「彼女を拍手で送ってやってください。拍手をいただくことが何よりも喜びで、生きがいでした。最後は大きな拍手で送ってあげたい。アンコールはありません。割れんばかりの大きな拍手をお願いします」

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 10月2日、都内にある青山葬儀所で行われた、川島なお美さんの告別式。最後の挨拶では気丈に振る舞っていた夫の鎧塚俊彦氏だが、位牌を高々と掲げ泣く姿に、多くの人が涙を誘われた。

「妻、川島なお美は女優として貫き通してまいりました。最後の幕の緞帳が今まさに下りようとしています」

 そう鎧塚氏が語ったとおり、拍手に包まれた川島さんは、最後まで女優として見送られたのだ。看病、そして葬儀の準備など、まさに寝る暇もなかったはずの鎧塚氏。にもかかわらず、彼の優しさは報道陣にまで及んでいた。

「川島さんが亡くなった日から、鎧塚さんはご本人が芸能人ではないにもかかわらず、きちんと取材対応してくださったんです。しかも、9月26日には、自宅前で張り込む記者たちに食事を差し入れたのです。悲しみに暮れているときに、こんなに気配りができる人がいるのかと驚かされました」(スポーツ紙記者)

 川島さんも生前は、アポなしの直撃取材にもきちんと対応してくれることで記者のなかでは有名だった。そんな鎧塚氏が祭壇に供えたのが、川島さんが宝物として軽井沢の別荘に貯蔵していたワイン。

 彼女の生まれ年のロマネ・コンティ、ラ・ターシュ、シャトー・マルゴー。そして川島さんがプロデュースしたキュベ・ナオミの4本が遺影の横に置かれていた。

「'60年はぶどうの不作の年で、本当に数が少なくバラつきがあるんですが、デパートなどで売られるとしたら、ロマネ・コンティが80万〜100万円。ラ・ターシュは本当に物がないのでなんとも言えないのですが、やはり100万円近くなるのでは。シャトー・マルゴーは20万〜30万円くらいの値段がつけられるでしょうね」(ソムリエ)

 ワインに関する著書がある川島さんだが、別の本の出版も計画していたという。

「実は水面下で川島さんは『闘病記』を出版しようと思っていたのです。初めは芸能人の本を多く出しているA社が動いていたのですが、その後、彼女の友人がいるB社で話が進んでいたそうです。しかし、彼女が帰らぬ人となってしまい、幻となってしまったのですが……」(芸能プロ関係者)