(左から)橋田壽賀子、小山内美江子
昭和・平成という時代を彩り、世相を反映する物語を紡いできた二大脚本家、橋田壽賀子と小山内美江子。以前はご近所同士だった2人だが、きちんと2人だけで話すのはなんと40年ぶりだという。両巨頭が“平成のその先”を語る─

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橋田「ゆっくり話をするのなんて何年ぶり?」

小山内「毎年5月の橋田賞のパーティーは行ってますよ」

 以前はご近所同士だった橋田と小山内。今回のように会ってゆっくり話をするのは数十年ぶりなのだそう。

橋田「パーティーではお辞儀するので忙しくて、ゆっくりお話しできなくて。だから久々にこうしてしげしげとお顔を見て。小山内さん、昔はウチから見えるところにおいでになったのよね」

小山内「私の母が体調を悪くして熱海のお山へ引っ越してきたんだけど、ある日“もしもし、私、橋田ですが”“どちらの橋田さんですか?”“シナリオライターの橋田です”と電話があって。私にとっては大先輩ですから、ビックリして座り直しちゃったの(笑)」

橋田「そんな。座り直さないでしょう(笑)」

小山内それであなた、“お友達になってくださる?”って。女学生じゃあるまいしね。でもライター同士で情報交換もあるし、一緒にプールで泳いだりしてね」

橋田「私が45歳くらいのときでしたでしょうか。もちろん小山内さんのお名前は存じ上げてましたけれども、知り合いではなくてね。それで家を建ててらっしゃる人が近くにいるでしょ、聞いてみたら小山内さんという方だっていうんで、お電話してみたの」

小山内「お友達が区画を譲ってくれてね。そこに小さい家を建ててときどき来ていたんだけど、母がそこへ住みたいと言ったので、私たちは近くに土地を買って引っ越して。その後、近くに越してきたのが赤木春恵さん」

橋田「そうそう」

小山内「これは古い話だから言ってもいいと思うんだけど、その赤木さんの家には片岡千恵蔵とかね、かつてのスターたちが集まって、よく夜通し麻雀したりしていたの」

橋田「えー、全然知らなかった」

小山内「私とあなたはバカ笑いをするようなお付き合いではなかったけれど、赤木さんたちがいると、ちょっと違う楽しさがあったね」

橋田「赤木さんはいつも笑ってらっしゃって。愚痴や文句を言っても明るい方でね」

小山内「屈託がないのね。“まあ橋田さんのセリフの長いこと!”なんて(笑)」

橋田「私のドラマに初めて出ていただいたのはNHKの『四季の家』。当時は姑役といえば山岡久乃さんや京塚昌子さんがいらしたけど、また違った感じの姑だった」

小山内「私はTBS系ドラマの『加奈子』で花火屋のおかみ、同じくTBS系の『おゆき』で寄席のおかみをやっていただいて。『3年B組金八先生』の校長役は当時、女性の校長がとても少なくて、モデルになった方がふっくらした方だったの。それで赤木さんに(笑)。街で“校長先生”と呼びかけられてとてもうれしかった、と言ってましたね」

橋田それなのに『渡鬼』で意地悪なお姑さんをやらせてしまって。でも、赤木さんはどんなきついことを言っても明るいから、いろいろと助けられました。書いたセリフをきっちり言ってくれる方でしたね。直してくれと言われたことは1度もありません」

小山内「そうそう私、赤木さんからよく洋服をもらったの。言い方悪いけど、わりとさんざん着たやつを(笑)。それをね、パーティーなんかに着て行くと、物はいいから“いつもいいもの着てるわね”と言われて。あ、橋田さんからもいただきますから、あれば言ってください」

橋田「私、あんなに洋服ありません(笑)」

小山内「そんなご縁もあって、赤木さん、橋田さんと何度か旅行もご一緒してね。泉ピン子さんも一緒にハワイへ行ったことありましたね」

橋田「私とピン子が同じ部屋で枕を並べて朝からしゃべってたら、隣の部屋にいた小山内さんが来て“うるさい! 私はもっと寝たいの”と怒られたのよ。それでピン子と2人、どこか外へ食事へ行ったんですよ」