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松田さんが手を握ってしまった釜石中学校での美智子さま('11年5月)

 両陛下は、この3月11日で5年となる東日本大震災の『五周年追悼式』に臨席される予定だ。

 そんななか公私にわたって被災地で慰問を続けられている美智子さまは現地の被災者にとって「希望の光」となっている。

 今回、美智子さまとの交流を持った被災者たちが『週刊女性』の取材に改めて応えてくれた。

「このスイセンのように頑張ります」

 5年前の4月27日、宮城県仙台市の体育館を慰問されていた美智子さまに、そう誓いながらスイセンを手渡した佐藤美紀子さん(68)が振り返る。

「震災の津波で流された自宅に行くと、がれきの跡にスイセンが咲いていたので、私たちも、この花のように頑張りたいと思いました。

 そこで、お見舞いにいらっしゃる両陛下にそれを伝え、受け取っていただけるならスイセンをお渡ししようと考えたのです」

 実際にスイセンを差し上げたときは頭の中が真っ白で、美智子さまのにこやかな「いただけるの?」というお言葉しか覚えていないという。

 しかし翌年、佐藤さんに肺がんが見つかり、ご主人にもがんが発病してしまった。

「あのときに美智子さまに誓いを立てたので頑張ろうと思い、周りからもそう励まされてきたので、病気にもくよくよせず、前向きに生きることができました。

 手術をして、今も抗がん剤治療を断続的に続けていますが、なんとか普通の生活を送ることができているのは、美智子さまとお会いできたからだと思っています」(佐藤さん)

 震災で気力を失っていたが、美智子さまのおかげで生きる勇気が湧き、家業を再開させた女性が岩手県釜石市にいる。

 市内の海の近くで理容店を営んでいた松田節子さん(79)は、津波で店舗が流されて、失意の避難生活を釜石中学校の避難所で送っていた。

「もう年なので、このまま店を再開させるか迷っていたんです。そんなときに、美智子さまとお会いして、もう1回、頑張ってみようという意欲が湧いてきたんです」

 体育館で両陛下が、ふた手に分かれて被災者ひとりひとりに目線を合わせ、丁寧に声をかけているのに驚いたと松田さん。

「私は股関節を手術しているのでわかりますが、両陛下のように高齢者が立ったり座ったりしながら、移動するのはとても大変なことです。それを、自分より年上の両陛下がやっているなんて……とても勇気づけられたんです」

 そして、ちょうど松田さんが美智子さまと話をしているときに、震度3の余震が襲ったという。

「私はひとりでは立てないので、思わず美智子さまの右手を握ってしまったんです。隣の人は美智子さまをかばおうとして、左手を握ったんですが、すぐに引っ込めて、私は離すタイミングを失っていました」(松田さん)

 すると、美智子さまは─。

「その左手で、私の手を握って“大丈夫ですよ”と安心させてくれました。すごく柔らかくふわふわしていて、赤ちゃんの手を大きくしたお手でした」(同)

 それから1か月もしないうちに、松田さんは息子さんと仮店舗を始め、今では内陸寄りの場所で新しい理容店を営んでいるという─。

 被災者に、多くの希望を与え続けてこられた両陛下について、元共同通信記者で、学習院初等科時代から天皇陛下と同級生の橋本明さんはこう話す。

「東日本大震災の被災地域は広範囲なので、すべてをくまなく回ることは難しく、時間がかかります。

 それを達成しようとする気持ちが逆に心の支えとなり、両陛下の自らの健康にもつながっているのではないでしょうか」