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 17歳で来日。初のモンゴル出身力士のひとりとして、数々の記録を打ち立てたレジェンド・元関脇旭天鵬の大島親方。その人柄のよさも人気の大島親方に、引退後の現在の心境と、今後の抱負を語ってもらった。

「みんな喜んでくれていて、うれしいよね。大きくて、着物を着たお相撲さんを見ると、子どもも、おじいちゃんおばあちゃんも、元気が出るじゃない。僕はもうスーツになっちゃったけど、まだちょんまげだから、許してもらえるかな(笑い)」

 大島親方といえば、モンゴル出身力士の1期生として'92年、17歳で来日。'98年1月場所で入幕し、'12年7月場所で昭和以降最年長の37歳8か月で優勝。

 '14年9月場所では40歳2か月で昭和以降の最高齢勝ち越しを達成。また、歴代1位の幕内1470回出場を誇るなど、その驚異的な記録で「角界のレジェンド」と呼ばれた。しかし、'15年7月の名古屋場所限りで惜しまれつつ引退。

 そんな親方が12月、新潟県十日町市で地元住民にちゃんこをふるまうイベントに参加。実は、この地は日ごろお世話になっている知人の故郷であることもあり、'04年の新潟県中越地震の直後も訪問し仮設住宅でちゃんこをふるまったことがあるという。

「足が不自由な人の家まで、ちゃんこを届けてあげたら、涙を流して喜んでくれてね。こっちもうれしかったですよ。忘れられないね。土俵での勝負を観戦してもらうのはもちろんだけど、姿を見るだけで元気が出るとか、ちゃんこを食べてもらうとか、“お相撲さんの力”っていうものがあるでしょう。

 これからもそういったお相撲さんの力でみんなを元気づけたり、喜ばせていきたいなと思います。いずれは自分の部屋をやりたいという夢があるから。いいお相撲さんを、たくさん早く育てたいですね」

 こんな発言からのぞけるように、大島親方といえば、不屈の闘志だけでなく、その人柄のよさでも力士やファンたちから慕われた存在。特に元横綱の朝青龍や、現横綱の白鵬などからは「兄貴」と呼ばれているほど。

 日ごろの人とのかかわり方や、“レジェンド”になった秘訣を聞いてみた。

「自分はお相撲が好きだったから、お相撲さんになったんです。……というのはウソで(笑い)、故郷のウランバートルで、日本に渡ってお相撲さんをしないか、という募集があったんです。

 日本に行けば、おいしいものが食べられて、お小遣いがいっぱいもらえて、新しい電化製品も買えて……。と聞いたから、行ってみようかと思ったのがきっかけ。若いころはヤンチャしてたし、長男だったから、親を安心させたい、楽をさせたいのもありましたよ。でも、日本に来たら、食事は合わないし、稽古はきついし、大変だったねえ!」

 実際、来日半年後に部屋を脱走。1か月半帰国したこともあった。しかし改心して再来日、'98年1月場所に新入幕し、それ以降は前述のとおりだ。

「入幕してからは、あっという間ですよ。結婚したり、父親が病気になったり、子どもが生まれたり。“ちょっとしんどくなったかなー”と思ったらまた子どもが生まれたり、“じゃあ、この子の入学式まで頑張ろうかなー”なんて、節目節目まで頑張ろう、って思っていたら、気がついたらこの年までお相撲を続けられた。

 秘訣とかないですね。でも、3番目の子どもが生まれたときまでお相撲さんでいられたのはよかったかな。あと、あまり僕は細かいことにこだわらないの。みんな30歳を過ぎたら肉控えて野菜もっととらなきゃ、なんて言いだすけど、僕はそんなこといっさい気にしなかったね。巡業行くと、その土地のおいしいものが食べられるから楽しみだったし。休みは好きなゴルフをしてね。お酒も好きだし、なんでも飲みますよ」