今、教師にとって「学校」はたいへん過酷な場所になっています。いじめや不登校問題、教師の体罰や不祥事、難しい保護者や地域への対応など、教師の悲鳴が聞こえてくるような教育現場。日々の指導だけでなく、今までになかった教育内容の新規導入などによって教師の負担やストレスは加速度的に増えてきています。
 そんな「やらなければいけないこと」が増殖する中、「働き方改革」という魔法のような言葉の狭間で、身体も心も疲れ果てリタイアしていく教師が数多くいる、ある意味、ブラック企業にも見えるこの教育の場で、教師生活38年の私が「子どもから学んだ」ことを綴ります。

「あかりをともす」

 以前、ある学校の支援員の方と話をする機会があり、「子どもの中にいるのは文句なしに楽しいね!」と話してくれました。そして彼はこう続けました。

「“先生! 一緒にスキップして!”と、腕を組んでくる子がいたんです。“いいよ!”と一緒にスキップしたんだけど、それだけであんなにうれしそうに笑ってくれる、子どもとリズムを合わせて動き、一緒に笑うことがこんなに幸せなことなんだって」

 その当時の私は、毎日の授業の準備や取り組みの忙しさに追われ、小さな幸せや感動を忘れてしまったり、感じにくくなっていて、その言葉にドキッとしたことを覚えています。自分自身を振り返って、子どもたちにもう1度、向かっていきたくなる話でした。

 子どもと笑顔をともにすることが幸せなことだということ、私も含めて学校の教師はどれだけ感じていることでしょう。

 そして、こんな話もされました。

「一緒にいるとき、子どもがぽろりとこぼす言葉や見せる表情から、その子の抱えている『闇』に気づくときがあるんです。そのときは、どうやって小さいあかりを見つけてあげられるだろうか……、そっと背中に手を当てながら一緒にさがすんです」

 温かく、強く心に響く言葉に『どんな子も、目には見えない、いっぱいの「育ちの不安」を抱えて生きていること。自分を認め、支えてくれる人を探しながら、居場所を求め、さまよっている子がいること』に気づかされました。
 そんな子どもたちを支えるには、大人の目線からではなく、ひとりひとりを大切に考え「そっと背中に手を当てながら、一緒にあかりをさがす」ことが必要だ。そう強く感じずにはいられない出来事でした。

 どんな子も、生まれつき自分で力強く育つ力を持っています。ひとつひとつの「発達」の階段を1歩ずつ、一生懸命に自分で上っていくのです。私たち大人は、子どもの力を信じ、しんぼう強く見守り、彼らが自分を発揮できるような「場所」や「道しるべ」を一緒に探してあげるべきではないでしょうか。