橋爪功
6月2日、俳優・橋爪遼容疑者(30)が覚せい剤所持の疑いで逮捕されたことを受け、父である橋爪功さん(75)が所属事務所を通じて謝罪。今後も俳優活動を続けていきたいとしながら、自らも一時的に活動を自粛する意向であることを明らかにした。この一連の騒動に対し、一部テレビ番組などでは橋爪功さんの自粛に反対する声も。30歳の息子の責任を親がどこまで取るべきか、フィフィは次のように語った。

自分がその場に立たされたら、そりゃあ謝りますよ

 橋爪遼容疑者が逮捕された直後、マスコミが橋爪功さんの自宅に直撃取材をしに行っている映像をテレビ番組で目にしました。ここまでするのかと驚いたんだけど、映像を流したあと、司会者の方が「いや〜、親に責任はないと思う」というようなことを仰っていたんですね。

 でも、そうは言うものの、あなたたちの番組でそのVTRを撮りに行ったんじゃないかと。これは高畑淳子さんのときも感じたんだけど、「親は関係ない」と言うのであれば、最初から親のところにインタビューをしに行く必要はないよね。

 それにも関わらず、メディアが親のところに行くのは、単純に視聴率を取りたいからだよね。なんだかんだ言っても日本には、子どもが何か不祥事を起こしたら、親が謝らなければいけないという風潮があると思うんだよね。“親の顔を見てみたい”“親の顔に泥を塗る”といった慣用句もあるように、そういう文化がある。

 いくら「親には責任はない」ってカッコいいことを言っても、実際に自分がその場に立たされたら、そりゃあ謝りますよ。私自身、もし子どもが不祥事を起こしたら、やはり謝ります。

 今回の件も、そうした日本の風潮が橋爪さんを謝らせたととらえていいんじゃないかな。

日本はどうしても、2世は親とセットで見てしまう

 一方海外では、子どものことで親があからさまに謝ったり、自粛や活動休止に追い込まれるといったケースはほとんどありません。

 そもそも需要がなければ、単に2世というだけではテレビに出られないんですよね。実際、2世で成功している人は、あまりいないように思います。

 つまり視聴者も、いくら有名な俳優やタレントの子どもであっても、親と子どもは別なんだと、それぞれ独立した個人として見る傾向があるんじゃないかな。

 その点、日本はどうしても、2世は親とセットで見てしまうところがあるよね。だけど、それが悪いとは思わない。ただ、親の七光りで入ってきた2世なのであれば、緊張感を持って芸能活動をしなければならないよね。

 親とセットとして見られるからこそ、良くないことをしようとしたとき、“親”の存在が、その行動を自制するストッパーにならなければいけないと思うわけです。

《構成・文/岸沙織》