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 国別対抗戦を最後に、今シーズンが閉幕したフィギュア界。多くの主力選手がこの1年を休養に充てる中、羽生結弦は愚直なまでにスケートに打ち込んだ。

 そこには、秘められた決意があった。そこで、関係者に匿名を条件に座談会でオフレコ話を語ってもらった。

─フィギュアスケートの’14―’15 年シーズンもまた、世界王者の羽生で始まり、羽生で幕を閉じました。

スポーツライター(以下、ライター)「まさにゆづクンの1年でしたね。最終戦の国別対抗戦で日本は3位も、男子シングルの演技は圧巻のひと言。“夢の300点台”を感じさせてくれました」

スポーツ紙記者(以下、記者)「ショートプログラム(SP)で2連続3回転の転倒がなければ、ソチ五輪で記録した世界最高得点(101.45)の更新の可能性もあったし、フリーだって最初の4回転サルコウを決め、続く4回転トゥループが3回転でなければ……。演技後も彼自身が“200点を超えていたかと思うと……”と、悔しさをにじませていましたよ」

元スケート連盟関係者(以下、関係者)「進化が目覚ましいですよね。エキシビションでは新技の4回転ループで着氷し(参考記録扱い)、羽生の目指す“フリーで4回転3発”への再チャレンジが始まった。高橋大輔が引退し、浅田真央が休養の1年だっただけに、連盟にとっても羽生さまさまの1年でした(笑い)」

記者「通常なら、羽生が休んでもおかしくない1年でしたからね。有力選手は五輪の翌年を充電期間に充てるケースが多い。バンクーバー五輪女王のキム・ヨナもそうだったし、ライバルのパトリック・チャンやエフゲニー・プルシェンコも、今季は休養した」

ライター「バンクーバー五輪後の真央ちゃんにしても、亡くなられた母親の匡子さんは“真央は金属疲労”と言って休ませるつもりだった。ただ、病が悪化し、真央ちゃんは“リンクに立って母を励ましたい”と、舞い続けた。その後の不振を見る限り、“休んでいれば……”という声も聞かれる。腰痛を抱える羽生にしても、国内戦限定出場の選択肢もあったのでは?」

記者「確かに今季の初戦予定だった10月のフィンランディア杯は、腰痛での欠場でしたからね。でも、若いうちに4回転の精度を磨き、かつ4回転ループもマスターしたいという思いが強く、今季のフル参戦は本人の決断だったと聞いています。1度決めると、めちゃくちゃ頑固とか」

関係者「’13 年の夏に、師匠のブライアン・オーサーとジャンプの修正をめぐって口論し怒らせてしまったほど。とにかく負けず嫌いですからね。とはいえ、一番の大きな理由は、連盟が年間3億円とも言われる収益を維持したかったからですよ。スポンサーサイドの意向を理由にして、連盟側と羽生サイドで水面下の調整があったと思いますね」

ライター「それでも、11月の中国杯でのアクシデントで大ケガをしたときは、さすがに休養に入ると思いました」

関係者「車イスで帰国したときに“痛くて眠れなかった”と周囲に漏らしていたそうですからね。ただ、それでも羽生は3週間後のNHK杯を欠場するつもりはまったくなかったようです。やはり連覇のかかるグランプリ(GP)ファイナルの出場権がかかっていましたからね」