書き続けていくパッション③

【人間ドキュメント・倉本聰】気がつけば札幌行きの飛行機に

2016年02月13日(土) 16時00分
〈週刊女性2016年2月9日号〉
2016年02月13日(土) 16時00分
〈週刊女性2016年2月9日号〉

『前略おふくろ様』『北の国から』『風のガーデン』など数々のヒットドラマを世に送り出してきた倉本聰さん。大震災、原発事故、安保法案などで社会が揺らぐ中、7年ぶりの公演となる舞台『屋根』に何を込めたのか――。粉雪の舞う、氷点下の北海道・富良野に訪ねた。(第3回)

■「倉本聰に会ってこい」と言われ

 1959年に大学を卒業してラジオ局のニッポン放送に入社した。

「ちょうどフジテレビが開局する年で、テレビって面白そうだなと試験を受けたんですが、フジに出資した系列のニッポン放送に回されちゃったんです。でも、それがよかった。もしテレビ局に入っちゃったら、シナリオなんて書けなかったですよ」

 昼間はアシスタントディレクターとしてラジオ番組を制作。音だけで情景や場面を想像させるため、効果音を探してあちこち駆け回ったり、寺山修司と一緒にドラマを作ったりした。

 夜遅く帰宅すると、午前3時までテレビドラマの脚本を書いた。アルバイト禁止なので、会社には内緒だ。

「ダブルでやっていたときは大変でしたね。本当にノイローゼになるくらい身体も酷使しましたし。でも、書くのが楽しくてたまらなかったんですよ。自分の作品が実際にオンエアされるのはうれしいものです」

 倉本さんが日本テレビに企画を持ち込み、'63年に始まったホームドラマ『現代っ子』は視聴率30パーセントを超える大ヒットになった。

 ある日、部長に呼ばれて、こう命じられた。

「テレビで倉本聰っていう脚本家が目立ってきた。うちも若手を起用したらどうだ。会ってこい」

 倉本さんは外の喫茶店で時間をつぶして帰ると、「たいしたやつじゃありませんでした」と報告した。

 まもなく倉本さんは4年間勤めたニッポン放送を辞め、フリーの脚本家になった。

 日活や東映の映画、テレビドラマ、アニメなど、ジャンルを問わず書いた。

 その一方で、自分の脚本は構成力が弱いと自覚し、研究を重ねた。

「僕のバイブルは『日本シナリオ文学全集』で、擦り切れるくらい読みましたよ。黒沢明、小津安二郎など第一線の先輩たちの映画シナリオを読んで、まず起承転結に分けて、またシナリオに戻してみる。そんな作業をずいぶんやりましたね」

■気がつけば札幌行きの飛行機に

 NHKから大河ドラマ『勝海舟』の依頼が来たのはフリーになって10年目だ。'74年の正月から放映が始まり、半年たったとき、とんでもない記事が週刊誌に載った。

「倉本聰氏、『勝海舟』に内部から爆弾発言」

 NHKのスタッフとトラブルになり、倉本さんが取材を受けた。記事はチェックできたが、真意を歪曲した見出しをつけられたのだ。

 激怒したスタッフ20数人に責め立てられ、倉本さんはタクシーに飛び乗った─。

「昨日まで一緒に仕事をしていたやつが、こんなにも裏切って冷たくなるものかと、愕然として、パニックになって……。僕、本当に何も覚えていないんですよ。タクシーで羽田に向かったことも、なぜ札幌行きの飛行機に乗ったのかということも」

 そのまま札幌にとどまり、続きの脚本は郵送。結局、43回で降板した。

(もう脚本家としては終わりだな……)

 半分ヤケになり、毎晩飲み歩いた。バーテンダー、風俗嬢、単身赴任のサラリーマン、板前……。業界人とばかり付き合っていた東京とは違い、札幌では利害関係のないさまざまな人と仲よくなった。書きたいネタはたまるが、仕事はない。

 夏が過ぎ、秋が来るころ。東京にいる妻から“もう貯金が7万円しかない”と言われた。倉本さんがトラック運転手になろうと腹をくくった直後、フジテレビのプロデューサーが札幌までやって来た。

 そして書いたのが『6羽のかもめ』だ。テレビ業界の内幕を描いたドラマは、視聴率は伸びなかったが、高い評価を受けた。

 その後も、北海道を舞台にした『うちのホンカン』(TBS系)、ショーケンこと萩原健一が主演の『前略おふくろ様』(日本テレビ系)など、ヒット作を連発した。

【写真】「珈琲 森の時計」は、ドラマ『優しい時間』で主人公が開いた喫茶店。放送後、カフェとしてオープン

【写真】「珈琲 森の時計」は、ドラマ『優しい時間』で主人公が開いた喫茶店。放送後、カフェとしてオープン

■“作”でなく“創”をやろう!

