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 11月23日に亡くなった母・和子さんとの思い出について語った志村けん

「産んでくれてありがとうという言葉しかないですよね」

 26、27日に地元・東村山の斎場で行われた葬儀では、痛々しいほど気丈に振る舞っていたのが印象的だった。

「遺影はテレビ番組で、志村さんと笑福亭鶴瓶さんが和子さんの卒寿を祝ったときに撮ったものだそうです。通夜にはその鶴瓶さんや桑マンこと桑野信義さん、それにダチョウ倶楽部の肥後さんも来られていました。告別式には上島さんの姿もありました」(芸能関係者)

 3人兄弟の末っ子という志村。小学校の教師だった父とふたりの兄が大学へ進学する家庭にあって、高卒でコメディアンになることを後押ししたのが、ほかならぬ和子さんだった。

 息子の“いちばんのファン”と公言してはばからなかった和子さん。近所の人の目にもそれは映っていたようだ。

「本当に自慢の息子だったよ。数年前に庭先で楽しそうにしていた和子さんを見たから声をかけたら、“これ、あの子が誕生日に送ってくれたんだ”って、胡蝶蘭を見せてくれたんです。とってもうれしそうだったのが印象的でした」(近所の住人)

 和子さんは志村家の長男と結婚。夫は教師だったため、義父とふたりで農業をし、ひとりで家事をこなしたという。そのことを幼い志村は鮮明に覚えていた。

「旅行とか行けるようになったのは、親父が亡くなってから。義理の姉とかたくさんいたけど、すべて母がひとりでやっていましたから。そうとう、キツかったと思いますよ」

 それでも、文句ひとつ言わなかったという。

「和子さんは悪口をいっさい、言わない人だったよ。だいたい、夫やお嫁さんの悪口なんて私たちにとっちゃ挨拶みたいなもんだけど、彼女の口からそんなこと聞いたことない。だから、みんなから好かれていた」(別のご近所さん)

 そして、何よりもオシャレだったという和子さん。別のご近所さんはこんなところを目撃していた。

「5年くらい前だったか、和子さんが入院してお見舞いに行ったら、お嫁さんに“化粧道具を持ってきてよ”って頼んでいたんですよ。デイサービスに行くときも、化粧してきれいなワンピースを着ていたねえ」