20151108 peru2

 わずか3日間に6人の命が奪われた埼玉県熊谷市の連続殺人。妻の加藤美和子さん(41)、長女の美咲さん(10)、次女の春花さん(7)を殺害された遺族男性(42)がその胸の内を明かしてくれた。

 事件当日、男性が勤務先からいつものように車で帰宅すると、自宅周辺は規制線が張られ、物々しい雰囲気に包まれていた。そして遺体の身元確認のため連れて行かれた熊谷署で現実を知らされることになる。

 なぜ? どうして? やり場のない怒りとともに、後悔の念がこみ上げてきた。

「“何もできなくて、助けてあげられなくて、ごめんな”って思いますよ。もし私が家にいたら、一緒にやられていたかもしれないけれど、助けてやれたんじゃないかって。もう1度会えるなら、妻にはせめて“おつかれさま、ありがとう”って伝えたい。娘たちは……早すぎますよ。代わってやりたい、本当に。これからいろんな人生が待っていただろうに……」

 1994年、友人の紹介で美和子さんと知り合い、翌年から交際。2003年に結婚した。'05年に長女・美咲さんが生まれ、その3年後に次女・春花さんが生まれた。

「妻は、人として尊敬できる人でした。几帳面で何ごとも丁寧で、優しさがあった。自分よりも相手の気持ちをまず思いやれる人でした」

 まだ若い美和子さんが几帳面につけていたのは『エンディングノート』。生前、聞かされていたが、見たことはなかった。事件直後、警察が証拠品として押収し、何度頼んでも見せてくれなかった。

「エンディングノートは10月18日に返却され、初めて内容を知りました。自分が死んだときの葬儀や埋葬についてのお願い、自分史などが細かく書いてあり、娘と私へのメッセージがありました」

 そのページのタイトルは《大切な娘達へ》。美和子さんは娘たちにこう綴っている。

《物への感謝の心 人への感謝の心 忘れずに心の美しい人になってね》

 《家族 みんな 私の宝物です》から始まるページでは、夫婦で相談した命名の由来を明かしていた。

《美咲、春花、あなた達は「美しく咲く春の花」です。寒い冬を乗り越えて、力強く芽を出し、やがて美しい花を咲かせる……》

「私に対しては《一緒にいてくれたこと、美咲と春花を授けてくれたことに感謝しています》《あなたと一緒に過ごせる女性は私しかいない》などと書いてありました。妻の年で、ここまで考えてエンディングノートをつくっている人はなかなかいないでしょう」

 美和子さんは自信を持ってそう書けるほど、夫を愛していた。葬儀の記述にも女性らしいこだわりがあった。

「《私の葬儀にはピノキオの主題歌『星に願いを』をかけてほしい。娘たちの写真を棺いっぱいに詰めてほしい》と書いてあったんです。でも、ノートを返してもらったのは葬式がすんだ後でした。もし、内容を知っていたら絶対にかなえてあげたのに……。いつまでも悔いが残ります」

 家族を大切にした美和子さんは、分厚いアルバムを何冊も残している。夫婦の思い出、家族の思い出、美咲さん、春花さんそれぞれの専用のアルバム。写真を切り抜いたり、コメントを添えている。娘たちはまだ小学生。後ろのページがたっぷり残っていた。

「これからも、思い出が足されていくはずだったのに。妻は娘たちの成長を楽しみにページを残していたんです」

 夫婦にとって、2人の娘はかけがえのない宝物だった。

「美咲は足が速くて、徒競走はいつも1位。私はサッカー、妻はテニス経験があり、2人ともわりと足が速かった。性格は私に似て慎重派でした。でも近所の年下の子の面倒をよく見たり妻譲りの思いやりある子に育ってくれました。春花は全然物怖じしない、人を笑わせるのが得意な子でした。昨年、車でしか行ったことがない祖父宅に、ひとりで歩いていって妻をヒヤヒヤさせたこともありました」

 絵や工作が得意だった美咲さんの将来の夢は、洋服のデザイナー。ゲームキャラクターのファッションに興味を持ち、「私もこんなふうにかわいい服をつくりたい」と話したという。

 春花さんの夢はパン屋さんかケーキ屋さん。キッチンで夕食の準備をする美和子さんをよく手伝っていた。