【好評連載・フィフィ姐さんの言いたい放題】駅伝や話題のラグビーをはじめ、さまざまなスポーツにおける“日本代表”には、外国系選手の姿も多く見受けられる。グローバルな時代、母国ではない国の代表としてプレーする外国系選手の存在は、海外では当たり前のことだというフィフィ。こうした状況を受け、果たしてスポーツにおける国籍とは何なのか、疑問を投げかける

駅伝における外国人留学生の存在

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 以前、タレントの猫ひろしさんが、ロンドンオリンピック男子マラソンの出場枠を狙うため、カンボジア国籍を取得したことが話題となりましたが、今やこうしたケースは驚くべきことではなく、世界では当たり前のことなんです。

 17日、来年の箱根駅伝に向けた予選会が行われましたが、多くの外国人留学生たちの姿が目に留まりました。彼ら留学生は、駅伝のために日本の各大学に留学していると言っても過言ではないわけで、日本人の選手たちとは、ときとして圧倒的な実力差がある場合も多いですよね。

 留学生たちの存在に刺激を受ける学生もいる一方、選ばれなくなる日本人の学生たちも当然のことながらいるわけです。

 もし今後、実力を持った外国人留学生たちがますます増えてくるならば、日本の大学駅伝はどうなるのだろうかと、ふと疑問に思いツイートしたところ、一部から排他的だといった批判を受けました。

 しかし排他的というならば、そもそもなぜ“留学生枠”という人数制限があるのでしょうか。こうした枠があること自体、運営側がフラットに留学生たちの存在を捉えていないことの現れなのではないでしょうか。 

 そして、そのことが外国人留学生たちを“助っ人外国人”という中途半端な立ち位置に導いてしまう一因ともなっているのではないでしょうか。

スポーツにおける国籍とは? 国vs国の限界

 たとえば、いま話題のラグビーも、30人のうち、日本国籍を取得した5人を含む計10人が外国出身の選手です。日本は単一民族であるため、どうしても外国人の存在が目立ってしまいがちですが、こうした状況は海外では当たり前。政治的な理由、経済的な理由、あるいは社会情勢といったさまざまな理由から、他国でプレーするスポーツ選手たちは大勢います。

 五郎丸選手はツイッターにて、日本代表の外国系選手たちは、日本を背負ってくれているという旨の発言をしていました。国籍や人種は関係なく、“その国を背負っているか否か”が重要なのだとする発言ですよね。

 今回のラグビーの場合はそうなのかもしれません。しかし、先ほども述べたように、選手たちはさまざまな理由により、母国以外の代表選手としてプレーしている場合も多いわけです。

 そうしたとき、果たして外国人選手たちは、訪れた国にどこまで愛着心を抱くことができるのか、ましてや背負うことまでできるのか、といった視点も出てきます。単に契約条件が良いから来たという選手に、国を背負う覚悟まで期待することはできないですよね。

 国の代表選手としてプレーする際の国籍問題。今後、グローバルな流れが加速していくであろうなかで、外国系選手の割合はますます高くなり、こうした“国際試合における国別対抗のジレンマ”も大きくなってくると思います。国別対抗で競技するスタイル自体が、次第に影を潜めていくかもしれませんよね。

《構成・文/岸沙織》