『ミヤネ屋』では宮根の強烈なツッコミに立ち向かい、『かんさい情報ネットten.』ではイラストで明日の天気を楽しく伝えているお天気お兄さん・蓬莱大介さん。番組でさんざんイジってくる宮根誠司キャスターとの不仲説もささやかれるが、その真相は?

「一緒にご飯やカラオケに行ったり、並んでギターを弾いたりもしますよ。周りからは険悪なんじゃないかってメッチャ心配されますけど、かなり仲はいいんです」

 イジられながらも健気に立ち向かう姿が視聴者の好感を呼び、ファンがジワジワと増加中だが、実はもともとは役者やタレント志望だったという。大学4年生のときには『5時に夢中!』(MXテレビ)のアシスタントを務めたことも。

「映画だと『20世紀少年』や『大日本人』にも出ているんですよ。両方ともヘルメットをかぶったエキストラ役でしたけど(笑い)。あまりにも芽が出ないので音楽活動をしていた時期もありました。最終的には芸能事務所のマネジャーが本業になっていましたね。1人で40人くらいのタレントを抱えていました」

 タレントの売り込みをしながら、自分も役者として活動する。過酷な毎日に「このままではマズイ」と焦ったそう。

「そこでほかの職業を見つけるために本屋さんに3日間通うことにしたんです。その中で自分のアンテナにひっかかったものをやろうと。1日目は演劇関連の本を読んで終わったので、2日目は資格本のコーナーへ。そこで目にとまったのが、気象予報士と宅建の資格を目指す本でした」

 どちらにするか悩んだ結果、何も買わずに帰ることに。その後、テレビ番組で天気予報を見て、あることに気づく。

「材料は一緒なのに、人によって伝え方やわかりやすさが違うとわかったんです。そこに面白さを感じて気象予報士を目指すことに決め、次の日にようやく本を買いました」

 試験には3度目で合格。晴れて気象予報士となるも、新たな壁にぶつかることに。

「お天気キャスターの枠は狭くて、資格を生かして仕事している人は1~2割しかいないと知ったんです。せっかく受かったのに仕事がなくてはどうにもならない。なんとかして自分を売り込もうと考えました」

 そこでひらめいたのが、テレビのお天気コーナーを勝手に作ってみることだった。

「自宅の部屋で、天気図を画用紙に貼ったものをめくりながら紙芝居のように天気の説明をしていたんです。三脚に携帯を立ててその様子を録画しました。六本木ヒルズやお台場など外でもやりましたよ。何度か警備員さんに止められたことも(笑い)。毎日撮りためた動画はテレビ局の人や気象関係者に会ったときに、手当たり次第見せていました」

 もうすぐ1000枚になる『スケッチ予報』はコミカルな絵柄とキャッチーさが人気を呼び、2013 年には展覧会が開催されたほど。プライベートでは2011年に『劇団四季』の団員だった女性と結婚。婚約したのは気象予報士の受験中だった。

「“資格に合格してキャスターになるから”と言ってプロポーズしたのでまさに人生を賭けたチャレンジでしたね。結婚もできたので本当に頑張ってよかったなあと思います。ただ、家では弱音は吐けません。もし“今日はイマイチだった”とか言おうもんなら“よくそんなこと言えるね。ちなみに四季では~”と始まるんで(笑い)。とはいえ、嫁にはメッチャ感謝しています」

 今後の目標を聞いてみると、“30年後も現役”との答えが。

「それには、まだまだ勉強しなくてはいけないことばかり。例えば『ゲリラ豪雨』の表現の仕方は10通りくらいある。そういった知識を予報にナチュラルに盛り込めたらなと思います。『スケッチ予報』もやり続けますよ! 60歳くらいになったら、クレヨンから水墨画とかになっているかもしれないですけどね(笑い)」