿が目に飛び込む。夫婦や家族単位で営む漁師は約40軒。海岸沿いにずらりと並ぶ漁師町の光景に圧倒される。

健康なら90歳のおばあちゃんでも現役。老後という概念がここにはないんです

 漁師の生き方にそう敬意を示すのは佐藤力生さん。

定年退職後、単身で三重県答志島に移住。二拠点生活を送る佐藤力生さん

 水産庁を定年退職後、単身で移住。三重県内を転々とし、牡蠣むきなどの仕事を手伝った。答志島に来たのは2年前。こんな意識が芽生えたころだ。

漁師の仕事そのものにも憧れていましたが、元役人の僕だからできる課題解決の仕事があると気づいたんです

 目をつけたのは、高齢化による漁業者の人手不足。特に毎年春は塩ワカメ作りの多忙期で、カットや茎抜きなど単純作業に追われる。

 そこで昨年、離島センターの補助金40万円を元手に、日本初となる『漁業版ワーキングホリデー結』を創設。対象は60歳以上の都会の高齢者。泊まり込みで最大1週間、手伝ってもらう仕組みだ。無報酬で、旅費も自己負担だが、めったにできない体験を目的に全国から高齢者が集まる。

僕自身、漁村で“人のためになる役割”があることに生きがいを感じた。都会の高齢者こそ、それを必要としているのではないか、と。互助関係が成立すると思いました

 都会の高齢者に生きがいを提供し、漁村も楽になる。その狙いは的中し、計17人が参加。漁業の面白さはもちろん、漁師との交流目当てに、3回参加したリピーターまで現れた。

 佐藤さんは、このプロジェクトを移住後すぐには提案せず、1年寝かせたのだという。

たとえ正論でも、よそ者の意見は誰も聞かない。手伝いをしながら“ただいつもそこにいる”1年を過ごしました。地域の役に立っていれば、いつか受け入れてもらえます

 移住当初から変わらず、市場の荷出しや競りの片づけなど島の雑務を自主的にやる。そして夕方になると漁師小屋の飲み会にひょっこり顔を出す。酒で饒舌になる佐藤さんは、漁師から“お調子者、変わり者”と笑っていじられる。

「あいつはひとりもんかい?」とウワサも立ったが、実は千葉の実家には妻がいて、2拠点生活中。年末年始の1か月半だけ千葉に帰る。一方、千葉でパートの仕事をする妻も、年3回、島に遊びに来る。

「定年退職後すぐ、女房とイタリア旅行を楽しみました。でも、やっぱり役人をしていたころから“現場(漁師町)をもっと知りたい”という思いがあってね。女房が来ると、漁師さんが言うんです。“旦那が手伝ってくれて助かる”って。さんざん好き勝手してきて、諦められたのかな(笑)」

参加者の60代女性2人は大学時代の友人。「新鮮な体験ばかり」と笑顔を見せる

 島に妻を呼び寄せるつもりも、ここで一生暮らすつもりもない。そう強調する。

「健康な身体じゃなくなったら、千葉に帰るつもりです。現役時代の約36年、税金を納めた都会に世話してもらうのが筋。島に迷惑をかけたくないですからね」

 佐藤さんの脳裏にはいつも、漁村で出会ったひとりの老女の姿がある。生涯働くこと、死ぬまで役割のあること、その喜びを、語らず背中で教えてくれた人だ。

「押し車につかまらないと歩けないほど弱っていたおばあさんが、座ったまま魚の選別作業をするんです。亡くなる日の朝まで毎日。十分働いたんだから休めばいいのにと思いました。でも、充実した老後の過ごし方とはこのことか、って後になってわかった」

 人の役に立つ。それこそが人間が幸せを感じる最高の道。

 スタートしたばかりの『結』の展望をこう明かす。

「常時10人手伝いに来てくれる状態を目指します。それで漁業の仕事が回るようになって初めて、若い人が安心して移住して来られる。今はまだ後継ぎが来ても、厳しい現実があるだけですから」

 今年、佐藤さんの活動に注目した鳥羽市から「移住・定住希望者の体験コースも作ってほしい」と依頼があった。親子や、漁師志望の若者計7人が参加したという。先の未来も見据えた挑戦はまだ始まったばかりだ。

