『やすらぎの郷』撮影中に苦しい表情を見せることはなかった

 6月16日、ドラマ『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)の番組冒頭にテロップが流された。

《6月13日、野際陽子さんがお亡くなりになりました。心よりご冥福をお祈り申し上げます》

 病魔が彼女を連れ去ってしまった。享年81。肺腺がんだった。

『やすらぎの郷』では、石坂浩二が演じる主人公・栄の妻だった律子の親友という役柄でした。野際さんの体調を案じた倉本聰さんは、負担がかからないように脚本を書き換えていました。彼女もそれに応えてしっかり演じていましたよ。最後の収録となった5月7日は鼻にチューブをつけて現場入りしましたが、カメラが回ると一瞬で女優の顔になりましたね」(制作会社関係者)

 翌日に緊急入院。現場復帰への意欲は衰えなかったものの、病を克服することはできなかった。がんが見つかったのは、昼ドラ『花嫁のれん』(フジテレビ系)に出演していた'14年のこと。

「つらかったようで、撮影中に脂汗を流していたそうです。幸い、早期発見だったので治療は成功しますが、翌年に再発。腫瘍の摘出手術を行い、肺の大きさはかなり小さくなってしまいました。

 声が出づらくなっていて、しゃべるときも苦しそうでしたね。退院時には酸素吸入器を使わなければならないほどでした」(スポーツ紙記者)

 衰弱ぶりは明らかで、一時は引退という言葉もちらついた。しかし、野際さんの女優魂が奇跡を起こす。抗がん剤が身体に合ったようで、体調は劇的に回復した。

治療の効果もあるんですが、本人の意欲が病気に打ち勝ったのでしょう。仕事に戻りたいという思いが、病との闘いに力を与えました。通院は続けなければなりませんでしたが、再び仕事ができるようになったんです」(同・スポーツ紙記者)

 昨年は『警視庁捜査一課9係』(テレビ朝日系)や『コントレール〜罪と恋〜』(NHK)などのドラマに出演。映画では『いつまた、君と〜何日君再来〜』の公開が6月24日に控えている。

『キイハンター』の共演者と。左から大川栄子、野際さん、故・丹波哲郎さん、千葉真一

「『ずっとあなたが好きだった』(TBS系)のお姑さんキャラの印象が強いかもしれません。でも、最初にブレイクしたのは『キイハンター』(TBS系)です。NHKアナウンサーからの華麗な転身で、キレのいいアクションで世の男性を虜にしました。同作で共演した千葉真一さんと'73年に結婚し、'75年に長女を出産します。それが女優の真瀬樹里さんです」(同・スポーツ紙記者)

 野際さんは3歳年上の姉さん女房で、おしどり夫婦として知られていた。千葉は「やんちゃ坊主を支えてくれる母のような存在だった」と語っている。

「仲はよかったんですが、'94年に離婚します。ふたりとも仕事が忙しかったので、すれ違いが生じたんでしょうね。ふたりが並んで座るという異例の離婚会見でした」(同・スポーツ紙記者)

'94年2月にふたりそろって離婚会見を開いた

 娘の真瀬も大きくなって手が離れており、野際さんの芸能活動は活発になる。ドラマや映画に出演するだけでなく、バラエティー番組では知的キャラとして活躍した。

 '02年に始まった紀行番組『旅の香り時の遊び』(テレビ朝日系)では司会を務めている。番組制作に参加していた放送作家の山田美保子氏は、その誠実な仕事ぶりを今でもはっきりと覚えているという。

野際さんが司会で中井美穂さんがアシスタント。氷川きよしクンが旅のロケを担当していました。今は旅番組がたくさんありますが、そのハシリですね。7年続きました。野際さんは出演者で、しかも女優さんなのに、番組会議にも参加してくださいました。そんな人はなかなかいませんよ。とても前向きでしたね。ロケにも積極的に行ってくださって、何度も京都に行ってますね

 まだデビュー間もなく、初々しい姿を見せていた氷川は、いつも心配してくれた野際さんに「そのまごころに心から感謝」とコメント。

女優の仕事が増えるも、その飾らない姿が評判に

 もちろん女優としての仕事も増え続け、'10年上半期のNHK朝ドラ『ゲゲゲの女房』では主演の松下奈緒の祖母を演じ“老けキャラ”も定着した。

 その飾らない姿は自宅近くでも評判だった。

 住んでいたのは、東京・文京区にあるマンション。直木賞作家の川口松太郎氏が昭和39年に建てた分譲マンションの先駆けといえるもので、築50年以上たってもその高級感は色あせず、現在も“ヴィンテージマンション”と呼ばれている。ここには多くの芸能人や作家が住んでいた。

野際さんは“その中で私がいちばん汚い格好をしているのよ”なんておっしゃっていてね。女優さんというか、出演者って、衣装があるから仕事場までは普段着で行くことが多いんですよ。でも、実際には野際さんはいつも素敵な格好をしていて、とても颯爽としていましたね」(山田氏)

 愛犬家ぶりも有名で近所を散歩する姿もよく見かけられた。一時期は6匹のシェットランドシープドッグ(シェルティー)と暮らしていて、

いい散歩コースがあって、そこで近所の同じシェルティーとケンカしたのを野際さんが叱っているのを見たことがあります」(近所のペットショップ店員)

 体調を崩してからは、愛犬と散歩することもめっきり少なくなっていたというが、

2か月くらい前には、お手伝いさんと、シェルティーちゃんたちをお散歩させていました。闘病生活が長いと聞いていましたが、近所の動物病院に連れていったりするのもよく見ていたので、まさかお亡くなりになるなんて思ってもいませんでした」(前出・ペットショップ店員)

 都内の自宅のほかに、もともと実家のあった神奈川県の逗子にはセカンドハウスを構えていた。広々とした敷地で、庭にはドッグランのスペースもある。そこでも愛犬たちと戯れる姿がよく目撃されていた。庭の手入れは自ら行っていたらしい。

「植えてあるお花や植栽には、野際さんがちゃんとお花の名前を書いた札を立てていましたね」(山田氏)