 富良野に移住して3年目に書いたのが『北の国から』だ。放送されると、倉本さんのもとには、たくさんの手紙が届いた。

「芝居を学びたい」という若者たちの熱意に打たれた倉本さん。なんと私財を投じて、脚本家や俳優を育成する私塾『富良野塾』を'84年に立ち上げてしまう。

【写真】富良野塾では、新しいものを生み出すために「前例にないから」と「そうは言っても」という言葉を禁句にした

【写真】富良野塾では、新しいものを生み出すために「前例にないから」と「そうは言っても」という言葉を禁句にした

 2年間の受講料はタダ。その代わり、廃屋を自分たちで改修し、夏場の農作業で1年分の生活費を稼ぐ。

「僕はテレビに育てられたから、恩返ししようと思ったんですよ。それと今のテレビは何しているんだという怒りもありました。儲かっているくせに、役者もライターも育てないから」

 倉本さんはテレビの脚本を書きながら、年間50回以上の講義を行った。'88年には塾生の手でスタジオ棟が完成。『谷は眠っていた』『今日、悲別で』など数多くの芝居を創り、国内外で公演した。

「創作の“作”というのは知識と金で前例に基づいて作ることだけど、“創”は金がなくても知恵で前例にないものを生み出すこと。だから、創をやろうと話したんです。肉体的にも精神的にもキツかったけど、生徒よりも僕が得たものは大きかったと思いますよ。舞台って生鮮食品なんですね。お客さんの反応がよければ、芝居もどんどんよくなっていく。それが楽しくて、ほとんどの旅公演にもついていったんです」

 2010年に富良野塾は閉塾した。26年間で卒業したのは375人。そのうち3分の1が脚本家や俳優として活躍している。

 卒業生を中心に『富良野GROUP』を結成。今も定期的に公演を続けている。

 富良野塾9期生で俳優の納谷真大さん(47)は、普段の倉本さんは“とてもやさしい”という。

「富良野塾を卒業したあとも先生の家に行くと“飯食っていけよ”と言って、いつも僕の生活のことを気にかけてくださいました。そんなやさしい先生が、稽古に入ると、とにかく恐ろしい。怒鳴られたことも何度もあります。僕は自分でも劇団をやって演出をする立場でもあるけど、今も倉本先生の芝居に出ると、出会ったころと変わらないエネルギーで本気になって、僕の芝居をよくするために怒ってくださる。正直、ツラいし逃げ出したいけど、先生がいなければ今の私はないです」

【写真】納谷真大さん。大学卒業後、富良野塾に。現在は札幌で富良野塾OBを中心にした演劇ユニット「イレブン☆ナイン」で活躍

【写真】納谷真大さん。大学卒業後、富良野塾に。現在は札幌で富良野塾OBを中心にした演劇ユニット「イレブン☆ナイン」で活躍

取材・文/萩原絹代
撮影/渡邉智裕

※「人間ドキュメント・倉本聰」は4回に分けて掲載しています。第4回「舞台『屋根』に込めた思い」は明日16時配信です。

関連記事

人物
書き続けていくパ...

人間ドキュメント・倉本聰①

2016年02月11日(木) 16時00分
〈週刊女性2016年2月9日号〉
人物
書き続けていくパ...

人間ドキュメント・倉本聰②

2016年02月12日(金) 16時00分
〈週刊女性2016年2月9日号〉
ドラマ裏話
歴代No1.視聴...

「独眼竜政宗」時は大河終了危機

2015年06月08日(月) 06時00分
〈週刊女性6月16日号〉
女性
沖縄を代表する“...

平良とみ 占領下でも芝居続ける

2015年12月20日(日) 16時00分
〈週刊女性1月1日号〉
文化人
『ゲゲゲの鬼太郎...

水木しげる妖怪見えるキッカケ

2015年12月19日(土) 16時00分
〈週刊女性1月1日号〉
ニッポン
私たちは安保法案...

現役自衛官語る「経済的徴兵」

2015年09月04日(金) 16時00分
〈週刊女性9月15日号〉

オススメ記事

文化人
Twitterや...

フィフィ指摘ファンとの距離感

2016年05月25日(水) 17時40分
〈週刊女性PRIME〉
文化人
バレーボール・タ...

フィフィ言及スポーツとお金

2016年05月21日(土) 18時30分
〈週刊女性PRIME〉
男性
第2回『Yes!...

ビアちゃん語る高須院長の凄さ

2016年05月13日(金) 05時00分
〈週刊女性PRIME〉
災害
高須クリニック・...

高須院長が語る被災地支援方法

2016年04月29日(金) 05時00分
〈週刊女性PRIME〉

ページトップ