移住者が各地で活躍していることに励まされて

【Uターン】島根⇒岡山⇒島根/本宮理恵さん
●家族構成=子どもと両親、ご主人は中国へ単身赴任中 ●住まい=安来市の実家、家賃は5万円支払い ●移住の決め手=新卒当時、近い将来のUターンを決めていた ●きっかけ=島根県内でも仕事をいくつか経験する中で、江津市の「ビジネスコンテスト大賞」を受賞 ●最近の楽しみ=仕事を終えた瞬間と、子どもが寝た後の自分の時間 ●移住アドバイス=面白そうな新しい動きをしている人のネットワークに積極的に入ること。ロールモデルを持つこと

 島根県奥出雲町。八百万の神が集まる町はさすがに美しい。うねうねと続く中国山地。季節ごとに色づく木々。それらを見下ろす高台にある横田高校で高校魅力化コーディネーターを務める本宮理恵さんは、仕事の魅力をこう語る。

ふるさとの島根県にUターンした本宮理恵さん

当初は緊張していました。教員資格もない人間が職員室に入るんですから。でも3か月くらいで充実感を感じた。町と学校に役立っている感があるんです

 同校には7年前から「だんだんカンパニー」という制度がある。だんだんとは方言で「感謝」。総合型の学習の時間などを利用し、生徒たちは町内の農家とジャムやお米の商品を企画する。完成する秋に、修学旅行の一環として都内で町を宣伝しながら直販する。都内まで行っても、企画が悪ければ商品は売れ残る。だから生徒も大人も本気だ。

 この活動を通して高校生は大人の仕事を理解し、大変さを体験する。町を売り込みつつ故郷愛も芽生える。いまではこうした取り組みが人気となり、県外からの留学生も同校だけで10数名に増えた。

 とはいえ、この仕事と出会うまで、本宮さんの移住は一筋縄ではいかなかった。

「4年間働いた岡山から故郷に戻って最初に得た収入は3か月で5000円でした」

 と苦笑する。当初はフリーで営業企画をやろうと思ったが、これでは生活できない。商工会で働くと最初の仕事はお茶くみ。そこに疑問を感じない周囲にもがっかりだ。

 そんな折、江津市が募集している地域課題解決コンテストを知った。ダメもとで「帰って来られる島根をつくろう」というコンセプトで企画を立てて応募してみると、見事に大賞(月15万円×年間の活動費)をゲット! 本宮さんは故郷の安来市から約140キロ離れた江津市に引っ越し、都会で大学に通う若者のIUターン志向を支援するNPO『てごねっと石見』を起こして活動を展開した。

 そんななか、Iターンの男性と出会い結婚、出産。だが、人生はそううまく運ばない。

「子育てと仕事の両立が難しいんです。昼間仕事をするために実家に引っ越しましたが、夜の飲み会に付き合う機会の多い起業系の仕事には限界を感じていました」

 そのとき出会ったのが、奥出雲町の高校魅力化コーディネーターの募集だった。本宮さんはNPOの活動を通して県内の移住者や教育関係者と面識があった。面接には子連れで登校。実績を評価され、実家から車で1時間の距離を通勤することになった。

高校生が農家と一緒に商品開発をする制度「だんだんカンパニー」の起業式

 この仕事を選ぶときにも悩みがなかったわけではない。

「NPOのときよりもお給料が下がるんです。でもその分9時~5時で帰れます。最近は子育てを理由に5時にいったん帰る男の先生も少なくないので働きやすいんです」

 本宮さんの働きぶりを、町の地域振興課職員の三成由美さんはこう語る。

「私もかつて名古屋からUターンしてきたひとりです。そのころは“都会から故郷に帰るのは負け組”と自他ともに思っていました。でも本宮さんのような人が増えて、島根ではそういう意識はなくなりつつあります。島根はこれからもっと面白くなります

 そのためには、ひとりひとりが自力で移住の壁を越えなければならない。田舎ではゆったり時間が流れるなんてウソ。仕事以外の地域の付き合いがあり町内会の役割もある。移住者のネットワークに入るにも、自分から探して飛び込まないと向こうからは来てくれない。仕事は用意されるものではなく自分で創るもの。都会では「ワークライフバランス」が大切と言われるが、田舎では「ライフワークミックス」の覚悟が必要だ。

 今年になって本宮さんは週に3日、高校魅力化を全国展開する『地域・教育魅力化プラットフォーム』のスタッフとして働くことになった。高校の仕事は今年から引き継ぎを視野に入れて週3日となる。

「今度は日本を変える仕事のお手伝いです」

 自分の成長と合わせて仕事も成長する。そんな生き方が島根にはある。